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1、わがままな姫様
ガッシャーン!
「ああ~、もう! どれもこれも全然可愛くないじゃない! リボンも時代遅れのデザインだし、ダサすぎるわ。これは全部処分、持ってきた商人は永久国外追放!」
アイヴィオール王国の姫様は、朝からご機嫌が麗しくないようだ。
目の前の鏡台に並べられていたキラキラ輝く最高級の装飾品を、片手で勢いよく床にばらまき、ツンとそっぽを向いて怒ったように腕組みをする。
「ひぃぃ……お、お許しを!」
一方の商人はもう床に頭がめり込むのではないかと思うほど絨毯にへばりつき、許しを乞う。
金銀の糸で仕立てられた服装から察するに、かなり有力な商人なのだろう。やっとこさ王宮へ売りに行く許可を勝ち得たというのに、この悲惨な結末である。
リタは無言で同情しつつ、エルナト姫の美しく絹のような銀色の髪を金のブラシでとかし続けた。
「はぁ? この私にこーんなセンスのないアクセサリーを持ってきて、許されると思ってるの? さっさと出ていきなさい!」
「し、しかし!」
なんとか悪あがきを試みるが、リタの経験から言うと、もうこの商人の運命はくつがえらないだろう。
さっさと国外にいい物件を探しに行くほうが身のためである。
「うるさい! 出ていきなさい! ハウス!」
姫様節が炸裂した。今日も絶好調だ。
そして犬扱いされた商人は、縮み上がって転がるように部屋から出ていった。
ドンドンドンという足音が徐々に遠ざかっていき、リタのブラシを動かす音が反比例に大きくなった。
「はぁ……まったく」
エルナト姫は大げさにため息をつくと、床に散らばっているアクセサリーなどには目もくれず、ただじっと目の前の楕円形の鏡を見つめた。
その目線が自分を見ているようで動揺したリタは、ブラシを勢いよく下ろしてしまった。
するとブラシが髪に引っかかり、手にぐっと反動が返ってくる。
ハッとしたときにはもう遅かった。
「っ! 痛った。 何してるの! もっと丁寧にとかしなさい!」
「申し訳ございません」
顔面蒼白でブルブル震えながら深く頭を下げた。
エルナト姫の逆鱗に触れるということは、自ら首元にナイフを当てるようなものだ。
そんなリタを鏡越しに見たエルナト姫はフンと鼻を鳴らして、
「あなたといい、あの商人といい、この国にもっとまともな人間はいないのかしら? 本当に使えないわ」
「申し訳ございません」
同じ姿勢のまま、同じ言葉を唯一の救いの呪文のように繰り返す。
呼吸がうまくできない。部屋の空気が異常なほど張り詰めていた。
すると、
「アハハハハ!」
突然エルナト姫が笑い出し、リタは思わず顔を上げた。
エルナト姫はその薄い桃色の瞳にうっすら涙を浮かべ、心底愉快そうに肩を震わせている。
まさに呆然。いや、リタにとっては天変地異と言っても過言ではないほど突拍子もない出来事だった。
ひとしきり笑うと、鏡の奥でエルナト姫がその可愛らしい顔にニッコリと笑みをたたえて、
「ごめんなさいね。あまりにも滑稽で笑っちゃたわ。よく考えれば比べるのも可愛そうね。あの商人が」
その顔にもうあの微笑みは残っていなかった。代わりにただ蔑むような、暗い色をその桃色の瞳に灯していた。
リタはひゅっと息を呑んだ。
「今日のメイド服はあなたがアイロンしたの?」
「はい、そうですが…」
話の行く先がわからず恐る恐る返答する。
するとエルナト姫はニタァっと嬉しそうに口の端を釣り上げて、
「だから、シワだらけなのね。それと髪も恥ずかしいくらいボサボサよ。気にしてたらごめんね」
指摘されて鏡で確認するが、服はパリッとしていてシワもほぼない。リタはメイドの中でもきれい好きな方なので、まず人前でよれた服を着ることはなかった。
それに茶色の髪は低い位置で緩いシニヨンに結ってあり、毎日十分とはいわずともケアしているので、さすがに『ボサボサ』とは形容しづらい。
(なんだよかった……)
しかし、ほっとした表情のリタが気に入らなかったようで、エルナト姫はちょっと左の眉を上げると、
「ほんとあなたって変わらないわね。だらしなさも、不器量であることも、さっきみたいに馬鹿の一つ覚えでペコペコ謝ることしか知らないところも」
ずいぶん酷い言いようだが、リタはそれらの暴言に言い返せないので、ただ唇を噛んでいることしかできなかった。
(どうしていつも馬鹿にしてくるんだろう)
エルナト姫とは同い年だ。幼い頃には恐れ多くも、一緒に遊んだことだってあるし、そこそこ仲が良かったはずだ。
でも、いつからだっただろうか。
エルナト姫はリタを突き放すようになり、親しみどころか仇敵を見るような冷たい目で命令することが多くなった。
そのため、リタはかなり戸惑ったが、だんだん召使いとしての立場を理解してそれに適応していった。
幼い日々がまるでなかったかのように。
「何か?」
黙ったままブラシを握りしめているリタに、豪華な椅子に座ったエルナト姫が無表情で促す。
朝日が窓を通過してエルナト姫の銀色の髪を照らし、まるで春の陽気を写し取ったような薄紅色のふんわりとしたドレスを際立たせる。小さくはっきりとしたその顔には、キラリと光る桃色の瞳が輝いていた。
傍から見れば美しすぎる姿で、思わずため息を誘う可愛らしさなのに、どうしてこうも嫌われしまったのだろう。
「あなたがただブラシを握るだけの人形になったのなら、私はもう行くわよ」
そう言って立ち上がる。ふわっと銀色の髪が広がって、リタの前を通り過ぎた。
リタは突然のことに驚いてその動きを目で追った。
当のエルナト姫はドアの前まで来ると、くすくす笑って、
「じゃあ、私はお父様とお食事だから。まあ、せいぜい頑張って働いてね〜」
そう言うとバタンと勢いよくドアを閉めて、食事を取る部屋へと消えてしまった。
リタは固い表情のまま、言えなかった言葉を全て吐き出すようにため息をついた。それで少しは気分が軽くなったので、床に散在するリボンやバレッタを回収する。
(こんなにエルナト姫のために働いても、いつかこのアクセサリーたちみたいに、簡単に捨てられるかもしれない)
解雇されても、例え切りつけられたって文句は言えない。召使い達にとって主人こそ法であり、この世の全てなのだから。
そしてその運命は、この宮廷のメイドに拾われたときから決まっていた。
そう、もともとリタは孤児だったのだ。
だから別の人に育てられていたら、と思わなくもないが、アイヴィオール王国の若い娘達にとって宮廷メイドは憧れの職業であり、リタはむしろ幸運であったのだろう。
(ここまで生かさせてもらっただけありがたい)
育ての親である深い緑の髪と目のセレニアには、感謝してもし尽くせない。
だけど、心のなかだけでは甘い夢を見てしまう。
どこか遠くの農村で、毎日罵声も浴びせられることなく過ごしてみたい。
『農村まったりライフ』、それがリタの夢だった。
(実際農村での暮らしは大変らしいけど、今の私よりはきっとマシなはずよ。そのためにもお金を貯めないと)
そんな妄想をしながら、リタはアクセサリーを抱えてスクッと立ち上がった。
早く戻らないといけない。今日はまだ始まったばかりなのだから。
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