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第13話 花嫁は涙に濡れて
モーシンという貴人は野性味の溢れる男だった。この寒空の下でも、素肌に深紅のマントを羽織り、丈不足のズボンで腿をむき出しにしているのだから。風が吹き付ける度にゴツゴツとした腹筋が露わになり、また歩むごとにスネまで素肌が雪に埋まる。
それ寒くないのか、とリスケルは聞きたくなるが、やめた。父譲りの筋肉トークが繰り広げられる未来が見えたからだ。
「随分と上機嫌だな」
リスケルは喜色満面のモーシンに言った。
「それはもう。待ち望んだ花嫁と会えるのですから、この記念すべき出立の日を生涯忘れないでしょう」
「言っちゃあ何だが、政略結婚だろ? そこまで熱心になるもんかね」
「そこを突かれると痛いのですが、私の想いは本物ですぞ」
モーシンはマントの内ポケットより、一枚の絵を取り出した。白木の額縁は年季がこもっており、所々に黒ずみが見えた。
「婚約が成った日に送られた絵です。儚げだが知的な瞳、美しい佇まい。私は来る日も来る日もこの絵を眺め、心の中で対話を重ねました。辛く苦しい時などは特に救われたものです」
「じゃあ、会う前から気持ちは高まってると」
「たとえ悪女であろうと、彼女に拒絶されたとしても、生涯愛し抜くと決めております。貧しき我が王家が用意できるのは真心くらいですからな」
そこまで言うと、モーシンの曇りなき瞳がリスケルに注がれた。これは面倒になりそうだ。嫌な予感が駆け抜けると、アツい怒号が鳴り響いた。
「だからせめて強くなりたい。この旅で私は更なる研鑽を重ね、叶うなら聖者殿の強さの秘密を掴みたいのです!」
「強さの秘訣って言われてもな……」
「ご謙遜を。この雪の中を徒歩で移動されている。普通はソリのひとつも手配すべき所を、あなたは己が脚で歩くと申されたのだ。そのような何気ない行動に、秘訣が隠されていると睨みましたぞ!」
リスケルは苦笑いを浮かべた。単に旅費をケチった結果だという事は伏せておくべきか。
「ゆえに遠慮はいりませぬぞ。身分などはひとたび忘れ、何なりとご用命ください。それこそ小間使いのように!」
「ふぅん。殊勝な心がけですわね。では水を汲んできなさい」
「承知でございますぞ!」
モーシンはセシルの冗談を真に受けてしまい、猛然と雪の中を駆けていった。息をはずませてまで戻った彼は、差し出した手桶を投げつけられ、頭から冷水を浴びせられてしまう。
「この役立たず! この程度の仕事を10秒で片付けられず、よくもおめおめと!」
「も、申し訳ございませんセッちゃん殿!」
「しかも水が半分もない、溢しましたわね?」
「それも重ねて申し訳ございませぇぇん!」
「やり直し! 次は満杯で寄越しなさい」
「お、おい。あんまり調子に乗るなよ」
「止めないでくだされ聖者殿。これは足腰と体幹のトレーニングになりますので!」
「あぁ、そう。だったら好きにしてくれ……」
「うぉぉ愛の力ぁぁーーッ!」
移動中は始終そんな風であったので、雪景色の静けさとは無縁の旅路となった。
やがて雪国を抜け、ミッドグレイスの王都へと辿り着く。赤レンガの映える城下町はスノザンナよりも一回りほど狭く、小ぶりな家屋が目立つ。大通り沿いには老舗の商店が立ち並び、一応の人出はあるのだが。
「何やら暗いな。前の街に比べて沈鬱ではないか」
ネイルオスはすれ違う人の顔色を眺めて、素直に言った。確かに大半の人々は痩せこけており、瞳に生気を感じさせなかった。
「リスケルよ。もしやこれが人の世の日常なのか?」
「いや、そんな事はない。ここの人はだいぶ疲れてんな」
「きっと魔族どもに苦しめられているのですな。婚礼を記念に奴らなど根絶やしにしてやりましょう!」
勇ましくモーシンが拳を握る。だがその精悍な顔は、小さな悲鳴とともにクシャッと歪む。セシルが足先を踏みつけにしたのだ。
「痛ッ……!?」
「あらゴメンあそばせ。トロットロ歩いてて邪魔でしたの」
「いや、それは、失敬!」
こうして騒がしく進むリスケル達は、街の中では異質な存在なのだが、人々は一向に興味を示そうとしなかった。その無関心ぶりに、リスケルは不吉なものを覚えつつも城を目指した。
ようやく眼にしたミッドグレイス城は、湖面に囲まれた所にあった。天然の水堀は景観が良いだけでなく、押し寄せる外敵を拒んでいくれる。その証に、唯一の通り道である橋は所々に矢傷が刻まれている。歴史の古い国は城と共に歩むものなのだ。
「衛兵のお二人、ごくろーさん。スノザンナの王太子を連れてきたぞ」
橋の入り口でそう告げると恭しい拝礼が返された。奥の詰め所も騒がしくなり、狼煙(のろし)がモウモウと青空に浮かび上がる。もちろん通行は許可。橋のなだらかな曲線を足でなぞっていった。
すると橋の向こう側に大勢の人が立ち並ぶのを見た。中央には王冠を被る男の姿まである。
「これはこれはモーシン殿。はるばるご足労いただき光栄ですぞ」
ミッドグレイスの国王は小太りだった。向き合って立つ両者は、同じ王族とは思えないほどに体格差が激しい。
比較的手厚い歓迎を受けたモーシンは、感激のあまりに声を大きくしてしまう。
「国王陛下、いや、義父上みずからのお出迎え、恐悦至極にございます!」
「おぉ、噂に違わぬ偉丈夫ぶり。末の娘を預けるのに相応しいのう」
「さっそくではありますが、フィーネ王女はいずこに?」
辺りを見渡してみても、並ぶのはメイドや衛兵ばかり。王女の姿は見つからなかった。
「案内しながら説明しよう。こちらへ」
「なんと。宜しいのですか、陛下ともあろうお方が下女のような振る舞いを」
「良いのだ。せめてもの詫びである」
ミッドグレイス王は視線で促すと、先導きって歩きだした。リスケル達もその後に続く。
「モーシン殿。期日に間に合わず申し訳ない。中々、婚礼の用意が追いつかなくてな」
「そのような事情があったのですな。納得です」
リスケルは、この王が酷く見栄っ張りである事を知っている。装飾とやらも、かなり凝ったものなんだろうと想像した。
「問題はそれだけですかな?」
「いや、実のところ、もう1つある。そちらの方が厄介やもしれん」
「もう1つとは?」
「まぁ、論より証拠と申すだろう」
王は渋面のままで扉を開けた。そこは貴人の部屋らしく調度品は高級品ばかりが並べられていた。しかしそれらの品々が霞むほど美しい娘が、窓際の椅子に腰掛けていた。
「フィーネよ。客人だぞ、許嫁のモーシン殿だ」
王は厳しい声を出したのだが、王女は身じろぎすらしない。彼女の瞳はうつろで、窓の向こうを見つめるばかりだ。
この今にも消え入りそうな女性。リスケルは過去に面識があったのだが、ここまで生気の無い人とは覚えがなかった。まるで魂でも抜かれたようだとすら思う。
「挨拶くらいせんかフィーネ、無礼であろう!」
「まぁまぁ陛下。いきなり訪れた私が悪いのです。心の準備というものが必要でしょう」
「うむ、しかしだな……」
「フィーネ殿。モーシンです。貴女の事が待ちきれず、とうとう雪山から降りてきてしまいましたぞ。巣ごもりし損ねたクマのようにね」
モーシンは彼なりにおどけてみせたのだが、
返事は無言だった。
「まったく……困ったものだ。これも全ては魔族共に連れ去られて以来よ」
「それは確か、昨年の事件ですかな?」
「さよう。その折には聖者殿に助けられたので、大事には至らなかった。だが心に深い傷を負ったようだ」
リスケルは王の視線を感じたのだが、彼には心当たりがない。覚えている事と言えば、洞窟にたむろする魔族とその親玉を倒し、囚われの姫君を救出した事。他に覚えている事は僅かばかり。好奇心に触れるもののない、ありふれた一幕だったのだ。
「魔族に連れ去られた日より、この有様なのだ。結婚を機に変わると思ったのだがな……」
「あぁフィーナ殿。辛い思いをしたのでしょう!」
モーシンは憚(はばか)りもせずフィーネに歩み寄り、舞い踊る仕草を見せつけたかと思うと、彼女の手のひらに口づけをした。さすがは上流階級。ややくどい印象はあれど、動きは実に精練されていた。
「ご安心なされよ。この私が傍にいる限り、二度とそなたを危険には晒さない。命尽きるまで戦い抜く覚悟で……」
手を握られたフィーナは窓から視線を外し、ゆるゆると顔を戻すなり、恐怖に歪めた。
「い、いやぁぁーーッ!」
「どうしたフィーナよ、落ち着くのだ!」
「嫌、助けて! フアング、フアングーーッ!」
「いかん、発作が! 済まぬが、そなたらは外してくれ!」
リスケル達は言われるがままに私室を後にした。
「こりゃ話は簡単じゃなさそうだな」
「確かに。一筋縄ではいくまい」
締め切った扉の向こうでも金切り声は存分に聞き取れた。それを宥めるか、叱りつけるかの声が交互に漏れ伝わってくる。
「よっぽど怖い目に遭ったようだな。不安だ不安だって何回も繰り返してたし」
「えっ?」
リスケルの言葉にネイルオス達3人は眼を見開いた。セシルなどは「何言ってんだコイツ」という表情を隠そうともしない。
「小僧リスケル、寒さにオツムをやられましたの?」
「はぁ? なんだよそれ」
「リスケルよ。今のは固有名詞だ。獣魔王フアング。中部魔族を束ねるほどの男だぞ」
「えっ、それってつまり?」
「フアングに助けを求めたのだとしたら……厄介だな」
ネイルオスの端正な顔が鋭く睨んだ。その気配は、冗談の混じる余地など無かった。
何はともあれ情報だ。リスケル達は城の者に申し出て、城下町へと向かうことを決めた。
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