トナカイとおきて

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 ルドルフは雪の森をただ走った。いくあてなどない。どこを走っているのかも考えていなかった。ただただ走り続け……ることなどできず、やがて疲れて足を止めた。  そのとき、黒い影がのっそりと現れた。クマだった。  飢えているクマと子育て中のクマは凶暴である。そしてまだ冬眠していないこのクマは、まだ腹が満足できずに獲物を求めていたのだろう。鋭い視線がルドルフをとらえた。  ルドルフは危機を察知し、また走った。疲れている体をせいいっぱい動かす。  ああもうおしまいだ、とルドルフは思った。もうこれ以上走る力も飛ぶ力も残っていなかった。  猛進するクマはルドルフに飛びかかろうと前足を伸ばしてジャンプした。ルドルフはぎゅっと目をつぶる。  と、クマの荒々しい息の音がぱっと消えた。痛みも襲ってこない。  天国ではなにも感じないから痛みも感じられる今が貴いんだよ――と、サンタクロースが教えてくれたことを思い出し、ルドルフは泣いた。 「あれ?」  泣いて気づいた。涙がほおを濡らすのを感じたようだ。鼻に乗った雪が溶けて染みるのも、風が吹きつけているのも。それから―― 「ルドルフー!」  名を呼ぶ声に耳がぴくりと反応した。ルドルフはようやく目を開けて周りをきょろりと見渡した。クマが凍りついて固まっている。声は上からきていて、ルドルフは空を仰いだ。  アントンがソリを引いてルドルフへと滑空してきていた。ささっと着地したソリには、サンタクロースとヘラが乗っていた。 「ヘラは人間じゃなかったんだよ。サンタクロースは掟を破ったわけじゃなかったんだ」  ……え?  白鼻がぬっと寄って、熱い鼻息が赤鼻にかかる。 「すごいよ。雪と話せるんだ。クマも凍らせちゃった」  ……えっえっ?  興奮ぎみにまくしたてるアントンの言葉は、ルドルフの頭にはてなを増やした。 「実はじゃな……」  サンタクロースがアントンの背をぽふぽふ叩いて落ち着かせた。 「ヘラは雪女で、身の上を隠して生きなければならないのだ。わしはカチカチの食材で少女の正体に気づいたが、周りには黙っていようと思った。  ……けど、ルドルフを混乱させたようだな。ヘラと相談してトナカイたちに伝えることを決めた。それで……」  そのあと、ルドルフを探しにソリで飛びだし、ヘラが雪と話して居場所を突きとめ、襲っていたクマを凍らせたらしい。 「そうだったのか。ヘラ助けてくれてありがとう」  いいえ、とヘラは小さく笑った。  あどけない笑顔に、ルドルフは意地っぱりだった自分を恥ずかしく思った。けど―― 「その帽子はかぶりたくない」  落ち着きを取り戻したルドルフにサンタクロースが乗せようとした角帽子を拒絶して、頭を振る。  なぜじゃ、とサンタクロースの糸目が珍しく丸くなった。 「『相手の良いところを見なさい』というのも掟なら、なんで角なしを認めてくれないんだ。カツラだ、とメスに笑われるのはこりごりだ」 「じゃぁ、これでどうかしら。きっとメスがうらやむわ」  ヘラの手から角が生まれた。ガラス細工みたいに美しくて、普段の角よりも立派で大きい。 「わたしからあなたへクリスマスプレゼント」 「ありがとう」  純真な贈り物を拒否することなどできなかった。ヘラが氷の角を頭に乗せるのを静かに受け入れた。  ルドルフだけずるい、とアントンが駄々をこね――大丈夫よ、とヘラはほほえんだ。 「みんなにあげるわ。みんなに会えて聖者にも会えて手伝えて……友達がいなかったわたしは楽しかった。ありがとう」  かくして、その年の聖夜、オストナカイたちは氷の角を戴いて夜空を駆けた。  そして、ソリは日本の奈良にも来て――。 「アントンなにやってるんだ。次行くぞ」 「シカセンベイあったよ。おいしいよ」 「もぉ仕事中に食べるな!」 「怒るな、だよ」 「時と場合には掟破りも必要なんだよ」  ルドルフは氷の角で威嚇(いかく)して、アントンの食事を終らせた。
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