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 どうやってホテルまでたどり着いたか分からない。気づくと壱月はホテルの部屋のベッドで目を覚ましていた。  時間は既に昼を過ぎていた。前日あんなに泣いたのにまだ泣けるんだと思う程、涙が止まらなかった。明け方、部屋に陽の光が差し込んできた頃、泣くだけでも疲れるのだと知った壱月はようやく訪れた睡魔に引き込まれるように眠りについた。  起きる時間がこのくらいでも仕方ない。  今日はすべてを許そうと決め、壱月はのそりと起き上がった。泣きすぎたせいで頭が痛い。  ベッドの下に投げ捨てたままだったカバンを拾い上げ、中からスマホを取り出す。大学の友人や休講の知らせのメッセージが何件か届いている中に、由梨乃からのメッセージがあった。 『さっき、楽から届いたメッセージ、そのまま送るね。ひどくない? これ』  と書かれた後、更に文章が続いている。 『もう会わない。連絡先も消して』  それだけのメッセージだった。確かに付き合っている相手に送るにはひどくさっぱりとして冷たい文章だ。  傷ついているだろう由梨乃のことを思い、壱月はそのまま電話を掛けた。ほどなくして由梨乃に繋がる。 『壱月くん? 送ったの見てくれた? ちょっとひどくない? これ』  思ったよりも元気そうに電話に出る由梨乃に、壱月は少し笑ってから、そうだね、と頷いた。 『これさー、付き合いのあった子、全員に送ってるんだって。楽、何考えてるんだろ』  由梨乃がそう不機嫌そうに言う。  全員に送っている、とは不思議な話だ。楽は寂しがり屋で心配性で、いつも人に囲まれていたい人だと思う。実際、彼が寝てる以外で一人になることは少なく、それが心地いいのだと思っていた。 「……誰か、一人にした、とか……?」  ふいに、昨日の及川と楽が頭をよぎり、壱月はそう口にした。  もう特別じゃない、と言われた。壱月があの部屋を出たら一緒に住むのだという話も聞いた。及川は、楽が好きだった。再会して、互いに惹かれたら……ありえない話ではない。 『楽が? ないでしょ。まあ、相手が壱月くんだって言うならあるかも、とは思うけど』 「僕? 一番ないでしょ」  やりたくないと言われたばかりだ。そんな相手を恋人にするなんて絶対にない。あまりにも可笑しくて、壱月は笑ってしまう。すると、電話の向こうから、よかった、と聞こえ、壱月は、え? と聞き返す。 『壱月くん、ずっと落ち込んでたから……少しでも笑ってくれて嬉しい』  どうやら昨日会ってから、ずっと心配をかけてしまっていたらしい。壱月は、ごめんね、と謝ってから更に言葉を繋いだ。 「もう大丈夫。僕、あの部屋出て、一度実家に戻るよ。心配してくれてありがとう」  そう言うと、由梨乃の大きなため息が電話口から響いた。 『壱月くんがそう決めたならいいけど……でも、楽のこと気にかけてあげて。壱月くんが居なくなったら……楽はダメになる気がするの』  もちろん強制じゃないからね、と言って由梨乃は電話を切った。  自分が居なくなったくらいで、楽がダメになるなんてそんなことはないだろう。由梨乃は少し大げさなのだ。きっと二人きりで甘い時間になるはずのベッドタイムに壱月の話なんかしたから、よほど楽の中で大事なように聞こえただけだ。  本当は楽の中では昨日見たテレビの話くらいに軽い話題に違いない。  だからもう、楽の傍に居なくてもいい。むしろ、楽の為にも自分の為にも離れるべきなのだ。  もうきっと、制服を着て教科書を広げながら笑いあっていたあの頃から、随分離れてしまっていたのだろう。それに気づかず、気づかないふりをして一緒に居ようとした、これが報いだ。 「……戻る事なんか、出来ないんだ……」  時間が巻き戻らないように、自分たちも戻ることはできない。それぞれ前に進まなければいけないのだろう。楽がみんなに送っていたメッセージは、楽なりの進み方の一つだと思う。少し乱暴だけれど、そうして楽は新しい誰かのために前に踏み出している。  自分も進まなければいけない。  流れてきた涙を、これが最後と決めて拭った壱月は両手で頬を叩くと勢いをつけてベッドから立ち上がった。  楽を忘れる。  いつになるかは分からないけれど、少しずつでもできるような気がして壱月は大きく息を吸い込んだ。
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