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(シェフってやっぱり頼りになるなぁ)
リタはニコニコと厨房を出て、庭園のある大理石でできた外廊下をスキップしながら進んだ。
ふと、緑したたる美しい庭園が目に入る。きらめく巨大な噴水に、色とりどりの花が咲き誇る。相変わらず豪華な庭だ。
「あっ」
その庭園の中に見慣れた荷馬車を見つけ、リタはパタパタとそちらの方向へ駆け出す。
「リヒトさーん!」
ぶんぶんと手を振ると、茶色髪のラフな格好をした好青年が顔を上げて、
「おっ、リタ! 今日も元気だな」
そう言って駆け寄ってきたリタの頭を、よしよしといつものようになでてくれた。暖かくて大きな手になでられると、自然と心が落ち着く。
リヒトさんは宮廷の召使いたちに日用品や雑貨を売りに来る商人の一人だ。リタよりも年上で、爽やかなルックスをしているため、若いメイドから絶大な人気を得ている。
リタにとってはお兄ちゃんのような存在だ。
「あの、突然なんですけど、誕生石全種類ってあります?」
「誕生石全種類? うーん、ちょっと待って」
リヒトさんは様々な商品が山積みとなった荷台を振り返ると、左端にあった宝箱のような小ぶりの木の入れ物を開けた。
そして、それをこちらにぐいっと差し出すと、
「ほい」
中には色とりどりの宝石が十二個、それぞれお行儀よく仕切りの中に収まっていた。下の紺の布地には、各宝石の名前が金の糸で刺繍されている。
リヒトさんの凄いところは、欲しいものをほとんど取り揃えているところだ。
訳あって、年に一回しか収穫できない木苺を旬と真逆の時期に探していたとき、最後の最後でリヒトさんが持っていてどうにかなった、ということもあった。
「すごい! ありがとうございます!」
リタはパッと顔を輝かせてお礼を言った。
「一応宝石だし、結構高いけどいいの?」
「はい、今日は個人的な買い物じゃなくて、姫様のご注文なので」
姫様の買い物としてなら、お金はいくらでも出せる。第一位王位継承者の代理なのだから当然だ。
すると、リヒトさんは納得したように眉を上げて、
「ふぅん、俺に頼むなんてよっぽど緊急なんだ。普通はオーダーメイドだもんな」
「あはは、そうなんです」
リヒトさんは基本的に使用人が顧客なので、王家に商品を卸すということはない。いつも荷馬車が来る頃に各自が買いに来る。
また、普通宝石を姫に献上するときは、削り方などこと細かく打ち合わせをして作られるため、既製品をお渡しすることは稀だ。
「他に何か頼まれたものとかある?」
「あとは……指輪があれば完璧なんですけど」
もしかしたら…という期待した顔でリヒトさんを見上げるが、リヒトさんは困ったように首に手を当てると、
「.……あー、指輪か。ちょうど無いんだよな……」
と、上目遣いで申し訳なさそうにこちらを見た。
(珍しい。リヒトさんに取り扱っていないものがあるんだ。ダメだったかぁ……)
しかし、無いものは仕方ない。予約をしていたわけじゃないから。
顔には出さないものの、いままでトントン拍子で集まっていったこともあって、思わぬ行き詰まりに落胆してしまった。
(まあ指輪だけなら一人でなんとかなるよね)
街にひとっ走り買いに行ってもいいだろう。まだお昼だから時間はある。
とはいえ、クッションやマフラーを宮廷のストックから、また歴史の本を書庫から探して来なくては行けないのもあり、わざわざ外出許可を取る時間が惜しかった。
でも、
「嘘」
「え」
顔を上げたリヒトさんが、いたずらっ子のような表情で笑った。そしてこちらに手をぐいっと差し出してきた。
その中には、金色のリングについた美しい紫色の宝石が鎮座していた。
驚いて目を見開くリタに、リヒトさんは満足げに指輪をつまみ上げて、
「ほれほれ、綺麗だろ。今日の朝市で偶然精巧な作りのやつを掘り出したんだ。本当はお嬢さん方にプレゼントしようと思ったんだけど……、どうしても欲しい?」
「欲しい!」
リタはぴょんとジャンプをして、指輪をねだった。
一方、リヒトさんは渋るようにわざとらしく腕組みをして、
「うーん、どうしよっかなあ。他でもない、リタが困ってるしなぁ……」
「困ってます! めちゃくちゃ困ってます!」
リタはここぞとばかりに手をすり合わせて、自分史上最強に困っている顔をした。
その表情のおかげか、首をひねっていたリヒトさんはようやくうなづいて、
「……よし。そこまで言うなら決まり!」
「やったあ!」
ガッツポーズをして、リタはうさぎのようにそこら中を跳ねまわった。
これで4つ目の品が揃った。
奇跡と言っていいくらい順調なペースだ。
そして、リヒトさんは指輪をリタに渡すと両手を腰にあてて、
「感謝しろよ。それ、あの宝石造りで名を馳せたクオーツ家が作った指輪らしい。精巧な紫色の水晶がのってて、なかなか市場に出回らない超高級品だぞ」
クオーツ家のことは学の浅いリタでも知っている。
たしか、数年前に没落した超名門の宝石職人一家だったはずだ。しかも没落した原因が謎で、後継者の失踪や他の職人一家による殺害など様々な説があり、その血筋を引く者がいなくなったことはわかっているのだが、その過程は誰にもわからないのだ。
「すごい……。でも、いいんですか?」
「必要なんだろ? ま、それに、売り手が家の金庫に眠っていたものを発掘しただけらしくて、あんま価値がわかってなかったから、クオーツ家の指輪にしては結構安く仕入れられたんだ。ぶっちゃけ俺は指輪そのものには興味ないし、利益が出るならそれでいい」
指輪を受け取って手のひらで転がしながら、リタはちょっとリヒトを見て首をかしげ、
「利益? お嬢さん方にプレゼントするって言ってましたよね」
「あー、まあな。でもよく考えてみれば、誰にあげるかで面倒くさいことになりそうだったし、これで良かったよ」
「へー、そんなに候補がいるんですね」
(なんかやだな)
リタは少しへそを曲げた。
まあ、自分の兄がいろんな女性にフラフラ言い寄っていたら、誰だって複雑な気持ちになるだろう。実兄じゃないが、リタとてその気持ちは同じだ。
「あれれ? ヤキモチ? リタちゃん、ヤキモチかな?」
リヒトさんはニコニコとリタの顔をのぞき込んだ。
リタはその行動にイラッとして、つっけんどんに顔をそむけると、
「はいはい。お金払うから、合計出してください」
「ちぇっ。なんだよ」
リヒトさんはおもしろくなさそうに料金表を引っ張ってきて計算し始めた。
そして、その合計を聞いたリタは、ポケットに入っていた紙束を取りだし、代金の金額を書いてリヒトさんに手渡した。
宮廷では巨額の買い物をすることが多いので、このように宮廷手形を渡し、商人が後でお金に還元する手段がよく使われるのだ。
これを使えば買えないものはないが、万が一私用すると、後に発覚して大変なことになる。
「そういえば、リヒトさんってタッジーマッジーのハーブティー飲んだことあります?」
リタはふと気になったので、宮廷手形を荷馬車の金庫にしまっていたリヒトさんにそう問いかけた。
「んー、飲んだことはないけど、仕入れたことはあるよ。あそこ、休日しか開いてなくて、月曜に頼まれたときは酷い目にあったな」
「え……。休日にしか開いてない?」
そこでリタの動きがピタリと止まった。
何か嫌な予感がする。
「そ。興味ある? 今度休日街に行く機会があれば、一緒に買いに行く?」
リヒトさんが笑顔でそう誘ってくれるが、リタは冷や汗をダラダラとかいて、直立不動のまま動かなかった。
そんなリタを変に思って、リヒトさんは突然真面目な表情になると、
「どした?」
そう問われてリタはハッと我に返り、慌ててペコリと頭を下げると、
「あ、いえ、ちょっと考え事してて。じゃあ、ありがとうございました!」
「そう? それじゃ、俺もそろそろ帰るよ」
(大丈夫よ。大丈夫)
リタはリヒトさんと別れてから何度も自分にそう言い聞かせていた。
こころなしか、廊下に響くローファーの音がどんどん速くなっている気がした。
リタが焦っている理由は単純明快。
今日は月曜日――平日だったのである。
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