2人が本棚に入れています
本棚に追加
2
エスカレーターで一階まで下り、非常口へ向かう。
どの階も店が立ち退き、すべてがなくなっていた。
建物自体が変わってしまったように思えた。
もしかして、停電の間に何かされたのだろうか。
誰かにさらわれてしまったのだろうか。
変な想像が頭の中に浮かんでは消える。
しかし、私の前を歩く女の人が悪い人には見えない。
あの涙も嘘じゃないんだろうし、センセイを探していたのも本当のことなのだろう。
あんな嬉しそうに笑いながら、タチバナさんと話しているのだ。
彼女の言っていることは全部本当のことだ。
彼は振り返るたびに、こちらに助けを求めるような視線を投げてくる。
ごめんなさい、私じゃ無理です。
そのたびに両手を合わせて、頭を小さく下げる。
非常口の扉を開けた瞬間、子どもたちの叫び声が上がった。
幼稚園児から小学生までの子どもたちが10人程度、狭苦しい通路に集まっていた。
「せんせー! 帰ってきたんだな!」
「ちょー怖かった!」
タチバナさんの足元に引っ付く。
わんわん泣きながら、ズボンの裾をひっぱる。
「とりあえず、君たちも元気そうでよかったよ……」
群がる彼らの頭を撫でながら、首を横に振る。
ダメだ、これ以上は無理。
半分泣いているように見えるのは、なぜだろうか。
「先生も長旅で疲れているみたいですから。
あとでゆっくりご挨拶しましょうか」
女の人がたしなめると、元気な返事が返ってきた。
なんというか、昔の自分みたいだ。
ああいうふうに、困らせていたのかな。
今になって夏美の言う「目立っていた」の意味が分かった気がする。
「ねー、あの人は?」
一人が私を指さす。
「彼女もここで避難していたそうです」
「こんにちは! 私、キスカっていいます!
よろしくお願いします!」
その場で頭を下げる。
うさぎのぬいぐるみを抱いている女の子が話しかけてきた。
しゃがんで、目線を合わせる。
「ね、おねーちゃんも、雨でけがしちゃった?」
「雨?」
「そう。まいにち、ふってるでしょ? だいじょうぶ?」
「私は平気だよ。ここにずっといたから」
「ずっと……?」
不安そうに見つめている。
そんな暗い表情をさせちゃだめだ。
「でも、そんな長い時間じゃないから。
通りすがりに建物に入って、雨宿りしてたんだ。
本当に助かっちゃった」
「そっか。よかった」
ほっとしたように笑う。
その子は私の手を握りしめる。
「おねーちゃんといっしょ」
子どもたちが落ち着いてから、細い通路をずっと歩いていた。
天井の蛍光灯は冷たい光を放っている。
「あの、彼女と知り合いなんですか?」
こっそりと聞こえないように、タチバナさんに話しかけた。
「そんなわけないでしょう。
適当に話を合わせているだけだ」
その割には、会話が成り立っている。
コミュニケーション能力が高いというか、頭がいいんだな。
その上、見た目もいいだなんて、完璧じゃない。
「細かいことはまた後でいい?
私、かなりランクが高い役職にいるみたいだから」
「そうなんですか?」
「どうも他にも先生がいて、彼らのまとめ役だったらしい」
「教頭先生みたいな感じですか?」
「まあ、そんな感じなんだろうなあ……何でこんなことになったんだろう」
ため息をついた。
最後の一言は聞こえないように、空気と混ぜるようにつぶやいた。
「あの子たちからも話を聞いてみてくれないかな。
ここの人たちは何かを抱えているみたいだから」
目を細めて、前を歩く彼女を見る。
今は子どもたちの話し相手になっている。
わいわいと大騒ぎしながら、ずっと話している。
「大丈夫。事情がそれぞれあるから、より複雑に見えるだけで、意外とシンプルなもんなんだ。誰かに話すだけでスッキリすることも、あるだろうしね」
今は元気に見えるだけで、本当は悲しい何かがあった。
誰にも気づかれないように振舞っているのかもしれない。
見えない何かを見抜いたんだ。
「とにかく、今は情報が欲しいからね。
人の言葉をちゃんと聞いて、相手から話をさせるようにね」
とんでもないことを言ってのける。
自分からあれこれ話したがることが多く、聞き役に回ることは滅多にないというのに。
「ここまでうまくいくと後が怖いよ……」
ふたたび誰にも聞こえないように、低い声でぼやいた。
最初のコメントを投稿しよう!