夏だ、海だ、青……編 2 シチサンメガネの愛しき腕力

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 本当の本当に、もう限界レベル。 「はぁぁ……」  タイヤ交換、多分、自己ベストの最速記録出せた気がする。  帰りの車も運転しながら寝そうになったくらい。別に長距離運転でもなんでもないのに、途中、うとうとしかけてちょっと怖かった。いつも走ってる通勤路だったから無事に帰れたのかもしれない。知らない道だったらそれこそ。  なんとか無事に自宅マンションの駐車場に車を置いて、やたらと重たくなった足と手をどうにか動かしながら車の運転席から這い出ると、まだ熱気と湿気が残る夏の暑さに自然としかめっ面になった。  明日、朝、何時出発にするか。  ピークの時期は過ぎてるけど。  混むかもな。なら朝はできるだけ早い方がいいだろうし。  真紀の方が今日は早く上がったけど、それでも真紀だって忙しいだろ。実務はこっちだけど、営業だって忙しいのは同じ。今日はもう簡単にパパッと飯を――。 「ただいまぁ」 「あ、誉さん、おかえりなさい」  パパッと飯を済ませてしまおうって思ってた。一人暮らしの時、整備士の仕事は身体が資本だ。もちろん、体力がとにかくあればいいってわけでもない。技術も必要だし、その技術を身につけるための工夫だって必要で。結果、毎日頭も身体もヘトヘトになるんだ。飯なんて、もう腹ン中に詰め込めればいいって感じ。食欲はあるけど、作るのなんて面倒で。 「今日は疲れましたよね? すみません。急遽でメンテナンス一件捩じ込ませていただいて」 「……あぁ」  ずっと一人暮らしだった。今日みたいにすげぇ忙しくて、腹ぺこぺこでも作るだけの余裕なんてないから、コンビニ弁当で済ませてた。そのコンビニにも寄る体力が残ってないようなら、カップラーメン。 「今日は生姜焼きにしました。豚肉は疲労回復にいいんですよ。それからニラと卵の炒めたの。これ、お客様の奥様から教えていただいたんですけど、ちょっと工夫したらすごく美味しくなるって。オイスターソースをちょっとだけ足すといいらしいんです。しかもこれも疲労回復にテキメン、なんだそうです」  もう、インスタントでいいやって食う飯。 「お味噌汁は厚揚げです。これは、疲労回復じゃないんですけど。誉さん、美味しいと言ってたから」  ニコッと笑って、ワイシャツの袖をもう一度捲り直した。  その腕の筋っぽさにもなんかクラクラするけど。  もっと全然違うとこでクラクラした。 「大丈夫ですか? 疲れすぎました?」  疲れたけど、ちょっと軽くなった。 「すぐにご飯にしますね」  真紀だって帰ってきたばっかじゃん。スーツはキッチンのところの椅子に引っ掛けたまま。  皺になるぞ、そんなところに掛けておいたら。  夏だからクールビズでもっと軽装でも良いことになってるんだけど、真紀はスーツを着てることが多い。どんなに暑くても。お客様に敬意を払いたいって。  ネクタイもしてる。  そのネクタイを緩めて、ワイシャツにエプロン姿で。  真紀だって疲れてるのに。 「座っててください」 「配膳、俺も手伝うから。手洗ってくる」  今日は、もしも一人だったらカップラーメンだったな。  もう毎日残業だし、コンビニに寄る体力もないから。 「座っててもらって構わないですよ。ヘトヘトなんですから」 「へーき」  あぁ、クラクラする。 「それと、真紀」 「はいっ」  愛されてて、なんかすげえ大事に、大切にされてる感。  全然違うけど。全然違うって自覚あるけど、でも、きっとお姫様ってこんな感じに大事にされてるんだろうなって。  俺に呼ばれて、キャベツの千切りをしてる最中の真紀が素直に振り返った。  その懐に潜り込んで。 「真紀もお疲れ」  それからそう言って、照れくさいけど、首に腕を回して、触れるだけのキスを一つ。 「……」 「美味そ。ありがと」 「……」 「待ってろ。今手伝、って、おまっ、またっ」  どこにもお姫様要素なんてない自覚ある。手だって、ほら、仕事してる感がある分厚い手になってきたし。何より油臭いだろ? 今日はオイル交換もたくさんやったし。身体だってジム行ってなくても、結構な筋肉質。可愛い可愛いお姫様抱っこなんて誰にもされないレベルには、身体は頑丈――。 「ちょっおろせって」  頑丈なんだっつうの。 「もう座っててください!」  軽々と持ち上げるなよ。  座ってた方がいいの真紀じゃん? 顔真っ赤だぞ? 熱中症? 「明日は旅行なんです!」  そーだよ。すげぇ楽しみ。 「明日から三日間、楽しみにしていた夏休みなんです」  な。  今年は一緒に取れないかもって落胆しかけたもんな。 「なのに! 今、そんな可愛いことをされますと」  されますと?  っていうか、可愛い要素どこにもないけどな。 「明日の旅行、足腰立たなくてどこにも行けなくなります! 海! なのに!」 「っぷはっ」 「だから、可愛い顔して笑ったりしないようにしてくださいっ!」 「あははは」  営業マンで俺よりも力仕事は少ないはずなのに、俺を軽々持ち上げて、鼻息をめちゃくちゃ荒くしたシチサンメガネの首にしがみついてまた笑った。  ただ笑っただけなのに。 「んちょおおおおおお!」  なんとも言えない奇声を上げるからおかしくておかしくて、さっきまでヘトヘトで引きずるように帰ってきたはずの俺は、その疲れも忘れて、笑ってた。  おかしくて、愛しくて、はしゃぎながら笑ってた。
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