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亮平と出会ったのは、去年の夏だった。結局前に付き合った研究室助手が退職してしまったのもあり、壱月に対する妙な噂は水面下で広がっていた頃だった。楽しか味方がいなくて、でもその楽も派手な恋愛のせいで壱月と一緒にいることも少なくて、大学が少し苦痛になっていた時、声を掛けてくれたのが亮平だった。
「お前と付き合うと不運になるってホント?」
キャンパスのど真ん中、一人で昼食を摂っていたベンチの隣に突然座られてそんな言葉を掛けられて、壱月は随分反抗的な目を向けたと思う。周りを見渡せば、こそこそ話しながらこちらを窺う数人が居たし、罰ゲームとか興味本位とかそんな類だということはわかった。
「だから? だったらどうだっていうの?」
誰にどう思われようとどうだってよかった。その頃は、自分に構う人間など、楽だけでいいと思っていた。どうせ、こうやって声を掛けて来るのは興味本位で近付こうとする奴しかいない。
「困る」
そんな反発した態度の壱月に、亮平は笑って一言答えた。壱月が眉を寄せて亮平を見る。
「おれ、不運に見舞われたくないけど、お前とも付き合いたいんだよね」
その言葉に、壱月は目を見開いてしばらく固まった。亮平が、大丈夫? とひらひら手を振る。
「何、言ってんの……? 僕、そういう賭けの対象とかにまでされてんの?」
「素直じゃないなあ……って、ここまで噂されちゃそうなるか。でも、これはマジな話、お前が可愛いから噂になるんだぜ。どうでもいいヤツなら、こんなことにならないよ」
亮平の言葉に、壱月はさっき見えた集団をちらりと見やった。その視線に気づいた亮平が、あいつらも気になってるんだよ、と言葉を添える。
「信用できるかよ」
「してみてよ。幸せにしてやるから、おれ」
「何それ、プロポーズなら他所でやってよ」
「あ、いいね、プロポーズ。澤下壱月くん、おれのものになってください」
亮平は突然ベンチから降りて、地面に片膝をついて恭しく頭を下げた。
「な、何やってんの? 恥ずかしいからやめろよ!」
居たたまれなくて壱月は立ち上がって叫ぶ。その様子を亮平は楽しそうに見上げ、口を開いた。
「じゃあ、おれと付き合ってくれる?」
「もうなんでもいいから、やめろよ! これ以上変な噂たてられたくないよ」
壱月の言葉に亮平はにやりと笑って立ち上がった。
「じゃあ、今日から壱月はおれのものだ――ほら、これで一人じゃないよ」
「……何、それ……」
どういうことだと壱月が聞くと、亮平は優しく微笑んだ。
「噂聞いてから、壱月のことを知って、いつも見てた。いつも一人で寂しそうなのに凛と頑張ってて、気づいたら惹かれてたんだ」
亮平の言葉に、壱月は赤くなって俯いた。そんな優しい言葉を貰ったのは久しぶりだった。嬉しいと思えた。どんなに想っても何も返らない恋をしている壱月にとって、想いを寄せてもらえることは、ただ嬉しかった。
「おれは不運じゃないよ? 壱月が傍に居るだけで幸せなんだから」
微笑む姿に惹かれたのは本当だった。楽への罪悪感みたいなものはあったけれど、寂しさを埋めてくれる存在が欲しかった。
「……名前、教えて?」
壱月の言葉に、亮平は、そうだったね、と優しく笑った。
亮平との出会いを思い出した壱月は、目の前で頭を下げる彼に、もういいよ、と優しく声を掛けた。
「僕ね、ずっと亮平に黙ってたけど好きな人が居るんだ。ごめんね、黙ってて」
「い、づき……?」
「僕は、ずるいんだ。寂しいと思ったら誰とでも居られるし、誰だって裏切れる。早いうちに手を切って正解だよ、亮平」
壱月が笑うと、亮平は驚いた顔をしてから、急にその腕を伸ばして壱月を抱きしめた。
「絶対、迎えに来るから。ちゃんと強くなるから、待ってて」
「離してよ……待ってるわけないじゃん」
壱月は亮平の腕を解いて、一歩後退った。
「亮平は、卒論やって就職決めて、新しい誰かと幸せになれよ。僕も、好きな人に気持ち伝えて受け入れてもらえるように頑張るから」
「壱月、そうじゃないんだ! おれはまだ好きなんだよ」
縋る様に亮平が壱月に手を伸ばす。壱月は笑顔のままその手から更に距離を取った。
「ごめんね、亮平。僕は、多分戻れない」
戻っちゃいけない。亮平の人生をこれ以上滅茶苦茶にしちゃいけない。亮平のことは、結局心から好きにはなれなかったけれど、感謝はしているし、大事にしてた。そんな人だから幸せになってもらいたい。だから、この別れ話はチャンスだ。弱い自分から抜け出して、亮平を解放してあげられるのは、今しかない。
「壱月」
「じゃあね、亮平。卒論、頑張って」
壱月は笑顔で言うと、ゆっくりと亮平から離れ歩き出した。引き止める声に耳を貸さないように壱月はまっすぐ前だけを見て歩いた。
そのうち、背中に感じていた亮平の存在が消えて、壱月は振り返った。反対側へと歩いていく小さな背中が見える。
「……ありがと、亮平」
孤独から救ってくれたのは彼だった。愛されるという幸せをくれたのも彼だった。同じだけの愛情を返すことは出来なかったけれど、その分感謝の気持ちをいっぱい表現した。
そうしたいと思ったのは、多分亮平だったからなのだろう。不思議な関係だったけれど、壱月にとって大事な存在だったことに変わりはない。
壱月は見えなくなる背中に頭を下げてからまた歩き始めた。夜風は体温を奪うように強く吹いていて、壱月は早足で駅へと向かった。
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