第19話 少女に熱い決意を

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第19話 少女に熱い決意を

 この部屋は、王宮はいつでも暗い。たった今迎えた夜はもちろん、日差しが降り注いだって毎日が暗く、そして寒い。フィーネは自室の窓辺で、瞳をさまよわせながら物思いに耽った。  父に対して愛は無い。実父である国王から受け取った愛も無い。かつてフアングの元から引き戻された時、父は安堵して言った。 「これで駒が増えた」  言葉はそれだけだった。心配したのは娘の身柄ではない。ただ政争の道具として、手元に無くては困るから、救出騒ぎなど起こしたのだ。この時にフィーネは確信した。父に情など無いと。有るのは無様な虚栄心に、身の丈を越えた野望だけなのだと。  そして婚約者のモーシン。この男はやらた愛だの恋だのと囁く。連日、毎夜現れては扉越しでも構わず、暑苦しい自身の覚悟を語る。メイドのエマが追い返しても何度だって訪れた。とうとう痺れを切らした彼女は、苛立ち紛れに尋ねたものだ。 「私の何をそこまでお気に召しましたか」  するとモーシンは真っ直ぐ過ぎる声で返した。 「貴女の美貌は誰よりも素晴らしい」  それを聞いた彼女は拍子抜けし、自嘲気味な笑みを浮かべた。つまりは見た目だけか。愛されるのは若いうちだけか。では老いてしまえば見向きもされず、王宮の内にでも閉じ込めるつもりだろう。  父がこれまでフィーネを扱ったように。  そこまで思い至ると、続けて孤独と苦痛に満ちた幼少期が脳裏を過ぎった。こうしてロウソクが照らす灯りを見つめていると、尚さら強く甦る。頼るべき者は無く、話し相手すらも少なく、ただ毎日ボンヤリと見つめた窓。ランプの灯火。手垢に汚れた本。  たどる記憶の全てが、まるで灰でも被ったかのように、味気ない色に染められている。それを悔やむ気持ちは、とうの昔に置いてきた。 「……フアング」  フィーネは孤独に押しつぶされそうになると、決まって彼の事を思い出した。すると心は、世界は突然に鮮やかさを取り戻す。屋内とは思えぬ風を感じ、草木の香りすら漂う気にさせられるのだ。 「たったの1ヶ月だけだったのにね」  ある晩にコッソリと、城を抜け出た散歩での出会い。フアングに連れ去られた当初は恐怖に怯えたが、意外にも優しかった事。いつしか多くを語り合うようになり、やがて心を開くようになった事。  慣れない食事を初めて食べきった時は、満面の笑みで褒めてくれた。イバラの棘で足首を切った時は大げさにも、担いで洞窟まで駆け込んだものだ。駒遊びで散々に打ち負かした時は酷く落ち込ませ、崖から滑落しかければ本気で泣かれ、そして叱られた。  笑い、泣き、悲しみ、そして怒る。どちらかが微笑めば笑いかけ、悲痛に沈めばそっと慰める。そんな光景の全てが、胸を焦がす程の宝物だ。たとえ20年という歳月の中の、ほんの僅かなひと時であったとしても。 「せめてあと一度だけでも逢えたら……」  その言葉が呼び水となったのか、彼女は不意に鋭い頭痛を覚えた。この感覚は、つい先日味わったばかりのものだ。 (聞こえるか、フィーネよ。我が声が届いているか)  フィーネの鼓動は弾けんばかりに高鳴った。だが、返事は小声で囁く。どこで誰がそば耳を立てているか分かったものではない。 「聞こえております。そして、部屋には私1人だけですわ」 (うむ。それは何より) 「あの、フアングは無事なのでしょうか」 (無事も無事。あやつなら近くにおる。五体満足の姿でな) 「あぁ……良かった!」  涙腺を緩ませて報告を聞くフィーネ。だが彼女は、ネイルオスと違う声色も、遅れて耳にする事になる。 (おいリスケル。そろそろ詰みだぞ) (うっせぇな分かってんだよ犬野郎。あんまナメてっとブッ殺すぞ) (うわぁ情けねぇな。負けがこんでるからってキレやがった) 「あ、あの。今、何やら殺すとか聞こえたんですが……」 (うむ、気にするな。名誉を賭けた駒遊びが催されてるだけだ。お互いが意地になってしまい、中々やめようとせぬ) 「はぁ、そうですか」  とりあえず困惑するフィーネだが、ネイルオスとの対話は続く。 (こちらの態勢は整った。そなたさえ望むのなら、今一度さらってやろう。どうだ?) 「はい、お願いします。今すぐにでも……」  フィーネはそう言いかけたのだが、やがて声が曇る。 「ですが、簡単にはいかないかと思います。城には大勢の兵士がおりますので」 (計画ならすでに立案済みだ。そなたは何も心配せず、我が言葉に従うが良い) 「本当ですか!」  歓喜に染まるフィーネだが、やはり余計な言葉も耳にしてしまう。 (ほら小僧リスケル。角を取られては勝ち目がありませんのよ) (チクショウ。オレは作戦とか、計算するのが苦手なんだよ) 「あの、本当なんですよね?」 (うむ。雑音を気にするな。作戦なら適切な者が考えた) 「分かりました。私はどうすれば良いのでしょう?」 (決行は明日。今から言う台詞を周囲に伝えよ。自然に振る舞う事も忘れずにな)  フィーネが一言一句まで覚えると、ネイルオスとの交信は断たれた。あとは言われたとおりに動くだけである。 「フアング。また逢えるのね……」  そう思うと寝付けなかった。胸で騒ぐ情熱が激しすぎる。それでも少しくらいはと、ベッドで瞳を閉じ、浅い眠りを繰り返した。  やがて夜が明け、城のあちこちで人の気配が漂い出す。それはやがて、フィーネの私室にまで及んだ。 「姫様、おはようございます。お加減はいかがでしょう」  やってきたのは同世代のメイドだ。フィーネが心置きなく話せる、数少ない人物である。 「エマ。お父様に伝えてちょうだい。食事を終えたら、最後の散策に出たいと」 「さ、最後とおっしゃいますと!?」 「スノザンナへ行くのだから、故郷の景色も見納めになるでしょう」 「えぇ! 姫様、それではあの男と……!」  エマと呼ばれたメイドは悲痛な叫びをあげかけるが、すぐ言葉を飲み込んだ。そして丁寧な拝礼をしつつ、静かに言った。 「承知致しました。父君には、そのようにお伝えします」 「ありがとう。頼んだわよ」 「はい。では、失礼します……」  肩を落として去る友を見て、フィーネの良心は痛んだ。それでも彼女はもう踏みとどまる事はない。  愛する者との再会が、すでに目前へと迫っているのだから。
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