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第2話 邪神の憂鬱
邪神の間は静かだった。宿敵である聖者一行が攻め寄せているにも関わらず、玉座には巨体が座るだけで、手下の姿はない。既に大半は倒されたか、あるいは逃げ去っていたのだ。陥落寸前の城内に残る者はもはや極僅か。
辺りは酷く寂れているのだが、それでも魔族を統率する者の圧力は強烈だ。雄ヤギのような角と顔は冷淡さを感じさせ、雄牛よりも膨らんだ筋肉は赤黒く、主人の健在を無言で語るかのようだ。
邪神ネイルオス。即死魔法の使い手である彼は、今も変わらず絶対的な強者なのである。
「ネイルオス様。セシルにございますわ」
物音ひとつ立てずに側近の女が参上した。甲高い声は透き通るようであり、耳に心地よい響きは音曲を奏でたかのよう。
「例の小僧どもが侵入いたしました。念の為、財宝は全て隠しおおせてございます」
「そうか。ご苦労」
ネイルオスが低く唸る。長年仕えるセシルは、それが満足の声だと理解していた。
「先んじて魔装兵のギーガンが迎撃に出ております。しかしながら、突破されるのも時間の問題かと存じますわ」
セシルに楽観はない。参謀としての役目が、落城を目前にしても冷静な視点を忘れさせなかった。
「招かざる客もいつの間にやら目前に。ネイルオス様、いよいよお別れにございますわ」
平伏していたセシルがローブから衣擦れの音を鳴らした。これまでに無い仕草である。
「幸福な日々でございました。次の命を迎えた後も、変わらずお傍に」
「セシルよ。お前の忠義心に、果たしてどれだけ報いる事ができたろう」
「もったいなきお言葉。ごきげんよう」
それきりセシルは気配を消した。その場に衣服だけ残されているのは彼女の意思表示だ。生きて帰らないと言外に告げたのである。
独りになったネイルオスの瞳が、暗がりの虚空をジッと見つめる。チラチラと揺れる松明の光。それはやがて来る戦闘の情景を想起させた。
(あぁ嫌だ。血を見たくない……)
そう、彼はグロテスクな物事が大の苦手なのだ。あらゆる敵を葬る力を持つのに、その気質が邪魔をする為に今ひとつパフォーマンスを発揮できずにいた。
魔法で攻撃しても血肉が飛び散るし、直接攻撃などもっての他。結局は即死魔法だけでカタを付けるという、妙にクリーンな悪玉として君臨していたのだ。
では最終決戦はどうするか。負け戦を確信した時から、既に考えは固めていた。
(早く来い聖者よ。そしてワシに安らかな日々を与えるのだ)
ネイルオスは潔く斬られる気だ。すでに邪神軍は壊滅し、相手方には聖剣オレルヤンがある。この劣勢を覆す手段など無く、抵抗するだけ犠牲は増えていく。この大戦を終結させる為に、そして魔族の意地を見せる為にも、全ての元凶として華々しく散る。それが彼の描いた最良の未来であった。
邪神の腹が決まった今、戦いは出来レース的になる。聖剣の一太刀でも斬りつければ人間側の勝利なのだから。
「おっと、いかんいかん。これを忘れてはマズイな」
にわかに思い出し、手にしたのは前口上のリストだ。宿敵と相対した時、長々と語られるセリフをまとめたものである。しきたり上、勝手な言い回しが許されないので、あらかじめセシルに用意してもらったのだ。
「なになに、よく来た愚かなる英傑よ。我が爪で貴様の肉を裂き、腸を引きずり……ウップ」
踊り狂う強烈なフレーズに強い吐き気を覚えた。言葉から赤く染まる光景を浮かべてしまい、それだけでも胃液がこみ上げてしまう。
とことん気質が向いていない、邪神という称号は彼に重たすぎるのだ。
「初代の王よ、なぜこうも残虐なセリフを残した。まずはお茶にしましょう、ではいけなかったのか……」
彼は深い溜息を撒き散らしつつ、今更な愚痴を脳裏に浮かべた。
そんな時だ。邪神の間の向こうが騒がしくなる。とうとうリスケルがやって来たのだと確信した。
「さぁ宿敵よ、ワシの歪んだ運命を断ち切ってくれ。次の生は農夫か園芸家など、穏やかなものを所望する!」
清々しいまでの願いを胸に、扉が開かれるのを待った。ただ待った。とにかく待ち続けた。
しかし一向に封印が解かれる気配はない。それどころか、妙な騒がしさが上乗せされていく。「開けろ! 開けてくれぇーー!」だなんて絶叫まで聞こえる始末。
ネイルオスは首を折り返してまでひねる。解錠は聖属性の力を用いれば簡単で、手詰まりになるだなんて完全に想定外だった。
(まさかとは思うが、聖剣の使い方を知らんのか?)
そこまで思い至ると、彼は指先から魔力を走らせた。すると扉の封印は解かれ、ゆっくりと開かれていく。今となっては封じる意味も無いので、速やかに招き入れる事にしたのだ。
「あぁ良かった、開いてくれたぞ!」
場違いなセリフとともにリスケルが登場した。安堵の声とともに、素手の状態で現れた敵など前代未聞だ。
大丈夫なのかコイツで。ネイルオスは素直にそう思った。
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