第13話 花嫁は涙に濡れて

1/1

41人が本棚に入れています
本棚に追加
/67ページ

第13話 花嫁は涙に濡れて

 モーシンという貴人は野性味の溢れる男だった。この寒空の下でも、素肌に深紅のマントを羽織り、丈不足のズボンで腿をむき出しにしているのだから。風が吹き付ける度にゴツゴツとした腹筋が露わになり、また歩むごとにスネまで素肌が雪に埋まる。  それ寒くないのか、とリスケルは聞きたくなるが、やめた。父譲りの筋肉トークが繰り広げられる未来が見えたからだ。 「随分と上機嫌だな」  リスケルは喜色満面のモーシンに言った。 「それはもう。待ち望んだ花嫁と会えるのですから、この記念すべき出立の日を生涯忘れないでしょう」 「言っちゃあ何だが、政略結婚だろ? そこまで熱心になるもんかね」 「そこを突かれると痛いのですが、私の想いは本物ですぞ」  モーシンはマントの内ポケットより、一枚の絵を取り出した。白木の額縁は年季がこもっており、所々に黒ずみが見えた。 「婚約が成った日に送られた絵です。儚げだが知的な瞳、美しい佇まい。私は来る日も来る日もこの絵を眺め、心の中で対話を重ねました。辛く苦しい時などは特に救われたものです」 「じゃあ、会う前から気持ちは高まってると」 「たとえ悪女であろうと、彼女に拒絶されたとしても、生涯愛し抜くと決めております。貧しき我が王家が用意できるのは真心くらいですからな」  そこまで言うと、モーシンの曇りなき瞳がリスケルに注がれた。これは面倒になりそうだ。嫌な予感が駆け抜けると、アツい怒号が鳴り響いた。 「だからせめて強くなりたい。この旅で私は更なる研鑽を重ね、叶うなら聖者殿の強さの秘密を掴みたいのです!」 「強さの秘訣って言われてもな……」 「ご謙遜を。この雪の中を徒歩で移動されている。普通はソリのひとつも手配すべき所を、あなたは己が脚で歩くと申されたのだ。そのような何気ない行動に、秘訣が隠されていると睨みましたぞ!」  リスケルは苦笑いを浮かべた。単に旅費をケチった結果だという事は伏せておくべきか。 「ゆえに遠慮はいりませぬぞ。身分などはひとたび忘れ、何なりとご用命ください。それこそ小間使いのように!」 「ふぅん。殊勝な心がけですわね。では水を汲んできなさい」 「承知でございますぞ!」  モーシンはセシルの冗談を真に受けてしまい、猛然と雪の中を駆けていった。息をはずませてまで戻った彼は、差し出した手桶を投げつけられ、頭から冷水を浴びせられてしまう。 「この役立たず! この程度の仕事を10秒で片付けられず、よくもおめおめと!」 「も、申し訳ございませんセッちゃん殿!」 「しかも水が半分もない、溢しましたわね?」 「それも重ねて申し訳ございませぇぇん!」 「やり直し! 次は満杯で寄越しなさい」 「お、おい。あんまり調子に乗るなよ」 「止めないでくだされ聖者殿。これは足腰と体幹のトレーニングになりますので!」 「あぁ、そう。だったら好きにしてくれ……」 「うぉぉ愛の力ぁぁーーッ!」  移動中は始終そんな風であったので、雪景色の静けさとは無縁の旅路となった。  やがて雪国を抜け、ミッドグレイスの王都へと辿り着く。赤レンガの映える城下町はスノザンナよりも一回りほど狭く、小ぶりな家屋が目立つ。大通り沿いには老舗の商店が立ち並び、一応の人出はあるのだが。 「何やら暗いな。前の街に比べて沈鬱ではないか」  ネイルオスはすれ違う人の顔色を眺めて、素直に言った。確かに大半の人々は痩せこけており、瞳に生気を感じさせなかった。 「リスケルよ。もしやこれが人の世の日常なのか?」 「いや、そんな事はない。ここの人はだいぶ疲れてんな」 「きっと魔族どもに苦しめられているのですな。婚礼を記念に奴らなど根絶やしにしてやりましょう!」  勇ましくモーシンが拳を握る。だがその精悍な顔は、小さな悲鳴とともにクシャッと歪む。セシルが足先を踏みつけにしたのだ。 「痛ッ……!?」 「あらゴメンあそばせ。トロットロ歩いてて邪魔でしたの」 「いや、それは、失敬!」  こうして騒がしく進むリスケル達は、街の中では異質な存在なのだが、人々は一向に興味を示そうとしなかった。その無関心ぶりに、リスケルは不吉なものを覚えつつも城を目指した。  ようやく眼にしたミッドグレイス城は、湖面に囲まれた所にあった。天然の水堀は景観が良いだけでなく、押し寄せる外敵を拒んでいくれる。その証に、唯一の通り道である橋は所々に矢傷が刻まれている。歴史の古い国は城と共に歩むものなのだ。 「衛兵のお二人、ごくろーさん。スノザンナの王太子を連れてきたぞ」  橋の入り口でそう告げると恭しい拝礼が返された。奥の詰め所も騒がしくなり、狼煙(のろし)がモウモウと青空に浮かび上がる。もちろん通行は許可。橋のなだらかな曲線を足でなぞっていった。  すると橋の向こう側に大勢の人が立ち並ぶのを見た。中央には王冠を被る男の姿まである。 「これはこれはモーシン殿。はるばるご足労いただき光栄ですぞ」  ミッドグレイスの国王は小太りだった。向き合って立つ両者は、同じ王族とは思えないほどに体格差が激しい。  比較的手厚い歓迎を受けたモーシンは、感激のあまりに声を大きくしてしまう。 「国王陛下、いや、義父上みずからのお出迎え、恐悦至極にございます!」 「おぉ、噂に違わぬ偉丈夫ぶり。末の娘を預けるのに相応しいのう」 「さっそくではありますが、フィーネ王女はいずこに?」  辺りを見渡してみても、並ぶのはメイドや衛兵ばかり。王女の姿は見つからなかった。 「案内しながら説明しよう。こちらへ」 「なんと。宜しいのですか、陛下ともあろうお方が下女のような振る舞いを」 「良いのだ。せめてもの詫びである」  ミッドグレイス王は視線で促すと、先導きって歩きだした。リスケル達もその後に続く。 「モーシン殿。期日に間に合わず申し訳ない。中々、婚礼の用意が追いつかなくてな」 「そのような事情があったのですな。納得です」  リスケルは、この王が酷く見栄っ張りである事を知っている。装飾とやらも、かなり凝ったものなんだろうと想像した。 「問題はそれだけですかな?」 「いや、実のところ、もう1つある。そちらの方が厄介やもしれん」 「もう1つとは?」 「まぁ、論より証拠と申すだろう」  王は渋面のままで扉を開けた。そこは貴人の部屋らしく調度品は高級品ばかりが並べられていた。しかしそれらの品々が霞むほど美しい娘が、窓際の椅子に腰掛けていた。 「フィーネよ。客人だぞ、許嫁のモーシン殿だ」  王は厳しい声を出したのだが、王女は身じろぎすらしない。彼女の瞳はうつろで、窓の向こうを見つめるばかりだ。  この今にも消え入りそうな女性。リスケルは過去に面識があったのだが、ここまで生気の無い人とは覚えがなかった。まるで魂でも抜かれたようだとすら思う。 「挨拶くらいせんかフィーネ、無礼であろう!」 「まぁまぁ陛下。いきなり訪れた私が悪いのです。心の準備というものが必要でしょう」 「うむ、しかしだな……」 「フィーネ殿。モーシンです。貴女の事が待ちきれず、とうとう雪山から降りてきてしまいましたぞ。巣ごもりし損ねたクマのようにね」  モーシンは彼なりにおどけてみせたのだが、 返事は無言だった。 「まったく……困ったものだ。これも全ては魔族共に連れ去られて以来よ」 「それは確か、昨年の事件ですかな?」 「さよう。その折には聖者殿に助けられたので、大事には至らなかった。だが心に深い傷を負ったようだ」  リスケルは王の視線を感じたのだが、彼には心当たりがない。覚えている事と言えば、洞窟にたむろする魔族とその親玉を倒し、囚われの姫君を救出した事。他に覚えている事は僅かばかり。好奇心に触れるもののない、ありふれた一幕だったのだ。 「魔族に連れ去られた日より、この有様なのだ。結婚を機に変わると思ったのだがな……」 「あぁフィーナ殿。辛い思いをしたのでしょう!」  モーシンは憚(はばか)りもせずフィーネに歩み寄り、舞い踊る仕草を見せつけたかと思うと、彼女の手のひらに口づけをした。さすがは上流階級。ややくどい印象はあれど、動きは実に精練されていた。 「ご安心なされよ。この私が傍にいる限り、二度とそなたを危険には晒さない。命尽きるまで戦い抜く覚悟で……」  手を握られたフィーナは窓から視線を外し、ゆるゆると顔を戻すなり、恐怖に歪めた。 「い、いやぁぁーーッ!」 「どうしたフィーナよ、落ち着くのだ!」 「嫌、助けて! フアング、フアングーーッ!」 「いかん、発作が! 済まぬが、そなたらは外してくれ!」  リスケル達は言われるがままに私室を後にした。 「こりゃ話は簡単じゃなさそうだな」 「確かに。一筋縄ではいくまい」  締め切った扉の向こうでも金切り声は存分に聞き取れた。それを宥めるか、叱りつけるかの声が交互に漏れ伝わってくる。 「よっぽど怖い目に遭ったようだな。不安だ不安だって何回も繰り返してたし」 「えっ?」  リスケルの言葉にネイルオス達3人は眼を見開いた。セシルなどは「何言ってんだコイツ」という表情を隠そうともしない。 「小僧リスケル、寒さにオツムをやられましたの?」 「はぁ? なんだよそれ」 「リスケルよ。今のは固有名詞だ。獣魔王フアング。中部魔族を束ねるほどの男だぞ」 「えっ、それってつまり?」 「フアングに助けを求めたのだとしたら……厄介だな」  ネイルオスの端正な顔が鋭く睨んだ。その気配は、冗談の混じる余地など無かった。  何はともあれ情報だ。リスケル達は城の者に申し出て、城下町へと向かうことを決めた。
/67ページ

最初のコメントを投稿しよう!

41人が本棚に入れています
本棚に追加