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 四泊五日素泊まり、連泊割りと直前割りを使って一万円、というホテルを見つけた壱月はしばらくそこに滞在することを決めた。 バイトを終えて一度アパートへと帰る。楽に会うかもしれないと少しだけ思ったが、楽は相変わらず帰っていなかった。  リビングの明かりをつけ、一番に見るのはいつもコーヒーポットだった。今日は空になっている。壱月はそれを台所で洗い片付けてから自室へと入る。クローゼットを開けて旅行カバンを取り出すと、そこに適当に服を詰め始めた。たった五日程度だが、洗濯をするつもりはなかったので、多めに詰め込む。冬物も持った方がいいか、と考え衣装ケースの引き出しを引っ張り開けると、そこに真っ白な服が顔を出した。広げると、それは服ではなくてマフラーだった。柔らかで暖かなカシミアだ。 「これ……ここに入ってたんだ……」  そのマフラーは、楽と同居を始めて、最初に迎えた冬の初めに楽が壱月にくれたものだった。  その日、楽と夕飯の買い出しをした帰り、壱月は豪快なくしゃみをした。急に冷え始めたせいか、体調を崩し気味だった壱月はこのところ咳だのくしゃみだのを頻繁にしていた。 「ホントに平気? 壱月」 「だいじょぶ、風邪にも入らないよ、このくらい」  買い物袋を抱え直し、壱月が笑う。薄手のコートの襟を合わせて、少しでも風を防ごうとしていると、楽が急に立ち止まって自分のマフラーを解いた。 「これ。しとけ」  手渡された柔らかで真っ白なマフラーに壱月は首を振った。 「いいよ、こんな上等なもの。汚しちゃいそうだもん」 「帰るまでだろ。どうやって汚すんだよ」  壱月の言葉に楽が笑い出し、壱月は恥ずかしさもあり口を尖らす。 「いいから、汚しても。壱月に今風邪ひかれたら、今夜の飯がなくなるじゃん」  楽は荷物を降ろすと、壱月の首にマフラーを巻いた。軽いのに暖かな感覚は、楽そのものに似ていて、壱月は心まで温かくなる。 「……飯、また僕? 当番にするんじゃなかった?」  素直にありがとうと言うには、楽がかっこ良すぎて、壱月はそんなことをぶっきらぼうに聞く。 「飯は旨いほうがいいだろ」  だから壱月が作った方がいいの、と楽が頷きながら力説する。 「美味い? 僕の飯」  マフラーに顔半分を埋めながら壱月が聞く。呼吸するたびに、楽のフレグランスの香りが肺を満たしていくようで、壱月は幸せな気持ちでいっぱいだった。 「美味いよ。俺、壱月の飯が一番好きかも」  そう言って向けられた笑顔に、壱月の心臓は直に掴まれたようにきゅんと高鳴る。 「……あり、がと……」 「別に。本心だよ」  隣を歩く楽が一瞬きょとんとした顔を向け、それからすぐに笑顔になる。 「壱月、白似合うな。そのマフラー、よかったらやるよ」 「え、いいよ! 高そうだし、誰かのプレゼントとかじゃない?」 「いや。親が勝手に買ってきただけ。俺は他にもあるから使ってよ、壱月」  ね、と微笑まれると突っ返す気にはなれなかった。何より、好きな人から私物を貰えるなど、願ってもないことだ。壱月は下心に目を瞑り、うん、と頷いた。 「ありがと。大事にする」 「うん。俺だと思って大事にして?」  なんて言ったらすぐ失くされるか、と楽は笑っていた。  手にしたマフラーから、そんな幸せだった日常を思い出し、壱月は溢れそうになる涙を堪えた。 「楽……」  マフラーを握り締め呟くと、やっぱりまだ好きだと心が訴えていた。何も言わずに出ていったら楽は心配するだろうか――そう考えた壱月はカバンのファスナーを閉めると、棚の引き出しからレポート用紙を取り出した。  楽へ、と書いてから、壱月は楽に手紙なんて初めて書くな、と気づいた。手紙になんかしなくても、その日の内に何でも伝えられた。メールですらほとんどしなかった。それほどに近くに居たのかと思うと、なんて幸せだったのだろうと改めて感じる。  壱月は手紙に、しばらく部屋を出て行くこと、これまで強いてきた無理への謝罪と同居生活への感謝を書いて、最後に、話せるようになったら連絡して、と記しペンを置いた。  結局、あの日リビングに付き合っている相手を連れ込んだことが嫌だった、とは書けなかった。そんなワガママを言って、楽にこれ以上嫌われるのは嫌だった。せめて、物分かりのいい友達のまま離れ、またルールを決めて前のように生活が出来ればそれだけでいい。もう、多くは望まない。 その手紙とマフラーをリビングのテーブルに置いて、壱月は荷物を手にした。マフラーは持って行けなかった。持っていけば、きっといつまでも楽への気持ちを断ち切れない。 それじゃいつまでたっても前に進めない。せめて友達として、傍に居たい  アパートを出た壱月は、この先は亮平のことをちゃんと好きになろう、ならなきゃいけないと自分に言い聞かせ、予約したホテルへと向かった。
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