1、わがままな姫様

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「リタ!」  エルナト姫の言いつけ通りアクセサリーを全て処分したリタは、メイドの休憩室に戻るなり鋭い声にビクッと体を震わせた。  声の主は黒髪をした金色の瞳のステラだった。頭脳明晰な彼女は若くしてメイド長になったリタの尊敬する人である。  リタは目を泳がせながら急いで目の前まで行くと、 「ス、ステラさん。私、何か――」 「遅い! もうエルナト姫様はデザートを召し上がり始めています。さっさと広間の方へ急ぎなさい」 (そのエルナト姫に頼まれたことをしてたのに)  自分が二人いなければ、同時に別の場所で仕事できるはずがない。  リタは何とも言えない気持ちになったが、素直に言葉にするほど馬鹿ではなかった。  とにかくお辞儀をしてから仕事に行こうと思い、ステラを見上げる。  見つめた先の金色の瞳の中で、眉根を寄せた自分と目が合った。思っていたより不服そうな表情をしていて、なんだかすごく子供っぽく恥ずかしかった。  一方お説教モードであったステラは、いきなりしおらしくなったリタを驚いたようににじっと見つめ、やがていつもように優しく笑うと、 「何があっても仕事が一番、多少の理不尽は覚悟の上。これが鉄則よ。それじゃあ気持ちを切り替えて、いってらっしゃい」 「はい、ステラさん。失礼します」  昔の自分を思い返すような目で送り出され、リタは急ぎ足で広間へ向かった。リタの表情は今日の天気のように晴れやかだった。 (やっぱりステラさん、好きだなぁ)  リタは一人廊下で笑みをこぼした。  注意すべきところはするが、許すところはしっかり許す。気持ちの切り替えがちゃんとしているところが、メイド長たる所以だろう。  いつか自分みたいな後輩が入ってきたとき、同じようにできるかと問われれば、確かに今の状態では無理かもしれない。  でも、ステラの背中を追っていけば、いつかたどり着けるような気がした。     「リタッ」  広間は厨房とつながっているため、その間の扉から顔をのぞかせて様子をうかがっていると、友達である同じくメイドのリーレが小さく手招きした。  その合図にうなずいてそそそそと、深緑のおさげ髪のリーレの横に移動して背筋を伸ばす。  チラッと周りの人たちを見るが、みんな心のない石像に徹しているようなので、それに倣ってリタも壁沿いに石像のごとく立って前を向いた。 「――それでね、マリーに花輪をかけてあげたら、くしゃみをしたの。きっとそのシロツメクサが苦手なのね。アレルギーかしら」  その名の通りだだっ広い広間の中央で、長机越しに二人の人物が向き合っている。どちらも銀色の髪をしていて、そこだけ一枚絵のような神々しさを放っていた。  先ほど話しかけた少女――エルナト姫がワッフルをナイフで切り分けながら、ニコニコと父親であるアルファルド陛下に笑いかけている。ちなみにあのワッフルは、町で数年先まで予約が取れないという超人気店のものだ。 「そうだな。しばらく遠ざけておくといい」  こちらも上品に切り分けながらワッフルを口に運んでいる。  サラサラで光の加減によってグレーとも白ともとれる髪をしたアルファルド陛下は、紫色の瞳を娘に向けて、およそ父親らしい返事をした。  アルファルド陛下はいつもお忙しいので、こうしてゆったりとしている姿は朝食の時ぐらいにしか見ない。  だからなのか、エルナト姫はいつもより嬉々としているように見える。  まあ、リタの前では格段に不機嫌なので余計そう見えるのかもしれないが。 「わかったそうするね! マリーはもともと建物の中が好きだから、あえて遠ざけなくてもいいかもだけど。あ、あと、昨日の夜の話なんだけど――」 「エルナト」  エルナト姫が次の話題に切り替えようとしたとき、そのタイミングを待っていたかのようにアルファルド陛下が名前を呼んだ。その声はどこか事務的で、家族に世間話をするトーンではなかった。  エルナト姫もそう感じたのか、とまどったような顔で口を閉じる。 「お前、魔術の練習はどうだ?」  その話題が出たとたん、桃色の瞳がおびえたように震えた。  嫌がっているのは火を見るよりも明らかで、遠くで見ているリタが嫌味を言われたことも忘れて可哀そうになってくる程だった。  アヴィオール王国では魔術を使える人は少なくない。  それはほんとうに平民であったり貴族であったりとさまざまで、いろいろと重宝されるが、どれもが便利の範疇を超えない微力なものだった。  しかし王族は違う。  王族の魔力は非常に強力で、だからこそこの国を支配できたといえる。  つまり、エルナト姫も強力な魔術を使いこなせないと、一人前には認められないのだ。  「もちろんちゃんとやっているわ。でもそんなことより昨日の」  務めて平然とした声を出しているが、早く別の話に移ろうと必死であることが伝わってきた。  するとアルファルド陛下がその紫色の目を細めて、 「俺が聞いているのは、魔力が強くなっているかどうかだ。国一番の魔術師に教えさせているんだ、少しは強くなったであろう。試しにこれらの食器を浮かしてみなさい」 「……」  苦虫を口いっぱいに噛み潰してもこんな表情にはなるまい。  エルナト姫の息遣いと、ピンと張った糸のような空気が壁際まで迫ってきた。  姫は静かにフォークとナイフを下ろすと、ゆっくりと右手の指先で空になっていたジュースのコップに触れた。   (よりによってガラスのコップを選ぶか。見てるこっちが怖いよ。まあ、どうせ掃除するのはわたしたちだけど)  でも、そんなリタの心配は杞憂に終わった。  指先に触れられたとたん、コップは上昇し始め、プカプカと見事宙に浮かんだのだ。  すぐにエルナト姫が嬉しそうにアルファルド陛下を見るが、陛下はフンと鼻を鳴らしただけだった。   「もう一つ」  アルファルド陛下が固い声で命じた。  姫は驚きながらも、先ほどよりは自信がついたようで、そっと近くのフォークを触った。  無事にフォークもコップの横で、回転しながら浮遊した。  努力の甲斐あって、前リタが見た時よりも成長しているようだ。 「もう一つ」  再度同じ言葉が告げられた。  エルナト姫も命じられるままにナイフに触れる。  ナイフもゆったり持ち上がったが、   「あっ」  さすがに三つは難しかったのか、集中力が切れると同時にコップとナイフとフォークが机の上に落下した。  コップは砕け散り、スプーンは軟着陸したものの、ナイフは姫の目の前にドンと突き刺さった。  リタも姫も周りの人たちも息を同時に呑んだことがわかる。  けれど唯一眉ひとつ動かさなかったアルファルド陛下は、落胆したように首を振ると、   「……もういい。下がれ」 「パパ……?」  慰めてくれるのかと思い込んでいたエルナト姫は、びっくりしてその瞳を大きく見開いた。  しかしアルファルド陛下はたいして興味なさそうに、手元の紅茶を一口すすると、 「さっさとしろ」  目線を上げて、若干イラついたような声を出した。   「リタ、お部屋までご一緒して差し上げて」  仕事を終え、いつの間にやら近くに来ていたステラがリタに耳打ちをした。  リタは気の進まない思いだったが、先ほどのステラの言葉を思い出して腹をくくり、早歩きでエルナト姫に近寄って行った。 「姫様、」  名前を呼んだだけでエルナト姫はさっと立ち上がると、廊下に面したドアに直進し、乱暴に開けて退出した。  リタは置いて行かれないように、小走りでその後に続いた。
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