きみを好きだと気付くまで3

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きみを好きだと気付くまで3

 壱月と暮し始めて、一年が過ぎた。  大学生になってから黒かった髪を茶に染めて、洋服の雰囲気も変えた壱月は、高校の頃と違い、随分明るい毎日を過ごしているようだった。  入学したての頃は一緒に居る時間も多かったが、そのうち楽自身に彼女が何人かでき、お互いバイトも始め、その時間は自然と減っていた。  それでも毎日壱月はコーヒーを淹れてくれたし、夜眠る前には必ず二人で話をした。  だからその日も壱月が帰っているだろうと思って、楽は壱月の部屋のドアをいつものように開けた。 「……壱月?」  壱月はあまり夜遊びに出掛けたりしない。楽が帰ってくる零時前後には必ず家にいる。けれどこの日は壱月は部屋に居なかった。  楽は少し残念な気持ちでドアを閉めた。  壱月は最近付き合っている相手が居る。それは本人から聞いたわけではなくて、先日女の子からベッドで聞いた。  楽の友達の壱月くん、教授助手と付き合ってるってホント? と聞かれ、驚いたのだ。それからあちこちに話を聞いて、どんな人か確かめた。黒髪に眼鏡でいつも白衣を着ていて、あか抜けない男だった。壱月が男と付き合っているという事実にも驚いたが、あれだけ可愛いのにこんなスペックの低い男を選んでいるというのが、楽には腹立たしかった。 ――あんなのより俺の方が絶対いいのに。  そう思ってから、楽はそれを全力で否定した。壱月は友達だ。友達とはそんな関係にはならない。  壱月とはずっとこうして一緒に居たいのだ。恋人になったら、自分はきっとすぐに別れてしまう。壱月から離れていってしまうかもしれない。それは嫌だった。  楽は深くため息を吐きながらソファに沈み込んだ。  真面目な壱月のことだ。連絡もないのだから、もうすぐ帰ってくるだろう。それまで録りためていた映画を観ているのも悪くない。  楽はそう思って、リビングテーブルにあるリモコンを手に取った。 「……帰ってこねえし……」  映画を一本見終わり、楽は立ち上がった。時間は既に深夜二時を越えている。どう考えてもおかしい。  楽はスマホと鍵だけを持って部屋を出た。春とはいえ、まだ夜は寒い。パジャマ代わりのスウェットでは夜風が痛いほど冷たかった。  楽はスマホを手に取り、壱月に電話を掛けた。コールはするが、壱月は出ない。さっき送ったメッセージも既読にもなっていない。  何かあったんだろうかと不安になり、また電話を鳴らした。けれど繋がらない。 「壱月……」  楽の呟きは強く吹く風にかき消される。さすがに寒くて楽は一度家に戻ることにした。  きちんと防寒して探しに行こうかと考えたが、すれ違いになるのも嫌だった。  このまま家で待ってようか、とため息を吐いたその時だった。ポケットに入れていたスマホが鳴り、楽は慌ててそれを取る。 『楽、寝てなかったんだー』  その声に楽はスマホの画面を見る。ゆな、と出ているその番号は彼女が勝手に登録したものだ。 「何? 今忙しいんだけど」  壱月のことで頭がいっぱいの楽は冷たくそう返した。けれど電話の向こうの彼女は、まあいいじゃん、と笑う。 『さっきね、壱月くん見たんだー。教授助手と付き合ってるって噂、ホントだったんだね』  ていうかそっちの趣味だったんだね、と笑う彼女に、楽は、見たって? と聞き返す。 『うん。二人でホテル入るとこ見ちゃって。写真撮っちゃった。要る?』 「……送っておいて」  楽はそれだけ言うと電話を切った。  するとすぐにメッセージの着信音が鳴り、画面を開く。今話した彼女から写真が送られてきていた。 「……そういうことか……」  身を寄せて歩く二人の写真を見て、楽がぽつりと呟く。  恋人と過ごすからこの家には帰ってこない。それが分かって、楽は胸の奥が軋むように痛む自分に驚いていた。  この感情はなんだろう。腹が立つけれど、すごく悲しくて、それ以上に胸が苦しい。  今日の壱月は自分よりも恋人を選んだという事実から目を背けたくて、楽は写真を消した。  ため息と共にソファに沈み込む。  自分だって壱月より女の子との時間を選んで毎日遅く帰っている。男子大学生なら当たり前の日常だろう。分かっている。  分かっているのに、なんだか辛かった。  そこへまたメッセージが送られてくる。見れた? というメッセージに、楽は返信を打ち込んだ。 『ムカつく。あいつに壱月は似合わない』  それだけ送ると、すぐに返信が来る。 『あたし、いいこと思いついちゃった。上手くいったら一日デートしてね』  そんなメッセージを見てから、楽は画面を閉じた。何を思いついたのは知らないけれど、今はどうでもいい。  今頃壱月はあの男といるのかと思うだけで、楽は黙っていられなかった。寝るなんてことはもちろん、もう映画を観てのんびり待とうという気分でもない。  楽は部屋に戻るとスウェットを脱いで着替えた。少し厚めの上着をクローゼットから引っ張り出して着込む。  壱月がどこにいるのか分からない今、一分でも一秒でも早く、壱月に会うには外で待つのが一番だろう。  楽はそう考えて部屋を出た。  空は漆黒から紺色へと少しずつ色を変えていた。そんな空を見上げながら楽はエントランスの低い階段に座り込む。  自分でも何をしているのか分からなかった。そもそも同居している友達が帰らないからとこんなふうに待つこと自体がおかしいだろう。しかもどうして帰らないのか人づてとはいえ知っている。事故や事件の心配はない。  けれど楽の気持ちはひとつも安心していなくて、それどころか胸が苦しくてイライラする。きっとこれは壱月の顔を見るまで治まらないだろう。 「壱月……早く帰って来いよ」  とにかく今、壱月に会いたい。それだけを思って、楽はその場に座り続けた。  それから三時間後に帰って来た壱月の涙を見るまで、楽は自分が普通じゃない行動をしていると気付かないまま、ただ明るくなっていく空を眺めつづけた。
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