第15話 獣魔王フアング

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第15話 獣魔王フアング

 ミッドグレイスは温暖な気候と肥沃な土壌に恵まれた国である。四季おりおりの作物は多岐にわたり、農業立国として知られるほどに実りが豊かだ。その一方で、東端からグラナイスとにかけて、大陸最大の霊峰オレルーワ山脈がそびえ立ち、厳しい寒風が吹き付けるという特色も持つ。頂にあるのは聖地と呼ばれる秘境。信心深い者にとっては神聖な山として崇められている。  そんなオレルーワ地方を、リスケルはネイルオス達とともに歩んでいた。 「なあ、本当に道は合ってるのか?」  山の麓は丘陵地帯になっており、足元は酷く悪い。そして未開発の暗い森であるので、方向感覚は早くも怪しくなっていた。 「魔族の気配が濃くなっておる。フアングの一派が隠れ住んでいるのは間違いなかろう」 「一応は聖地のすぐ側なんだぞ。魔族としちゃ居心地悪いんじゃねえのか?」 「山頂まで行けばな。あの雪が降り積もる辺りだ。あそこまで近寄れば危険だが、麓の辺りであれば平気だ」  やがて行く手に小川が現れた。リスケルは一息で向こう岸の岩場まで飛び、ネイルオスも続く。だが、残された2名については同じようにいかない。 「お待ちになって。今渡りますわ」  跳躍では届かないセシル達は、裾をたくしあげて小川に足を踏み入れたのだが。 「ヒィッ冷たい、そして薄汚い! 聖属性のうるさい気配が漂ってますの!」 「変な感じ。ギーガン、ちょっと苦手」 「雪解け水でも混じっておるのか。2人とも、ワシに掴まるのだ」  ネイルオスの差し出した両手に、それぞれセシルとギーガンがすがりついた。水辺から上がった両者は、足先が赤く染まっている。 「うわ……大丈夫かよ。冷たさにやられたのか?」 「そうだと良いのですけど。小僧リスケルが置いてったばっかりに、いたいけな少女の足がこんな眼に遭ってしまいましたわ」 「悪かったな、500歳のお嬢ちゃん」  それからは足の負傷という名目から、ネイルオスが2人を連れて行くことになった。左肩にギーガン、右肩にセシルを抱き寄せる形で。 「それにしてもな、こんな所に獣魔王とやらが住んでるもんかね」 「貴様、かつては矛先(ほこさき)を交えただろうに」 「そうだっけ。覚えてないけど」 「獣魔王フアング。獅子の力を宿すという、魔族の中でも比較的珍しい部類の男だ。記憶にないか」  リスケルは薄ぼんやりとした記憶の扉を、必死になって開けまくった。覚えがあるのは1年前、ミッドグレイスの周辺で魔族退治を請け負った頃の事だ。ラスマーオが酒場の女に全財産を巻き上げられたり、リスケルがエミリアをおどかそうとしたら全然違う女性であったりといった断片の隅に、それはふと浮かんだ。  長身のラスマーオさえも凌ぐ体格、全身が銀毛に覆われた魔族の男。図体の大きさに反して、俊敏な身のこなしに手を焼いた感覚も思い出される。 「あ、あーー。そういやライオンっぽい奴が居たような、居なかったような……」 「まったく、しっかりするのだ。中部魔族を掌握するにはフアングの協力が不可欠なのだぞ」 「でも倒しちゃったぞ。話なんかできねぇだろ」 「どうにかして蘇らせる。死して一年程度では、まだ眠りが足りんだろうが、ワシの魔力で補えば良い」 「ふぅん。そういうパターンも有りなのね」 「仮にも神だからな。意外と融通は利くものだ」  そこでリスケルは、肩にちんまりと鎮座する少女を見た。 「だったらセシル達にも力を授けてやれば?」 「えっ、お願いできますの!?」  セシルとギーガンが両脇からアツい視線を送る。だがそれとは真逆の温度感で、ネイルオスは首を振った。 「やめておけ。一度復活してしまえば、力を授けるのに制約が生まれる。最悪の場合、四肢が弾けて地獄の苦痛を味わう羽目になるだろう」 「うわ。何だよそれ、えげつないな」 「体が仕上がった状態で魔力を無理やり注ぎ込むのだ。本人の体が耐えられねば、あらゆる器官が……」  そこまで言うとネイルオスは木陰に顔を向けた。彼には少し刺激の強い話題であったらしい。 「悪かったよ。ともかく行くか、魔族の寝ぐらに」 「うむ。そういう訳だから、セシル達は別の方針で力を取り戻すように」 「ワタクシは全身が粉微塵になってもお恨みいたしませんわ」 「ギーガンも。手足が吹っ飛んだって大丈夫」 「こなみじん……オエェェーー!」 「おいお前ら! 双方向から苛めんなよ!」  そんなアクシデントに見舞われつつも、一行は目的地に到着した。大きな崖に空いた天然の洞窟が、フアング率いる魔族の隠れ家となっているのである。 「リスケルよ、ついてくる気か。なんならここで待っていても良いのだぞ」 「いや、オレも行くよ。説得するには、人族と和解した所も見せてやらないと厳しいだろ」 「それはそうだが、逆にこじれる場合もあるぞ」 「そん時はそん時だ」  ネイルオスは長い溜息をひとつ溢すと、魔法による擬態を解き、洞窟の中に足を踏み入れた。セシルとギーガンが続き、最後にリスケルが行く。  中は松明の頼りない灯りがあるだけだが、ネイルオスは身を屈たりせず歩いている。また、ギーガンが転んでいないあたり、比較的広々とした場所なのだと察しをつけた。 「リスケルよ。余計な真似をするでないぞ」 「分かってる」 「本当に理解してるのかしら? 聖剣のサビにしてやるぅーーだなんて斬りかかったりするんじゃ?」 「おう、そればっかりは絶対にできない。安心しろ」  洞窟の中は、さらに小さな洞穴が無数に空いていた。それは唯の空洞ではなく、何者かが息を潜める気配で充満している。 ――あの強そうな魔族は誰だ? ――どこかで見たことあるような、誰だったか。 ――そもそも、どうして人族が一緒なんだ。 ――裏切り者か、それとも捕虜を売りにでも来たか。  密やかに交わされる声は錯綜(さくそう)とし、そして困惑に染まっていた。敵意や好奇の入り混じったものは、細部を滲ませつつ、不快な騒音となってリスケルまで伝わる。 「やっぱり歓迎されてないか」 「当たり前だろう。中には貴様の顔を覚えている者も居るのでは?」  堂々と歩き続けるネイルオスたちを、数多の視線と言葉が追いかけた。だがそれも、彼らが歩みを止めた瞬間に静まり返る。代わりに場を取り仕切ったのはネイルオスの方だった。 「銀の獅子こと魔獣王フアングは居るか。我こそはネイルオスである!」 「ネイルオス様だって!?」  その言葉により、辺りの様子は一変する。かなりの大勢が飛び出し、小さな穴蔵とは思えない程の人数で周囲はひしめく。 「まことにネイルオス様なのですか?」 「無論だ。ワシの顔を知るものは居らんのか」 「こんな田舎です。フアング様以外にご尊顔を拝めた者は……」  集まった魔族は感激した様でありながら、どこか半信半疑だ。それをいち早く察知したセシルは素早く耳打ちをする。 「ネイルオス様。例のアレを」 「そうだな。口で言うより手っ取り早いか」  するとネイルオスは、自身の魔力で生み出したヴェールを、優雅に払ってみせた。すると、黒光りする星屑にも似た輝きが辺りに散らばり、地面に触れる前に消えた。これには魔族達も大歓声で応える。 「あぁ! なんて美しい輝き!」 「噂で聞くよりも純粋で温かな魔力! これぞまさしく邪神様のお力……!」 「どうだ。ワシを信用したか」 「えぇ、それはもう!」  散々にもてはやされた後、彼らの視線はリスケルへと向けられた。今度は異様に冷たい。憎悪すらこもるそれは、極寒の夜風に勝るとも劣らない。 「ところで邪神様。後ろの人族は何者でしょう?」   「奴隷ですか、それとも食用ですか?」 「いやいや、戦意高揚のため、拷問した挙げ句に酷たらしく殺すのでしょう」 「それは良い。景気づけに殺してしまえ!」  にわかに燃え上がる憎悪には相当な勢いがあった。 「待て、お前たち。落ち着くのだ!」 「どうかされましたか、ネイルオス様。この男の目玉と脳髄は、新鮮なうちに差し上げますよ」 「のうず……ゴフッ。ともかくだ。フアングは居るか、話がしたい」 「フアング様は……その」 「どうした。まだ眠りに就いたままか?」 「ネイルオス様。お話でしたら私が」  その言葉が聞こえるなり群衆は割れ、3人ほどの魔族が前面に出た。屈強な骨格は元より、立派な虎ヒゲと大きな古傷が勇ましさを代弁するようであり、眉間のシワが意思の強さをハッキリと示した。事実、崇拝する神を前にしても物怖じした様子ではない。 「そなたらは?」 「我らは、フアング様直属の部下。名乗るほどの者ではございません」 「そうか。では経緯について覚えているのだな?」 「ええ、それはもう。事細かに」  男達はネイルオスから視線を外すと、瞳に強烈な敵意を宿した。その呪い殺すほどの眼力には、リスケルも顔をしかめて受け止めた。 「ここで話していても始まりません。どうぞ奥へ」  3人に案内されたのは、洞窟の最奥に当たる部分だ。広々とした空間で、かつてはリスケル達と激戦を重ねた戦場である。 「フアング様はいま、こちらに居られます」  そう言うのだが人の姿はない。石造りの祭壇にキラリと光るものが見えるだけだ。 「これは……魔力核か?」 「そう思われます。我ら魔族は、死すれば身体は霞に消え、甦る時を待ちます。このような石ころになるのは初めて見ました」 「これが聖剣オレルヤンの力……。復活は難しかろう。見よ、外殻が魂の活動を阻害しておる」  雲行きは怪しくなる。交渉相手は健在であるどころか、封じられた状態なのだから。 「セシルよ。核に囚われた者を助けるには?」 「2つございますの。ひとつは、フアングが相応の魔力を貯め、内側から破る方法」 「それでは遅すぎる。何百年かかるか分かったものではないぞ」 「もうひとつは、聖剣の力を借りる方法ですの。つまりは小僧リスケルの活躍シーンとなりますわね」  セシルのにこやかな笑みが、松明に照らされて浮かぶ。この野郎とリスケルは恨み言を抱くのだが、状況が許しはしない。  これでは交渉どころではない。リスケル達は早くも絶望の味を噛みしめるのであった。
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