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 結局昼ごろ学校へと戻ってきた壱月は、午後の講義の後そのままバイト先のコンビニに直行、午後十時を過ぎた今自由になったところだった。朝は楽のことが気になって、昼は時間がなくて食事を摂っていなかったせいか、目の前がくらくらした。早く帰って温かいものでも作って食べようと決めた壱月は足早に家路についた。  いつものアパートを見上げると窓に明かりがある。珍しく楽が早くに帰っているようだ。だったら久しぶりに二人分で何か作ろうと思って壱月は階段を駆け上がる。その時に朝のことも謝ればいい、お互い恋愛には干渉してこなかったのだから、あのくらいなら大したことじゃない――壱月はそう考えて、何を作ろうかと思いながら玄関のドアを開けた。 「……あ」  玄関に入ったところで壱月の計画は脆くも崩れ去った。そこに、見たことのない靴が置かれていた。楽のものではない少しサイズの小さなスニーカーだった。リビングの明かりが見えたのは単に消し忘れていただけかもしれない。  壱月はいつものことだと特に気に留めることもなく、廊下を歩き出した。途中のドアをノックする。そして、リビングのドアを開けた瞬間、壱月の体は凍りついた。 「こん、ばんは……」  リビングのソファに座っていた学生服の彼は壱月の存在に驚きながらも不器用に挨拶をした。  小柄で華奢な体格の、可愛らしいけれど正真正銘男の子。壱月の心臓はその仕事をやめてしまうのではないかと思うほどにぎゅっと収縮した。  楽が女の子を連れてくることには大分慣れたつもりだ。自分には代わることが出来ない存在だと思えば、仕方ないという気持ちもあったからだ。けれど、男となると話は別で、自分だって同じなのにとか、コイツを好きになれてどうして自分は……なんて思ってしまう。  選んでもらえないのだから男も女も関係ないとわかっているのだけれど、頭と心は全く別物になる。 「君、は……楽の……?」  恋人とも遊び相手とも聞けず、壱月はそこで言葉を切る。学生服の彼が小さく頷いた。壱月の語尾を彼なりに理解したようだ。 「同居人さんですよね?」 「そう、だけど、楽は?」 「今、ちょっと買い物に」 「楽、ここで待てって言った? 部屋じゃなく?」 「はい……」  壱月の口調がきつくなっていたのか、彼は少し萎縮するように頷く。その返答に、壱月は眩暈を起こした。約束を忘れているわけではないだろう。意図的としか考えられなかった。 「あの、大丈夫ですか?」  酷い立ちくらみに襲われ壁に背を預けた壱月に、彼は心配そうに声を掛ける。暗くなりかける視界をなんとか開き、壱月は、平気、と一言返す。その時、玄関からドアの開く音が響いた。  廊下を渡る足音の後で、いつも通りの楽が顔を出す。 「壱月、帰ってたんだ」  リビングに入ってきた楽は壱月の姿を見つけるなり、笑顔を向けた。それも、いつもの笑顔ではなく、ひどく冷めたものだ。高校の頃何度か見た、女の子に別れ話をする時の顔だった。 「帰ってくるに決まってるだろ」  酷く痛む胸を抱えながら、それでも壱月は自分の思いを伝えたくて言葉を振り絞る。 「今日は帰らないと思ってたよ。朝からあんなだったし」  楽は上着を脱ぎながら言う。その上着を学生服の彼が受け取り、丁寧にソファにかけた。 その様子に昨日今日の関係ではないんだな、と思い心の中の自分は切なくて泣き始める。 「楽、約束忘れたわけじゃないよな」  それでも表の壱月は冷静に言葉を掛けた。ここで負けたらダメだと自分に言い聞かせる。 「ああ……ココではするなってヤツだろ。人待たせてただけじゃん。それもダメなわけ?」 「お互い相手は自室に、がルールだろ」  楽が好きだから楽の相手なんか見たくない。だからリビングには連れてきてほしくない。 そう言えればどんなにラクだろう。けれど気持ちが知れてしまうのはやっぱり怖いから、言えない。 「それさ、もうよくねえ? 壱月だって、昨日ここに女連れてきてたじゃん」 「あれは、楽に用事があったんだから、僕の部屋に通したって仕方ないだろ」  壱月の言葉に、楽は長いため息を露骨に吐いた。何だよ、と好戦的に返せば、鋭い目を向けられた。 「もう、めんどくせえよ、こんなの。自分の家なんだから、どこで何しようと勝手じゃね?」  楽は言うとソファに沈み、隣にいる彼の肩に腕を廻した。その頬にキスをして、制服のネクタイを解く。壱月は咄嗟に目を逸らせた。衣擦れの音だけが壱月の鼓膜に飛び込んでくる。 「壱月、突っ立ってるくらいなら、混ざる?」  楽の言葉に壱月が顔を上げる。いつの間にか学生は楽の足元に座り込んでいる。 「コイツ、上手いよ。あ、でも壱月はする方が好きなのかな。アイツにしてきたんだろ、今日だって」  何を言ってるんだと叫びたくて、でも声が潰れたみたいに出てこなくて、唇が震えた。 寒くないのに全身が小刻みに震えだす。 「楽さん、僕嫌です。楽さん以外なんて」  二人のぴんと張り詰めた空気に割って入ったのはそんな暢気な声だった。楽は、別にいいじゃん、と笑う。その笑顔が、段々と遠くなる。  この現実から逃げたいと思ったせいか、今日一日何も口にしていないせいか、壱月の視界はパソコンの電源が落ちるようにプツリと黒く染まった。体から、力が抜け落ちていく。  頬に触れる、冷たい何かの感覚だけを残して壱月は意識を手放した。
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