1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

エスカレーターで一階まで下り、非常口へ向かう。 どの階も店が立ち退き、すべてがなくなっていた。 建物自体が変わってしまったように思えた。 もしかして、停電の間に何かされたのだろうか。 誰かにさらわれてしまったのだろうか。 変な想像が頭の中に浮かんでは消える。 しかし、私の前を歩く女の人が悪い人には見えない。 あの涙も嘘じゃないんだろうし、センセイを探していたのも本当のことなのだろう。 あんな嬉しそうに笑いながら、タチバナさんと話しているのだ。 彼女の言っていることは全部本当のことだ。 彼は振り返るたびに、こちらに助けを求めるような視線を投げてくる。 ごめんなさい、私じゃ無理です。 そのたびに両手を合わせて、頭を小さく下げる。 非常口の扉を開けた瞬間、子どもたちの叫び声が上がった。 幼稚園児から小学生までの子どもたちが10人程度、狭苦しい通路に集まっていた。 「せんせー! 帰ってきたんだな!」 「ちょー怖かった!」 タチバナさんの足元に引っ付く。 わんわん泣きながら、ズボンの裾をひっぱる。 「とりあえず、君たちも元気そうでよかったよ……」 群がる彼らの頭を撫でながら、首を横に振る。 ダメだ、これ以上は無理。 半分泣いているように見えるのは、なぜだろうか。 「先生も長旅で疲れているみたいですから。 あとでゆっくりご挨拶しましょうか」 女の人がたしなめると、元気な返事が返ってきた。 なんというか、昔の自分みたいだ。 ああいうふうに、困らせていたのかな。 今になって夏美の言う「目立っていた」の意味が分かった気がする。 「ねー、あの人は?」 一人が私を指さす。 「彼女もここで避難していたそうです」 「こんにちは! 私、キスカっていいます! よろしくお願いします!」 その場で頭を下げる。 うさぎのぬいぐるみを抱いている女の子が話しかけてきた。 しゃがんで、目線を合わせる。 「ね、おねーちゃんも、雨でけがしちゃった?」 「雨?」 「そう。まいにち、ふってるでしょ? だいじょうぶ?」 「私は平気だよ。ここにずっといたから」 「ずっと……?」 不安そうに見つめている。 そんな暗い表情をさせちゃだめだ。 「でも、そんな長い時間じゃないから。 通りすがりに建物に入って、雨宿りしてたんだ。 本当に助かっちゃった」 「そっか。よかった」 ほっとしたように笑う。 その子は私の手を握りしめる。 「おねーちゃんといっしょ」 子どもたちが落ち着いてから、細い通路をずっと歩いていた。 天井の蛍光灯は冷たい光を放っている。 「あの、彼女と知り合いなんですか?」 こっそりと聞こえないように、タチバナさんに話しかけた。 「そんなわけないでしょう。 適当に話を合わせているだけだ」 その割には、会話が成り立っている。 コミュニケーション能力が高いというか、頭がいいんだな。 その上、見た目もいいだなんて、完璧じゃない。 「細かいことはまた後でいい? 私、かなりランクが高い役職にいるみたいだから」 「そうなんですか?」 「どうも他にも先生がいて、彼らのまとめ役だったらしい」 「教頭先生みたいな感じですか?」 「まあ、そんな感じなんだろうなあ……何でこんなことになったんだろう」 ため息をついた。 最後の一言は聞こえないように、空気と混ぜるようにつぶやいた。 「あの子たちからも話を聞いてみてくれないかな。 ここの人たちは何かを抱えているみたいだから」 目を細めて、前を歩く彼女を見る。 今は子どもたちの話し相手になっている。 わいわいと大騒ぎしながら、ずっと話している。 「大丈夫。事情がそれぞれあるから、より複雑に見えるだけで、意外とシンプルなもんなんだ。誰かに話すだけでスッキリすることも、あるだろうしね」 今は元気に見えるだけで、本当は悲しい何かがあった。 誰にも気づかれないように振舞っているのかもしれない。 見えない何かを見抜いたんだ。 「とにかく、今は情報が欲しいからね。 人の言葉をちゃんと聞いて、相手から話をさせるようにね」 とんでもないことを言ってのける。 自分からあれこれ話したがることが多く、聞き役に回ることは滅多にないというのに。 「ここまでうまくいくと後が怖いよ……」 ふたたび誰にも聞こえないように、低い声でぼやいた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!