40人が本棚に入れています
本棚に追加
第20話 身も心も揺さぶられ
リスケル達は背の高い草むらに身を隠し、整備のまばらな道を監視していた。ここはフアングの住処から程近い高原エリア。王都や砦から遠く離れており、付近には小さな村さえもなく、人通りも皆無と言って良い。
つまり、おびき出すにはうってつけの場所なのだ。
「あの姫さんは大丈夫かな」
「フィーネを疑うんじゃねぇ。絶対上手くやってくれる」
「2人とも、静かにせよ。馬車が来た」
急な上り坂、まずは馬が顔を出し、すぐに車体が見えるようになる。フィーネは計画通り、この場に現れたのだ。
だが予定外の問題が起きていることも明らかになる。リスケルは馬車に続く集団に眼をやり、小さく舌打ちをした。
「厄介だな、騎兵がピッタリ付いてやがる。軽く見積もって100騎くらいか」
「2度も誘拐はさせない、という何者かの意思が見えるようだな。まぁ当然の成り行きか」
「ネイルオス様、どうします。蹴散らしますか」
「フアングよ。気持ちは分かるが、武力行使は最後の手段だ。和平が遠のきかねん」
しばらく一行を見守っていると、馬車が止まった。フィーネが休息を命じた為だ。付近に休めるような施設はなく、湧き水すらも手に入らない場所であることは、事前に調査済みだった。
騎乗の男が「小休止」と叫ぶ声が聞こえると、ネイルオスは指先に魔力を集め、念を送った。作戦を予定通りに決行しようというのだ。
「いらっしゃいませぇ、美少女の果物売りでございまぁす」
道の反対側から現れたのはセシルと、荷車を引くギーガンである。むき出しの荷台には、瑞々しい梨が山と積まれていた。
聞こえよがしな売り文句を撒き散らした後は、目ざとく騎兵隊長へと歩み寄り、ねちっこい言葉を並べだした。
「どうですかぁ兵隊さん。美味しい梨が今ならお買い得なんですのよ」
「梨だと? ふむ……」
隊長は辺りを見渡したが、水源が無い事は彼も知っている。セシルの幼い容貌も手伝って、大した警戒もせずに商談は続いた。
「あの商品を全てもらおう。いくらだ」
「ひとつ2ディナなので、しめて300ディナですの」
「300か。足元を見られたものだな」
口ではそう言いつつも買い求める気持ちに変わりはない。彼が指示を出すと、配下達は先を競って荷車へと殺到した。その梨には眠り薬が仕込まれているとも知らずに。
「ありがとうございますの。こうしてお金を稼がないと、2人揃って鉱山送りになってしまいますの」
「なるほど。貧しい家の出ならば有り得るだろう」
「ギーちゃん、狭いとこ嫌い。鉱山なんかお断り」
「そうだろう、そうだろうとも」
隊長は柔和な声を出したか思うと、次の瞬間には鋭い視線を投げかけた。瞳孔の開いた無機質な瞳は、戦場で敵を見つけた時のものに酷似している。
「鉱山に送られるのは子供だけだ。小娘はともかく、大人のお前がなぜ鉱山務めに?」
「えっ……」
言葉に詰まったのは致命的だった。間違いようのない一般常識でつまづいたのだから。
「お前たち、梨に触るな。罠かもしれんぞ!」
兵士達は、手の物を投げ捨てると荷車から遠ざかった。そして整然と陣を組み、次の命令を待つ。
「捕えろ。現れたタイミングといい、発言といい、不審な点が多すぎる」
命を受けた兵の数名が小走りになる。残りの
者達も、不測の事態に対応できるよう、警戒を強めた。
「セシル、どうしよう。バレちゃった」
「こうなったら仕方ありませんわ。ブチのめしてやりますのよ!」
セシルはそれまでの媚びた笑みを獰猛に歪ませた。それだけでも兵士は怯み、一歩あとずさる。しかし時、すでに遅し。セシルが魔力の充填を始めてしまったのだから。
「あの世で悔やみなさい。フリーズクロウ!」
勢いよく突き出された掌からは、ポスンという気の抜けた音が鳴り、生じたのも白い煙だけだった。それは程よい冷気で、行軍に火照った体には心地良さそうだ。
「ええっ、魔法が出ませんのよ!?」
「どいて、セシル。ギーガンがやる」
入れ替わりに疾走した彼女は、拳を大振りに奮った。剥き出しの頬を狙った鋭い一撃は、ペチンと音を立てて終わる。ぺちん、ぺちん、ぺっちん。これには兵士たちも夜のオアソビを思い出し、ほんのりと頬を赤くした。
それらの一部始終は、離れたリスケル達にもよく見えた。相当なピンチである。
「やべぇぞネイルオス。突入するか?」
「いや、我々まで見つかるのは得策ではない。第二の策だ」
ネイルオスは、自分の掌に向けて長く息を吐いた。それは魔力を帯びた霧状の吐息となり、またたく間に兵士たちを包み込んだ。
「何だこの霧は……!」
「た、隊長……」
邪神の魔力に太刀打ちできるほど、彼らは強靭ではなかった。全ての兵士がその場に崩れ落ち、意識を手放した。
「おい、初めからこうすりゃ良かったじゃん」
「文句ならセシルに言うのだ」
草むらから立ち上がったリスケル達だが、2人を置き去りにして駆ける影があった。フアングだ。彼は脇目もふらずに馬車へと駆け寄り、幌の枠に手をかけた。
「フィーネ!」
待ちわびた愛する者との再会。しかし返答は予想外なものだった。
「フアング、危ない!」
その声と同時に、中からは拳打が飛び出した。無骨で、鋭い角度の拳を辛うじて避けたフアングは、その場で飛び退いた。
「誰だ、てめぇは!」
問いかけにノッソリと現れたのは、半裸の大男だ。彼は自慢の筋肉を叩きながら、高らかに名乗りをあげた。
「我が名はスノザンナ王国王太子、モーシンなり。悪党どもめ、生きて帰れると思うなよ」
「モーシンってことは、フィーネの……!」
「さぁ来い、愚かな魔族よ。鮮やかに殺してくれようぞ!」
「テメェこそ八つ裂きにしてやるァーーッ!」
フアングの痛烈な拳打が不気味に唸る。甲高い風切り音を発するそれは、聖者リスケルすらも苦戦させた恐るべきものである。高速かつ破壊力も抜群と、四天王に相応しい攻撃力を備えているのだ。
だが、その攻撃は薄皮を削っただけで、宙にいなされた。モーシンとのすれ違いざま、みぞおちに重たい一撃も見舞われ、腹の空気が抜けるような思いになる。
「な、何だ今のは!」
フアングは微かな目眩を振り払いつつ、再びモーシンと向き合った。そうして見えたのは、深く腰を落として構える宿敵の姿だ。
「勇壮なる獣よ。確かにお前は強い。まともに受けてしまえば、私など簡単に殺されてしまうだろう」
苦戦をしのばせる言葉とは裏腹に、構えには一層の覇気がこめられていく。
「だがスノザンナ戦闘術はお前の上を行く。まして私は愛の力に目覚めたのだ、負ける道理など一切無い!」
「チッ。面倒臭ェ野郎だ」
フアングは吐き捨てると同時に、チラリと脇の方を見た。そちらからは、少しずつだがうめき声が上がっている。そろそろ精神魔法が切れてしまうのだ。
(仕方ねぇ全力でいく。陛下には止められてるが、ブッ殺すしかねぇ)
そう決意すると、フアングは頭を低くし、肉食獣のような姿勢をとった。唸り声も低く、地中でたぎるマグマのようで、並の相手ならそれだけでも戦慄に震えるほどだ。
両者は正面からにらみ合う。ぶつかる視線、高次元の技量、そして譲れぬ想い。いったい何が勝敗を分けるのか、それは何者にも分からない。
なぜなら、無防備なモーシンの背後にリスケルが現れ、即座に絞め技をかけてしまったからだ。
「はいはい。ちょっくらオネンネしような」
「へむゆるっ」
モーシンは不思議な言葉を吐いたのち、泡で口元を湿らせ、倒れ伏した。
「おい、何しやがる。勝負に水を差すとかフザけてんのか!」
「バカかお前は。目的は姫さんだろうが、熱くなってる場合じゃねぇんだよ」
リスケルはそう言い残すと、御者が不在の馬車に乗り込み、手綱を奮った。
釈然としないフアング。だが、ひとまず怒りは忘れ、走り出した馬車に乗り込んだ。
「フィーネ!」
「フアング! あぁ、またアナタに逢えるだなんて……!」
熱く抱きしめ合う2人。揺れる馬車など気に留めず、ただ心が求めるままに身体を重ね合った。触れ合う頬、回した腕から伝わる確かな体温が、彼らに替えがたき喜びを与えてくれるようだ。
「みんな早く乗れ! このまま突っ走るぞ!」
遅れてセシルとギーガンも馬車に乗り込み、ネイルオスは馬と並走した。車内は作戦の成功を祝って、和気あいあいとした様子になる。
ただ1人を除いて。
(なんてこと。私はどうなってしまうの……!)
幌に寄りかかって小さくなるのは、メイドのエマである。事情を深く知らない為に、謎の祝福ムードには溶け込めず、ただ無言で悲嘆に暮れる。そして馬車の外を行くネイルオスに気づくと、そのまま気絶してしまった。
そんな彼女について気遣われる事はなく、馬車は坂道で大きく跳ねた。
最初のコメントを投稿しよう!