長谷部圭一の話

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ

長谷部圭一の話

プルルルル… 新大久保駅前から程近い雑居ビルの三階の部屋のドアに掲げられた 「長谷部探偵事務所」 の看板の奥から固定電話の呼び出し音が聞こえる 「はい!長谷部探偵事務所です」 先程二人掛けのソファを一人豪快に使って仰向けに寛いでいた長身の男がガバッと飛び起きて電話の応対をした 「…ああ…ああ…ああ… ああ!わかっているって!ちゃんと今月末には払いますよ! …ああ…ああ…はいはい…はい……じゃあ …ったくっ!」 男がチッと舌打ちした後苦い顔をしながらガチャン!っと受話器を置いた 何やら一見してあまり都合の良くない電話が掛かってきた様子なのが良く分かる 「…どうしようかなぁ… また、使うか?アレを…」 男は手を顎に置き、少しの間軽く思案する様に目玉を右左に動かした後 ガバッと立ち上がりジャケットを羽織り、 先程の電話を留守設定にして 入り口扉の方へ向かい 扉の裏側に掛けてあった 「只今出掛けております」 の掛け札を取り出し、 探偵事務所の扉を閉めて その掛け札を入り口扉の表川のフックに引っ掛けた 事務所の階段を下に降りながらスマートフォンを取り出し誰かに電話をかけ 「もしもし 俺だ どうだ?今から来れるか?新宿 ああ仕事だ ああ 着いたら連絡くれ」 手短な感じて用件を済ますと もう一度スマートフォンを使い 「もしもし 俺だ 今日仕事頼む いつもの場所で待機していてくれ」 ともう一つの用件も手早く済ませると その足でJR新大久保駅の改札へ向かって入っていった -新宿駅東口- アルタ横にあるみずほ銀行のATMコーナーの入り口の前に先程の長身の男は壁にもたれながら通りの中の人の動きをそれぞれ目だけで追っ掛けていた 目だけキョロキョロとしている事を悟られない様に目には薄い黒色の付いたサングラスをしており、その頭には裾の広がった帽子を目深に被っていた 彼の目の前を黒い鞄を持った30〜40くらいだろうか小太りの黒い縦縞の入ったスーツの男性がATMを利用しようと自動ドアの扉の中に入っていった 男は悟られない様に目だけでその男性を追いつつ、その男性の動きを隈なく観察していた 男性はATMマシンの前に立ち、ズボン後ろポケットの長財布を取り出すとカードを差し込み、暗証番号を押した 操作盤のパネルを操作し紙幣何枚か引き出すとその紙幣を長財布にしまい再びズボンの後ろのポケットにねじ込んだ 先ほどからその男性を観察していたその男は男性がATMの前に立った時からじっと目を瞑り(つぶり)身動き一つしなくなっていた そして男性が暗証番号を押している時 目を閉じた彼のそのサングラスの奥では恐らく目玉がキョロキョロキョロと動いているのであろう、目を閉じた瞼の肉で覆われた丸く盛り上がった丘の部分がギュルギュルと激しく動いていた しかし新宿の賑やかな喧騒の中ではその異様さに気付く人は誰一人として居ない 加えてその男は、だからこそ、その予防の為に帽子とサングラスを用意していたのだ 用件を済ませた先程の男性が、再び同じATMの扉から出て来ると男はそのみずほ銀行の前にある駅前待ち合わせ広場の方に目をやって そこの待ち合わせ広場の前の花壇にずっと前から腰掛けて座っている若い赤いジャンバーの男に目配せで合図を送った すると男は了解とばかりにスッと立ち上がり男と共にその男性の跡をつけた 男性は銀行前のクロスしている十字交差点を斜めに渡り、角のビックカメラの脇を抜けユニクロ、ビックカメラ前の通りを歩いていった そこで先程の長身の男、赤いジャンバーの男がその男性の後ろ近くで息を合わせたかの様にタイミング良く合流し 長身の男の方は、赤いジャンバーの男にさりげなく『ズボンの後ろポケットだぞ』 と分かる様なジェスチャーをした 合図を送ったところで長身の男の方は踵を返し、先ほどの道を少し戻ると、再び先程の交差点まで来て、信号が青になった所でその横断歩道を渡り、今度は反対の道路側を歩き、紀伊國屋まで来ると、その流れのまま、すうっと紀伊國屋一階の連絡通路の中に消えていった 長身の男と別れた赤いジャンバーの男は、その後直ぐに足早に駆け足をして狙いを定め、先程の男性の脇を強引にすり抜けると同時に、タイミング良く男性の脇を反対方向から歩いて来た外人の二人組にぶつかりそうになるのを ヒョイ! とばかりによけ、極自然な感じでスーツの男性にとんっ!とぶつかった 「あっ!すいませーん!」 赤いジャンバーはあまり悪気がない様に謝ると、そのまま足早に走り去って行った 紀伊國屋本館と別館の間にあるチケット売り場の前で先程の長身の男は立っていた 暫くすると先程の赤いジャンバーの男が伊勢丹の方向から小走りで駆けよって来て二人はその長身の男が立っていた位置で合流し、お互いに相対する体勢なった 「やったか?」 「やりましたよんっ!」 そう言って赤いジャンバーの男はそのジャンバーの胸のポケットから指三本で長財布を取り出し胸の前でヒラヒラさせた 「よし!じゃあ換金して来る」 「じゃあ圭さんいつもの口座にいつもの金額入金お願いしますよん! じゃあ、また必要な時は、い・つ・で・も」 と言って赤いジャンバーの男は、その長身の男にウインクすると、鼻歌混じりに去っていった 長身の男はその長財布を懐にしまい、歌舞伎町入り口の前を通り抜けJRのガード沿いをスタスタと歩いて行った そのガード下には幾人か段ボールを地面に引いて腰掛けている人が見受けられた 長身の男はその中に目を渡し 目的の男を見つけ、その前に立つと立ち膝になって屈んだ その段ボールをシート代わりにに座っている男達の中の一人で、着古したヨレヨレのスーツに、ボサボサの白髪混じり長い髪の老人だった 老人は鈍い目つきで、その長身の男を見上げた 長身の男は、先程の長財布を取り出し、その中からみずほ銀行のカードを引き出し 老人に手渡した 「じゃあこれ頼む 番号は2ー8ー8ー3」 「ん」 ヨッコラセっとばかりに その段ボールに腰掛けていた老人は立ち上がり、テクテクと歩いて行くと、西新宿駅前のコンビニの中に入って行った 長身の男は少し間を置いてその男の後をゆっくりとした足取りでついて行っていた そこで長身の男の方は、コンビニには入らずに入口が見える道路の反対側でその段ボールの老人が出て来るのを見守っていた 暫くして老人がコンビニから出てきて 手には先程のカードを握りしめ、その反対の手には、白い封筒を持って長身の男の元へやってきた 長身の男と段ボールの老人は少し人の邪魔にならない通りの凹み部分まで行き その封筒を開いた 長身の男はその封筒から一万円札数枚を抜き取ると、その段ボールの男性に手渡し、封筒は自身の胸のポケットの中に収めた 「ご苦労さん また仕事の時は連絡する」 「あいよ まいど」 と言って段ボールの男はその紙幣をポケットの中にねじ込み、元いた方向へゆったりと歩いて去って行った 長身の男は、そのままガード下を大久保方面へ通りながら、まず先程の長財布の中の紙幣を抜き取り、一応、中の名刺類、カード類をザッと確認すると ズボンのポケットから取り出したハンカチで長財布の内側、外側を丹念に拭き取り、そのままそのハンカチで長財布をクルリと包み ギョロリとサングラスの中から周囲に誰もいない事を確認しつつ、その近くの、外に出してあった飲食店のゴミ捨て用の蓋付ポリタンクの蓋を開けると、素早く先程の長財布を包んだハンカチ毎ポイっと投げ込んで、足早に新大久保方面へ向かっていったのであった その日の夜 新宿三丁目にあるバー「プリシラ」の店内 「圭ちゃんまたアレやってるー 新人の子見つけるとすぐそれ始めるんだからー アンタもそれ絶対乗っちゃダメよ! それ圭ちゃんのお得意でいつもの手なんだからー」 「おーいママ邪魔すんなよな! コレは俺にとって真剣勝負なんだから! 俺は、現金二万円、彼女は俺とのベロチューをかけての、し・ん・け・ん・しょ・う・ぶっ!」 圭ちゃんと呼ばれるその男は今日は機嫌が随分良いのか もうかなり酔っ払っているみたいで、既にロレツが良く回っていない 「ダメよーアケミちゃんお金に釣られちゃー! 今まで彼、一回もソレ外れた事無いんだから! 舌まで捻じ込んで来るわよ!コイツ!」 ママと呼ばれた濃いめの化粧に派手なカラフルなタイトスカートを履いたその男性はカウンターでタバコをふかしながら大きな声で話すと 「キャー!!」 と周りの他の女性客まで巻き込んで盛り上がっている アケミと呼ばれたこの地味な、恐らくこんな職業をする事も、こんな雰囲気のお店も全くの初めてだろうと一見して誰もが想像のつくこの女性は、お酒を作る手つきも覚束ない上にロクにお客さんと盛り上がる様な会話すら出来ていない感じであった この圭ちゃんと呼ばれる男が持ちかけた、その店でアケミと呼ばれた、恐らく新人と思われるその女性に対するそのゲームの内容は 彼が持ってきたトランプカードの中から一枚、彼女が引き抜き、そのカードを目隠しをした彼がズバリ当てて見せる、もし彼がそのカードの数字と種類を当てられなかったら 彼は現金二万円をその子に払う もし彼がそのカードを当てる事が出来たら、その場で彼とディープキスをする という申し出であった この店に新人の女の子がやって来ると いつも彼はその勝負を申し出、その度に彼はズバリそのカードを見事に当てているらしい 「…大丈夫です」 新人とは言えお客さんとの会話すらまともに出来てさえいなかった彼女は 急にそれには自信があると言わんばかりの様な目付きをして 気丈に答えた わー! と店内は一気に盛り上がって何か一つのショーが始まったかの様な雰囲気となった 「大丈夫ぅー?」 とママ 「良いじゃん!良いじゃん! 彼女、かなりな勝負師だよ! よっしゃーっ!やろうやろう!」 彼は一旦、腕まくりしてから、トランプカードを箱から開けて皆に見える様に広げて見せた 「さーて皆さんが証人だ よーく調べてもらっても良いぜ! このトランプは何の仕掛けもない普通のトランプだよな? 調べたら俺は目隠しするから そしたら彼女に一枚トランプを抜いてもらってくれ そしたら俺がそのカードを当てて見せる どうだい?簡単だろ? じゃ、準備だ 誰か俺に目隠ししてくれ 下からも見えない様にな」 「じゃあアタシがやるわよ! ウチの子をアンタなんかの餌食にさせる訳にはいかないから!」 とママが店にあった黒いカウンタークロスを細長く幅広に折り始めた やがてママがその男の目をすっかり覆いテーブルの上にトランプカードが束になって置かれ、準備は整った 「さあ いつでも良いぜ!」 テーブルに彼と相対する様に座った彼女は黙ってその中からトランプを一枚引き、周りでその様子を興味深く取り囲んでいたギャラリーにも見えない様にそのカードを覗きこむと、裏返した形でそのカードをスッとテーブルに置いた 「はい 良いです」 その間その男は確かに身じろぎ一つ怪しい動きをする事もなくその両手をテーブルの角に置き 彼女との勝負をその口元だけはニヤつかせながら待っていた その間、ママさんやその周りが彼女を何とかして負けさせまいとして彼と彼女の間に入ったり、周囲に変化がないか見守ったりしたりしていた、が、本当にその男は全く身じろぎもせずに、怪しい動きは何一つしていなかった 「…」 男はテーブルに手を置いたその体制を全く変える事なく、そしてその不敵な笑みを浮かべながら、 「スペードの八!」 と端的に言い放った ワッと一瞬、周りは盛り上がったが、すかさず皆真剣な、息を飲む様な空気に変わり 今度は、彼女が選んだカードをゆっくり表にめくるのを待った 男の方は相変わらずそのニヤニヤを止める事なく、ゆっくり目隠しを外しながらその結果を見守った ゆっくり彼女がそのカードを裏返すと その端に何やら赤い絵柄が見えてきた 結果は… ハートのジャック!! 「あ…れ…⁈」 男は素っ頓狂な声を上げたと同時に にわかなショーの会場となった周囲はワッと盛り上がった! 「では遠慮なくコレ頂きます」 アケミと呼ばれる女はそのテーブルに置かれた二万円を手に取った 「やったわね!アケミちゃん!」 「いや!いや!それは無い! ちょっとちょっともう一回やろう!もう一回!」 男は慌てる様に彼女にもう一度の勝負を促した 「良いですよ」 深夜の新宿三丁目、バー「プリシラ」からはその日の夜は特により一層外にまで聞こえるくらいの大きな歓声と笑い声がいつまでも響き渡っていた
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!