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「あっつ……」
作業の手を止めて立ち上がりながら、そんな独り言が零れた。
職業柄仕方のないことではあるけれど、自分の職場であるピットは夏場が困りもので、この暑さはどうしようもない。なんてわかってても、つい、溜め息が出てしまう。
お客さんがいる時は絶対に不可能だけど、もうさすがにこの、人の体温とほぼ変わらない外気温の中では長袖のツナギ作業着を着ていなくても免除してもらえる。人それぞれだけど、俺はツナギを上半身だけ脱いで、それを腰のところに縛って巻きつけていた。
「ふぅ……」
また勝手に零れた溜め息を染み込ませるようにTシャツの裾を捲り、口元をそれで拭った。
「休憩時間なんで離れます」
「おー……しっかり休んでこい」
主任に一声かけて、その場を離れた。
会社にもよるんだろうけど、うちの会社は休憩時間がバラバラだ。ピットにはお客様から預かっている車が無防備な状態で置かれているわけで、窃盗だけでなく、車にイタズラをされたりも、可能性がゼロではないから、必ずピットには誰かがいるようにしていた。
今から俺は昼休憩で。ここから五十分はエアコン完備の休憩所でゆっくり過ごせる。
昼は会社の弁当。
真紀は今日って外……。
「あ……」
外回りだと思ったら、いた。
「お疲れ様です」
ピットと商談フロアは廊下を挟んで右と左。俺がピットから出てきたら、ちょうど真紀も出てきた。もちろん、シチサンメガネ。
「そっちも今から昼?」
「えぇ、今日は食べ終わったら、お客様のところに行って、帰りに部材を取ってきます」
「あ、主任が頼んだやつ?」
「えぇ、入荷が倉庫に届いたみたいなので。それから浴衣の返却も」
あ、そっか。浴衣、今日返すんだっけか。
「お疲れ様」
「お疲れ様なのは誉の方ですよ。って、今誰もいないから名前で呼ばせてください」
乱れることを知らなそうなシチサン真紀が申し訳なそうな顔をした。
「今日は特別暑いですから。その中での作業、本当にお疲れ様です。でも」
「?」
「服めくるの、ダメです」
その端正な口元がへの字に曲がった。
「そろそろお昼だと思ってピットの方覗いて、飛び上がりました」
「……」
「お腹見えちゃいますよ」
見えたって、別に、だろ?
別にワーともキャーともならないだろ。汗まみれの男の腹なんて。
「……っぷ」
「笑い事じゃないんです」
充分笑い事だけど。
でも、まぁ、そうかもな。
「気をつけるよ」
「!」
ちらりとまた捲り上げた。廊下には俺とお前しかいない。さっき真紀もそう言ってたろ? 他はピットと商談フロア、もしくは営業デスクでお仕事中。だから、ちゃーんと捲り上げて、汗だくの腹だけじゃなくて、さ。
「確かに笑い事じゃないもんな」
真紀の歯形が残った胸がほんのちらりとでも見えるくらいまで捲り上げた。
「は、ぎゃ、あ、ひぃ、はが!」
「っぷは!」
なにその、声になってない叫び。
この歯型付けた張本人のくせして。
大丈夫だって。誰もいないのは今、またちゃんと、確認してのチラ見せなんだから。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほほほほ、っっっ」
誉って咄嗟に呼ぼうとして、なんかおかしな笑い声みたいになってるし。
どこまでも面白くて、どこまでも愛しくて。
「真紀が言ったんじゃん。誰もいないって」
「そうですけど! そうですけども! あまりからかわないでください。それでなくても、……あ」
「! ちょっ、おい、おまっ」
ほっんとうにさ。
「鼻血! スーツに付くだろうが!」
俺なんかに鼻血だすのなんて、世界できっと真紀くらいだぞ。
「ちょ、お前、マジでっ、ティッシュ!」
「は、はひ、こひらに」
「ちょ、ちょ、ちょ、上むいてろっ」
「はひ、ぶほっ」
自分の鼻血で窒息するなよ。っていうか、ポケットに手を突っ込んだからって、そんなまた鼻血、とか。
「ったく、お前なぁ」
「だって……誉がツナギ半分脱いでてTシャツなものだから……つい」
「アホ」
これにすら興奮すんの? 浴衣よりもずっとフツーだろ。
「……ホント」
でも、わからなくもない、かな。
さすがに暑い? いつだって乱れることを知らないきっちりクソ真面目なシチサンスタイルにメガネ、スーツもビシッと常時乱れ知らず。クールビズ、も完全スルーの超正装スタイル。そんな真紀がさ。
今日は腕まくりしてた。
骨っぽくて、硬そうで、力強そうな腕。っていうか、本当に力強いから。俺を軽々持ち上げるし、激しく責めながら簡単に閉じ込めて離さないし。
「どんだけ……」
俺もどんだけ夢中なんだろうな。たかが腕まくりにドキドキなんてして。
「浴衣」
「? ほはれ?」
「っぷ」
鼻にティッシュ詰めたシチサンメガネなのに。
「次は、何コスプレしたら面白いかなぁって。バニー?」
「!」
「ちょっ! お前! 鼻血出しすぎだっつうの」
「ばに……ぃ」
「いや、俺がしたらただの宴会余興だかろうが! 笑いしかないっつうの」
「えろしかないでふ!」
職場で何叫んでんだって笑った。
笑った、けど、でも、また鼻血吹くようなそんな真紀のことが愛しくて、愛しくて、ひん剥いて襲いかかりたくなるくらい、やっぱり愛しくてたまらなかった。
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