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「ただいま」
仕事帰りの兄の始が台所を覗いて微笑む。市役所勤めなので濃紺のスーツにきっちりネクタイを締めている。一日仕事をしてきた筈なのに乱れがない。昔から優等生然とした姿が乱れるところを見たことがない。しかも成績も良かったので親戚の集まりや学校でよく、自慢のお兄さんね、と言われた。
そんな完璧な兄はテーブルの上の料理を見つけて感嘆の声を上げる。
「すごいなぁ。お節?」
「おかえり。うん、暇だから作ってた」
「さすが料理人。美味しそうだ」
「晩飯温め直すから待ってて」
「いいよ。自分でする」
そう言って台所を出て行った。多分手を洗ってコートとスーツの上着を掛けに行った。遠くでする水音を聞きながら兄が連れてきた冷たい空気を嗅ぐ。冬の水分が多い匂いと衣類の洗剤と兄の体温が仄かに混じった匂い。
すぐに暖かい台所の空気に混じってしまった残り香に鼻をすんと鳴らして光はホーローの鍋を覗き込んだ。炊き上がった黒豆は艶々と光っている。幾つかはやはり皮が破けたけれど、ふっくらとしていて思ったよりは綺麗に仕上がった。火を止めると兄が帰ってきた。
ワイシャツの上にグレーのカーディガンを羽織った兄はぶりの照り焼きとかぼちゃの煮付けを見つけて嬉しそうな顔をした。
「兄ちゃん和食好きだよね」
「光の作るご飯はなんでも好きだよ」
そう嘯いて照り焼きの皿を電子レンジにかける。
昔から兄は恥ずかしげもなく人を褒める人だった。忙しい両親の代わりに兄弟に目をかけて、一人一人の長所を誉めた。充は決めたことをきっちり出来るところが凄いよ。花は周りの人の困っていることに気づいてあげられる優しい子だね。葵はいつもにこにこしてて皆んなを元気にしてあげられてるね。
自分はなにを褒めてもらっただろうか。箸を出して湯呑みに茶を淹れる兄の背中を眺めながら思い出す。
光は−。
光は自分のやりたいことをやり通せるところが素敵だね。
そんな風に兄に褒められたことがあった。
「いつも兄ちゃんがそう言ってくれるから作りがいがあるよ。ありがとう」
だから光も兄を褒めてみたくなった。子どもだった時はとても言えなかったけれど、面の皮が厚くなったいまならすんなりと言えた。
白米をよそっていた兄は驚いた顔をした。
「光も大人になったね」
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