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ルドルフは北風を受ける心地よさを感じていた。北の大地に適した厚い毛におおわれた身体には、ひんやりとすんだ空気が清々しかった。体にくくりつけられたソリとともに足どり軽く森を駆ける。
普段は空を飛ばない。飛ぶのは聖夜だけである。人間に見つかったらことだし、「聖夜以外飛ばない」のも掟だ。だから、ルドルフは掟を守ってぬかるんだ土を蹴り、落ちている枝葉を踏みしめていった。
きっと横着者のアントンは少しだけ大地から浮かんで飛んでいるのだろう。ルドルフの耳にはアントンのひづめの音が入ってこなかった。ソリが草木をこする音と鳥やときどき他の獣が動く気配がするばかり……。
そんな中、グォウという唸り声が届いてきた。ルドルフは耳をぴくつかせると、もっと足を速めた。あの声は、アントンが威嚇しているようである。なにかあったのかもしれない。
いやでもおかしい。あのアントンが立ち向かうわけがない。それどころか率先して逃げるほうだ。そうルドルフが気づいたときには、目の前に変な光景があった。
「カイ。ずるい」
「私が先にもらったのだ」
アントンとカイが収穫物をとりあっていた。それだけならば、ルドルフはすぐに止めに入っただろう。「ケンカするな」という掟もあるからだ。けど、そこには少女もいた。
肌は雪の白さで、銀色の髪が腰下までさらりとなびいていた。トナカイより少しだけ高い目線からして十才くらいだろうか。サンタクロースを信じているぎりぎりの年齢だ。
そんな幼い少女が雪の森で独りでいるのは変だった。しかも、寒いはずなのに、肌が透けて見えそうなワンピース一枚である。そのせいか、二匹の前で無邪気に笑う少女は混じりけのない透明な氷のように見えた。
人間がいたら逃げなければならない。でも、毒気を全く感じられず、薄着という異質な人間を前にして、ルドルフは逃げることもケンカの仲裁も忘れそうになった。
「だから、私がもらったのだ!」
白鼻じゃないほう、鼻が黒色のカイが頭突きをくらわし、アントンがよろめいた。
ハッとしてルドルフは二匹に近づき――、
「もらったとは、どういうことだよ」
仲裁どころではなかった。少女の存在だけでなく、カイがさっきから主張している言葉も変だった。収穫物は自分で獲るものだ。もらうもの、ではない。
「この子がくれたんだ。サンタクロースと同じ善意からだ。その善意を私が受けとったのだ」
「それなら平等に僕にももらう権利はあるでしょ。子どもたちは平等にもらえるよ」
すでに態勢を整えたアントンがカイに頭突きの仕返しをした。カイはまったく動じず、くわえているものを放さない。口にあるのは平たい茶色で、スライスした肉のようだ。けど、見た目はやわらかそうではなく、薪のようにかたそうで……霜がついている。
「そうね。みんなで仲良くわけてほしいな。今度はもっと持ってくるね」
ルドルフはケンカする二匹から少女を見つめた。頭突きを同時にしようとしていたアントンとカイも凝視した。少女がしゃべった。いや、しゃべりかけてきた。まるで、トナカイの言葉を理解できるサンタクロースのように。
「君は……俺たちの言葉がわかるのか」
視線が集まって恥ずかしくなったのか、少女はルドルフの問いに静かにうなずいた。
「それはすごいや。すごいけど俺たちには関わらないでくれ。『人間と関わるな』という掟がある」
ルドルフは冷たく言い放った。
「そ――」
「もし私が人間じゃなかったら……」
反論しようとしたアントンに少女の声がかぶさった。けど、そのまま言いよどんで口をつぐんだ。そして、一瞬くもった顔をごまかそうと、少女はにっと笑った。
「あなたたちは、聖者の使いなんでしょ。飛べるトナカイは聖者の使いだって、お母さんは言ってたわ。私も聖者のお手伝いをさせてほしいの」
「飛べるって、飛んでるところを見たのか」
「ええ」
ほらみたことか、とルドルフはアントンをにらんだ。アントンはカイの後ろに顔だけ隠した。
「ね。お願い。聖者に相談してもらってもいいかな。……あ、お母さんが呼んでるから家に戻らなきゃ。よろしくね」
立ち去る少女とともに風がぶわりと通り抜けた。少しだけ強くなった雪がトナカイたちにパシパシとあたり、ルドルフは目を細めた。
「こんなところに家なんてあったか」
「あたっけ。なかったっけ」
「見たことないな。引っ越してきたんだろ」
カイが自分のソリに肉を放りこんだ。ごとりと重い音がした。アントンはまだ「あったけ。なかったけ」と考えこんでいて、肉の存在をもう忘れている。
「さぁ、雪が積もる前に仕事だ。一番多く収穫したやつが俺の角を食べるんだ」
ルドルフのかけ声に二匹は、お尻にある小さなしっぽをぴょこぴょこ振って仕事に取りかかった。
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