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 昔のことを思い出した壱月は少しだけ微笑んでから、小さくため息を吐いた。 「……澤下くん?」  少し思い出に浸りすぎたようだ。由梨乃が不思議そうにこちらを見ている視線に気づき、壱月は口を開いた。 「なんでもない。それはね、全面的に楽が悪い。アイツは人の気持ちを推し量るってことが出来なさすぎる」 壱月が言うと、由梨乃が一瞬驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑った。 「ありがと……ねえ、澤下くんって下の名前、なんていうの?」  サイフォンの用意をする壱月に近づく由梨乃がそんなことを聞いた。カウンターに寄りかかり、作業台の前に立つ壱月をじっと見上げる。 「壱月、だけど」 「壱月くんって呼んでもいい? 怒る人とかいない?」 「あのね、怒る人が居たら、こんなトコに君を連れてこれないでしょ」  殴られるよ、と笑いながら壱月は亮平を思い出していた。このことがバレたら殴りはしないにせよ、何を言われるか分からない。 「楽からたくさん聞くよ、壱月くんのこと。唯一無二の親友なんだって。壱月は何でもできるし性格もいいしそこらの女より可愛いって……ベッドで友達の自慢話? って呆れたけど、確かに楽の言う通りだね、壱月くん」  言いながら由梨乃が笑う。その言葉に壱月は赤くなった。そんな話を付き合いのある女の子たちにしているなんて、こっちが恥ずかしい。 「……ホント何考えてるだろうな、楽」 「楽、ホントの友達いないから、嬉しいんだと思うよ」  楽の周りには人が集まる。けれども高校の頃から楽が気にしていたように男友達というものは少ないようだった。楽が言うには、自分の近くに居ればモテると思ってる奴ら、が集まっているらしい。なんだかそう思うのも寂しいが、実際楽が男友達だけで遊びに行っているところは見た事がなかった。 「……そうだと、いいけど」  壱月が笑うと、由梨乃も微笑む。するとそこへ、リビングのドアが開く音が響いた。 「あ、楽。おかえ……」 「何してんの? ここは俺と壱月だけの場所だ。帰れよ」  壱月の言葉を遮った楽は、見たこともない険しい顔で由梨乃に言い放った。 「ごめん、楽、私ね……」 「いいから。荷物持って今すぐ出てけ」  眉を下げる由梨乃に、楽はソファに置いてあった由梨乃のバッグを投げつけるように渡した。それを反射的に抱え込む由梨乃の顔は見てて痛いくらい強張っている。 「楽、何もそんな言い方しなくても」 「壱月は黙ってて。ほら、早く出て」  楽は誰の言葉も聞かずに由梨乃の腕を引いて、たった今歩いてきた廊下を戻る。靴を履く間すら与えず、裸足のまま彼女を放り出すと、玄関から靴を放り投げ、ドアに鍵をかけた。 「楽……?」  一部始終を見守ることしか出来なかった壱月が驚きを隠せないまま、楽を窺う。 「コーヒー、淹れてやったの? アイツに」 「彼女、楽を待ってたんだよ。指輪を返してあげたいって」  壱月がきつい口調で楽を責めると、楽は冷たい炎のような目を向けて、もう一度同じ質問を繰り返した。その迫力に壱月が折れ、頷く。 「淹れた、よ。だって、楽の友達なんだろ」 「友達、ね……一回くらいで」  楽らしくない言葉に、壱月は驚いてその顔を見つめた。 「楽、そういう言い方、よくないよ。短い付き合いだとしても、ちゃんと大事にしてあげなきゃ」 「別に付き合ってないし。好きでもない。好きなら、ちゃんと大事にする」  楽はそれだけ言い残すと、そのまま自分の部屋に篭ってしまった。最後まで不機嫌だった。  壱月はやっぱり一度でも関係した子が自分と居たのが気に入らなかったのか、とため息を零した。盗るとか、そんなつもりはない。そう説明したいけれど、部屋まで言って状況を話すのは、なんだか言い訳めいていて逆効果に思えた。しばらくはそっとしておいた方がいいのかもしれない。 「楽って、怒ったりするんだな……」  長い付き合いだが、楽があんなに本気で怒るところなど見たことがなかった。その事実に気づくと、壱月は途端にとんでもないことをしたのではないかと不安になった。やっぱり楽の交友関係に踏み込むのはよくないのだろう。楽が壱月に付き合っている人のことを一言も話さないのは、おそらくそういうことだったのだ。これからは楽の友達とは関わらないようにしよう、と決める壱月だった。
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