尾行

1/1

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ

尾行

次の日 長谷部圭一は例のマンションの前にある公園のベンチに腰を下ろしそのエントランスを伺っていた ほんの二、三日の依頼にはなったが、それでも最近数少ない依頼の中では多少なりともの収入にはなるので有難い 依頼主の藤井啓太からその男の特徴は聞いていた 初日は朝八時から休憩を間に挟んだ計算として、夜の七時迄、マンションの出入りを監視する、写真は無いのでその特徴の男が出てきたらスマートフォンで撮影して藤井啓太に画像を送る、その男と確認出来れば、その男の後を付けてその行動を探る という手筈になった 長谷部は、まぁそんなに事が上手くはいかないだろうなぁと思っていた その男がシルバーに近い髪を染めている事、右足が悪いらしく、右の足を引きずる様に歩いている事 そんな男がまともな仕事に就いている訳も無く、朝早くから出歩いたりする筈が無い、そんな男だったら、もしかしたら殆ど外へ出たりしないんじゃないか? なんて今迄の探偵業ので経験で思いながらそんな風に想像した まぁ、あまり金の取れない客だから二日、三日見張って、ヤツは出て来なかったよ と諦めさせても良いな とも思っていた 正直言うと、自分と同じ様に、人とは違う能力を持っていてその能力を使う奴の、ソイツのチカラの使い方が気になる事も確かであった でも妙に、ここの所急に、自分の目の前にその能力の使い手が何人も現れやがった 長谷部はそれを特別、仲間が出来た!とか、自分以外にも居たんだ!とかいった驚きとか歓迎の気持ちは全く無かった 自分も持っているくらいなのだから、あぁ他にもやっぱり居たのだなぁ くらいの感覚でしか無かった 自分はその不思議な能力に気付いた時 長谷部はこの能力を、何か自分が得をする事に使えないかな?と先ず、真っ先に考えた 最初はこの能力をあたかもマジックの様に使って女の子にモテる事に使う事を思いついた 実際、結構この手で女の子にかなりウケた それで少しは良い思いもする事が出来た やがて高校を卒業する時期になり、この能力でカンニングでもして大学に入れないかなとも思いついたが 実際、それは不可能だった 先ず、この能力を試験の場で発揮するには 絶対合格する奴一人をその会場の中から見つけ出さなくてはいけない、そしてその相手の頭に意識を集中して、集中する為には、自分は目を瞑り、意識を集中して、相手の意識の中に入り込む、そして、その見ている物を覗き込み、今度は自分は、目を開きその見た物を自分の試験用紙に書き込む、そしてまた、相手の意識の中に入り込んで… そんな作業が限られた試験時間の中ではとても出来る事では無かった そんな訳で、大学という選択は諦め、仕事に活かせる道を探った訳だが、マジシャンという選択肢はあまりにも安直で、何より、自分が出来るマジックの種類がどうしても限定的で限られてしまって、とてもこの先ずうっと人を惹きつけ続けるという様な一流の仕事を出来るという確信が持てなかった そこで思いついたのが探偵業だった 探偵業であれば人が中々覗けない人の秘密の書類や、メモ、メールや番号も俺ならば知る事が出来る コレはいけるんじゃ無いか? という考えから、長谷部は探偵業をやって試してみる事にした 最初は弱小の小さな探偵会社に入社し、そのノウハウを学んで、その実践を試してみた 其処で、その長谷部の考えは、見事、実際に当たり、その探偵社の中で長谷部は若手の中では他の誰よりも素早く情報を収集し、時には決定的な証拠を掴んで、同僚からも一目置かれる存在となった この能力は使える! その確信から長谷部は早々とその探偵社を去り、ここ新大久保に事務所を借りて独立したのだ 最初は先に勤めた探偵社の評判から仕事の依頼は殺到して、一人ではとても捌き切れずない位で、他の何人かの学生時代の仲間を誘って仕事をこなしたのだが、他の人間は、特に特別な能力もある訳が無く、ましてや、探偵業なんて何も学んでいない素人ばかりの集まりなもので、長谷部の手元使いにすらなら無い程度であった為に、ちっとも仕事の成果が上がらなかった やがて結局は、自分一人がこなせる程度の仕事量を受け付ける程度にして、その人間も辞めさせ、自分とその手伝い程度の人間にして、その業務を続ける様になったのだが、 そうすると自然、その仕事の依頼数も比例して少なくなって、結局は長谷部探偵社の仕事の依頼という物は、他の例に漏れず、その殆どは浮気調査の類いとなり、時には、その月の経費ですら捻出するのが危なくなる程にまでなっていった そこで苦肉の策として閃いたのが、あの技であった その手口は先ず、長谷部が銀行のATMに入る人物をチェックしながらそのカードの暗証番号を覗く、そしてそのカードの入った財布の収め所を確かめる その人物が外に出た所で、長谷部が仕事の関係でたまたま出会った、長谷部が恩を一度売った事のあるチンピラの、スリ役の男にその財布をスらせる スった男から長谷部が財布を受け取り、今度は現金引き出し役の男にそのカードを渡し、引き出し額いっぱい迄そのカードを使って預金を引き出す それぞれの役回りの男達には後で長谷部から報酬として一定の金額を払う話にしてある 今まで足が付いたり、勿論、捕まった事は一度も無かった ただこれだけ巧妙な段取りの仕事であったが、コンビニでの引き出しも、限度額が限られている上、足が付かない為に素早くその証拠は処理してしまう為に、一枚のカードで同じ作業を何度も出来る訳が無く、加えて、その自身の安全の為に二人の人間にはそれなりの金額を支払う事にとなるので、 思いの外、自分の実入りは実際はあまり多くは無い ましてやその手段はそれでも身の危険を考慮し、よっぽどの事が無いと使わない様にしていて、財政が緊急に、かつ逼迫した時だけの行為に決めていた 今回の依頼は奇妙であるが、他の退屈な浮気調査等の凡庸な仕事内容と違って中々興味のある内容であったが 長谷部にとって最近の数少なくなった業務依頼の中では、その興味より、多少なりともの幾ばくかの収入源としての重要性の方が優っていた ただあのまだ二十歳そこそこの若輩者の懐具合からすれば最終的にも大した金額迄は取れないであろう ともすれば逆にこのニ、三日、彼の依頼通りに動いて、それなりの結果(実際、長谷部にはそれがどんな結果であっても構わないが)を出して 貰うもの貰って次の依頼が来る事を期待した方が得策だな その様に考えていた 公園のベンチで朝から張り込んでから約数時間、腰はジンジンと痛くなり始め、朝は随分と心地良かった今日の初夏の日差しさえも、少し暑く感じる程になってきた頃 長谷部が一度、公園のトイレで用を足して、昼食代わりのパンを口に咥えながら先程のベンチに戻って来て座り、ほんの少しだけ経った時だった あのマンションのエントランスから 確かに髪を銀髪にして右足を引き摺った男が出てくるのが見えた 「おい!マジか⁈」 長谷部は思わず声を上げ、あわててその腰を上げた 「イテテ…」 腰が若干ミシッという音を立てた様に感じ、ベリベリっとベンチからその臀部を剥がす様に立ち上がり、その男を追いかけた 足を引き摺って歩くその歩みは、もう中年に差し掛かっている長谷部圭一とは言え、まだ一応は健全な身体をしていたので、その尾行は容易だった 歩きながら長谷部はスマートフォンのカメラを向け、アプリによって音の立たない機能にしたそのカメラ機能を使ってその姿を撮影し、前原啓太へその写真を送った 丁度向こうは昼休みの時間だったらしく、写真を送ったメールの返事は直ぐ返って来た 「そうです。その男です」 男は駅へ向かって歩いて行き、そのまま恵比寿駅の改札を入って 山手線のホームに登って行った そこから新宿方面の電車に乗って、渋谷で降り、渋谷の西口から駅を出て行った 長谷部はゆっくり、そして一定の距離を保ちそのゆっくりした足取りを追いかけ、彼が何処へ向かうのか慎重に付けて行った 渋谷の西口方面は、長谷部にとっては仕事でも、プライベートでも最近は意外に中々来ない場所で、そこを降りると此処は、このところずっと工事をしているらしく、駅前から工事の防音壁やらガードレールが並んでいた その工事の関係上であろう、ガードレールで囲われた島の様な一角が存在し、都会の駅前の環境にも関わらず、其処へは一般の人が入り込めず、人の行き交いの無いスペースがあった そこの周りの喧騒さとは全く無縁かの様に、その都会の中でポッカリと空いたその空間の中に、自分の居場所を見つけた一人の、上下グレーの長袖の作業着風な出立ちで、鍔のついた帽子を目深にかぶっているホームレスが腰を下ろしていた そのホームレスはこの世に何かしらの不満があるのか、それとも今迄の自分の不幸を嘆いているのか、片膝座りで小さな幾つかに重ねられている段ボールの上に座りながら何事か一人ブツブツと呟いていた ズルズルと足を引き摺り歩きながら銀髪のその男は 今まで当てもなく街を彷徨い歩いている様に見えたその足を止めて、そのホームレスを囲んでいるそのガードレールに、あたかも誰か人を待っているか、又は少し休んでいるかの様な素振りでその腰を寄せ、もたれかかった ホームレスはその中でまだ何かブツブツと呟いている すると長谷部がずっと尾行していた男はガードレールにその腰を預けながら口元を手で覆い やはりブツブツと何か呟いている様に長谷部には見えた 長谷部はその男から見えにくい位置に場所を取り、自然な風を装いながらその様子をじっと観察した ガードレールの中で腰を据え、上下左右に気持ち揺れる様にしながらブツブツと呟いているホームレスの男 そのホームレスの男に背を向けガードレールにもたれながら口元を押さえて何やら小声で呟いている銀髪の男 渋谷のこの駅前の慌ただしく行き交う人の中ではその程度の奇妙には気が付く者など誰一人として居ない この銀髪の男を仕事の目的でずっと付けて来ているこの探偵・長谷部圭一以外は、だ やがてガードレールの中でブツブツと呟いていた男の声色が段々と大きくなり、その中でやがて周囲にも聞こえる程に、その言葉の中に 「チクショウ!」 だとか 「やってやる!」 だとか人を呪う様な、罵る様な言葉が多く含まれて来るのが分かる様になって来た 不意にその男は大きく人を罵る言葉を放つと、その日一日を凌ぐ程度のカロリーしか持ち合わせていないであろうその身体を、ビックリする位の勢いでガバリ!と立ち上がらせ、その右手には先程まで自分の腰を落ち着かせていた小さく畳まれた段ボールを持ち、振り上げ、大きな声で何やら罵り声を上げながら、ヒョイとそのガードレールを跨いで国道246号の交差点迄大股で歩いて行った その先は人の通りは上に陸橋が有り、横断歩道の無い車だけが行き交える交差点だった ホームレスのその男はまだ大きな声で罵りながら、その右手に段ボールを掴み、振り上げながらのしのしと歩いてゆく 走行中のタクシーなどはその異変にいち早く気付いて大きくクラクションを鳴らす その音に驚いて振り返った上を通る通行人の中でも、その異常に気付いた者は、呆気に取られているか、又は、危ないぞっ!と声を出しているかだった 長谷部はその異様な一部始終の光景にポカーンと口を開けながらその様子を見ていたが ハッとして先程の銀髪の男の行動を振り返ってて見た その男は今はもう既に先程腰掛けていたガードレールからは離れ、相変わらず口元では何事か呟きながらその左手ではスマートフォンを縦に掲げ持ち、そのホームレスの男の様子を録画している様だった そしてその男の目つきを見て長谷部圭一はゾッとした その目は確信して 笑っていた。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加