フライデーへ

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【Day1】「金色の妖精が現れた」  春の陽気が恨めしい。桜がなんだ。めでたくもなんでもない。その日、わたしは学校で嫌なことがあった。思い出したくもないのに、何度も教室でのあの場面が頭に浮かぶ。家に帰りたくなかった。とにかく、この世界から逃げ出したかった。  そんな、十二年間生きてきたなかでイチバン最悪な日に、わたしは彼女と出会った。そう、最高の親友に。 彼女の名前は、フライデー。 金曜日に出会ったから、わたしは彼女のことをそう呼んでいる。  誰もいない公園で、彼女は「私は私」と書かれたTシャツを着て、カラフルなグミを口に大量に入れていた。短いデニムから見える生足は、見ているこっちが、ひやっとしてしまう。まだ肌寒さの残る季節に、真夏みたいに堂々と肌を出していた彼女に目が奪われた。金色のキラキラの光を放出する長い髪をショッキングピンクのプラスチックのゴムでまとめている。春の日差しが、彼女の細い髪一本一本をさらに輝かせている。きっと、笑ったらスーパーモデルみたいにキュート。なのに、なぜか彼女は眉間に皺を寄せて、頬を膨らませて超不機嫌だった。思わず、わたしは彼女に近づいた。だって、教室にいるつまらない女の子たちとは全然違っていたから。 「金曜日なんて大っ嫌い。スプーンで胸をエグられたみたいに、心がズキズキ痛んでこのままじゃどうにかなっちゃいそう! 」 「わたしも! 」  怒り狂ってまくしたてている彼女に、わたしは凄く共感した。だって、わたしと彼女の怒りの矛先は同じだったから。  わたしたちには、共通の敵がいる。そう、学校という巨大な敵が。 「学校が憎い、憎い、憎い。みんな消えちゃえばいいのに」 ストレートな物言いをする彼女に、どきっとする。 だって、それはわたしがずっと思っていたことで、本当は口に出したかったことのそのものだったから。 「アーメン、地獄に落ちな」  それでも、いい子ちゃんのもうひとりのわたしが、彼女の言葉に反発するのを止めることはできない。 「言いすぎじゃない?」って言ったら、 「嘘、今のは、取り消し。嘘です、神さま。言いすぎました」  そうやって、おちゃらける彼女を見て、わたし、この子のことめちゃくちゃすきって思った。  それからわたしは、彼女、ううん、フライデーと親友になった。 最低な金曜日に出会ったフライデーと会うのは、月曜日でも水曜日でも飛ばして日曜日でもなく、絶対に金曜日。  【Day2】「DIY?」  今日は、なんてスペシャル・サプライズな 金曜日!  だって、フライデーはわたしと同い年だってことが判明したのだから。今日のフライデーは、赤と白のチェックシャツに、真っ白のタンクトップに色んな模様がツギハギになったロングスカートを履いて、足元はクリアのビーチサンダルに爪がグリッターたっぷりの魔女の魔法の粉みたいな紫色だ。自然できどってなくて、フライデーに似合っている。  白い生地から見える、フライデーの胸をついじっと見てしまう。 フライデーの胸にいやらしさみたいなのはない。それはきっと、フライデーが恥ずかしいことだと思っていないからだ。 わたしは、自分の胸に目を向ける。きっちり首元のボタンを留めて、膝丈より下のスカート。自分の肌を露出することは、恥ずかしくて、危ないことだと思っていた。 「今日は、自分でデザインしたお気に入りのTシャツ。自分を表現するのって楽しい。DIYの精神を持つことは、グレーな日常をカラフルに変えるの」 DIYって何?わたしは、ネットで検索して、Do it yourselfという言葉を知った。フライデーの着ているTシャツは、洋服屋さんや雑誌でよく見るTシャツとは違っていて、グラデーションに染め上げられ、ところどころに穴が空いている。なんだか、カッコいい。  春休み、お母さんと一緒に採寸しにいった、今着ている真新しい制服を、脱いでぐしゃぐしゃにしてやりたくなった わたしは制服の似合う女の子よりも、フライデーみたいなセクシーな強さのみえる女の子になりたいと思った。こんな自分じゃなくてさ……。  あのとき、採寸したおばさんのきびきびした動きやこれから同じ学校に通うであろう女の子たちのお互いをこっそり観察し合うかのような、奇妙な空気を思い出す。  あのとき、わたしはきっとあの空間にいた女の子たちと同じだった。 小学校のときは憧れていた、紺色のブレザーにグリーンチェックのスカート。なかでも、赤いリボンはお気に入りで家の中で鏡を見ながらつけては、くすぐったいようなむずむずした気持ちが沸きあがっていた。 きっと、わたしが一番この制服が似合う新入生になるのだと確信していた。  でも、箱を開けてみれば、入学式以降、もうあの赤いリボンをわたしが身につけることはなかった。教室に入ったら、クラスの女の子みんな、リボンを着けている者はいなかった。  ワタシイガイ。ワタシダケ。 「あァー、ナんデ花ちャん、りぼんなんテつけてテイるの???? 」  必要以上に大きい声で指摘する、同じ小学校だったけど話したことのあるのは数えるほどの相原さんは、蟻を潰そうとする子どものような目でわたしを狙っていた。  胸の音が全身でドクンドクンと響き、私の身体は停止した。手術室で解剖されて出てきた心臓が目に浮かんだ。そのまま、鋭いメスで形がわからなくなるほどに刺して、刺して、刺しまくって欲しかった。  わたしは、何も言い返せなった。  なんとか口角を上げて、赤いリボンを無造作に外して、ブレザーのポケットにつっこんだ。ふぅ、ふぁと唇の端から生暖かい息が出た。気持ちが悪かった。誰でもない、自分が。 先輩によると、この赤いリボンは、後は卒業式のみつけるらしい。  あの、わたしの、きらめきの象徴だったリボンは、今では洋服ダンスの一番奥に履いていない薄汚れた綿のパンツと一緒に閉っている。もう、一生出さない。  フライデーは、フェミニズムという言葉をわたしに教えてくれた。 「男の人が裸になるとかっこいい。でも女がヌードになるとビッチと言われると。ふざけんな! 」  わたしは、その日、なんとなく気になって、フェミニズムについて調べた。有名な海外の女の子たちがスピーチしている姿や大勢でデモに参加している姿を初めてみた。  わたしはフェニミニストなのかな?  フライデーは、はっきりと自分はフェニミニストだって断言していたけれど、今のわたしには、まだ、未知の言葉のようで、手からあふれ出てしまいそう。この前のときみたいに、フライデーに「わたしも!」って言いたかった。  わたしは、女とか男とか年寄りだとか赤ちゃんだとか、世界中にいる人たちの声を聞いてみたいと思った。それから、わたしについても。  だって、フライデーが口にする男のペニスや女の乳首は、教室の男子がにやにやしながら喋る内容にも出てくる単語なのに、言葉の先の持つ意味は、全く異なっている。フライデーが、普段思っていることを喋る姿を見て、確かに私の胸を、ハートをときめきさせた。一度死んだ心臓が、もう爆発しそうなくらい高鳴っている!  【Day3】「ヤングアダルトの何が悪いの」  学校から帰ってくると、フライデーが怒っていた。 「どうしたの、フライデー」  わたしは急いで彼女のもとへ駆け寄った。 「クソ!」  そう一言だけ言って、フライデーは沈黙する。  たぶん、学校で何かあったんだと思う。昨日、フライデーは、最後にこう言った。 「明日はモンスーンがやってくる」  金曜日は、いつもわたしにとって波乱の日。どうやら、フライデーにとってもそうだったみたい。フライデーは、もう一度「クソ」と言ってから、黙ってしまった。 わたしは、制服を脱いでいつもの部屋着に着替えた。今日配られた宿題のプリントを鞄から出す。無数に並ぶその文字はわたしのものだった。だけど、今はただ読むだけしかできない。そう、ただただ読むだけで声に出したくなかった。フライデーも、気持ちの整理ができていないのかもしれない。こういうとき、無理に聞きだすのが正解だとは思わない。だって、わたしだったら、いいから放っておいてって怒鳴っちゃうから。いつも家族に言っているみたいにね。  しばらくしてから、フライデーは言った。 「アイツが、」 アイツ?一体誰のこと?フライデーは何も言わない。なんだか、先が気になってもやもやした気分。フライデーの言葉をやきもきして待っていると、妹のアサギが部屋に入ってきた。 「お姉ちゃん、ごはん」 そして、嫌そうな顔をしてフライデーとわたしを見る。 「勝手に入んないでよ。ノックしろって言ってんじゃん。も」 「この間まで私の部屋だったんだよ」 「いま、あんたの話聞いてるヒマないから」 するとアサギは、のしのしと身体を揺らしながらおもむろに、部屋に置いてある巨大な白クマのぬいぐるみを手にとって、わたしに向かってぶんなげた。 「いたっ、怪我したらどうしてくれるわけ」 白クマはふかふかで、全然痛くなかったけど、大声で怒鳴ってやった。フライデーの話を邪魔されたくなかったから。 「ずっと、べったりじゃん」 フライデーを指差し、アサギは思い切りドアを音を立てて閉めた。  一体なんなの。わたしが中学に上がって、今まで一緒だった姉妹の部屋から卒業できて喜んでいたのに、最近のアサギは、わたしとフライデーに苛ついているみたい。意味わかんないし、そういう態度でこられるとこっちも冷たい態度をとってしまう。  結局その後、再びアサギに呼び出されるまで待っていたけど、フライデーは“アイツ”について喋らなかった。その日の夕飯は、お腹はすいているはずなのに、食べる気がしなかった。はやく、フライデーに元気になってほしかった。  深夜、星が光った。フライデーからの合図だ。 「聞いて。アイツの話をしようと思う」 「何があったの?」 「私は、マシュマロ入りのホットココアを飲みながらテレビを観るのが好き」 「うん」 「あと、老人ホームにいる年寄りたちと話すことね。それと、毎朝近所の犬のマージに目を合わせて挨拶するわ、今日もイケてるねって。それは、絶対にかかせない」 「うん」 「でもね」 「ん」 「何よりも私が幸せなときは、お気に入りのソファで毛布にくるまって、YA小説を読んでるとき。YAってさ、よく馬鹿にされるんだけどロマンスがあってキラキラしてて、この主人公私じゃんって思えるんだよね」 そう言って、フライデーはわたしに向かってノートを見せてくれた。 「これは、ZINEのための資料。いつか、大好きなYAについての批評と私が独断で決めたランキングを載せて、イベントに出るつもり」  そこには、お気に入りの台詞が並べられており、わたしの知らない小説がたくさんあった。 「私は」 ゆっくりと、フライデーは言葉を吐く。 「私はYAに育てられた。ママは好きだしパパだって悪いやつじゃない。でも、フライデーを育てたのはヤングアダルト小説なんだよ」 わたしは今まで、彼女の言葉をひとつひとつ頭に入れていた。でも、今日は違う。言葉は脳に届くより先に、わたしの心に突き刺さっていく。 「私にはずっと小さい頃から一緒だったスーパーガールや怒りんぼのピッグや魔女のマダムAが側にいてくれてる。なのに、なのに」  全然わからない。マダムAが誰なのかわたしは知らない、わからない。でも、フライデーの怒りが伝わる。 「あのババァはそれを侮辱したんだ」 「なんて?」 「いつまでもそんなの見ていると、あんたをプロムに連れていきたい男の子も現れないねって」 フライデーは 「悔しい」 と言った。  わたしは、何て言葉をかけていいかわからなかった。だって、わたしは、 「プロムなんて行かない。男なんかいらない。ただ、好きなものをずっとずっと年とっても好きでいたいだけ」 だってわたしは、プロムを知らない。 「とりあえずババァ、お前はさっさと死ね」とフライデーは言い捨てて、わたしの前から消えた。  ねぇ、フライデー、わたしはあなたに声をかけたかった。でも、フライデーの炎のような熱い怒りと寂しさが胸いっぱいに伝わってきて、抱きしめたくてもできなかった。だって、わたしたちにはキョリがあるから。 YAって何だろう。ネットで検索したけど、よくわからなかった。明日、久々に学校の図書室に行こう。フライデーの好きなものを、私も好きになりたくて、何よりもフライデーの感情を共有したかった。 【Day 3.5】「図書室での出会い」  金曜日は、まだ遠い。  「花奈実ちゃん、どこ行くの? 」  お昼休みになり、早速図書室に行こうとすると、仲良しグループのひとり、ツヤカちゃんが話しかけてきた。  「えっと、図書室に行こうかなって」 「えー、せっかくのお昼休みに勉強?つまらないよ。ツヤカとだべろうよ」  別に、勉強しに行くわけじゃないんだけどな。学校の図書室は、いつも人が少ない。受験生が勉強しに行ってるか、私みたいに本が好きでいる奴が数名いるぐらいだ。 「ごめーん。どうしても調べないといけなくてさぁ。放課後どう? 」 「わかった。じゃあ、ツヤカ芦田たちのグループ行ってるよ」  ツヤカちゃんは、詮索をして来ないしさっぱりとした性格で、綺麗で人気者だ。丁寧にコテで巻いた髪とか、手入れされた長い爪とか、私には真似できない。でも、私たちは仲良しだ。何にも似ていないけど、私たちはきっと何か波長が合うのだ。  階段を上がり、図書室に入る。中は、ガランとしており誰もいなかった。カウンターには、短い髪で眼鏡をかけた女の人がいる。あの人に聴いてみようか、肩までの髪をいじいじと触っていたら、向こうから話かけてきた。 「何かお探しですか? 」  あ、この人敬語で接してくれるタイプだ。教師や美容師友だちのお母さん、つまりわたしよりも年上の大人たちは、わたしに対してタメ口を使ってくるときがある。私は、それが大嫌いであった。もう大人なのに、子ども扱いされているようで、ムカつく。 でも、この女の人は違う。そう思ったら、聞きたかったことが口から出ていた。 「あの、ヤングアダルトっていうのを知りたいんですけど」  アダルト、という言葉が何だか卑猥に聞こえるような気がして恥ずかしかった。 「ヤングアダルト、ワイエーですね。主に、児童文学よりも少し上の世代の本ですね。主に、10代の子たちを対象にしてるんですが、大人になった私も大好きでよく読むジャンルなんです」 「なるほど、えっと読んでみたいんですが」 「この図書室にもヤングアダルトの棚があるんで、案内しますね。面白い本が沢山あるんですけど、なかなか地味な場所にあるせいか生徒さんが手にしないので嬉しいです」  そう言うと、女の人は奥の棚まで案内してくれた。ファンタジーや学園ものなどがあって、装丁がお洒落なものも多い。なんだか胸がときめいた。この棚の本、全部読みたい。もしかしたら、フライデーが言ってたキャラクター達が出てくる本があるかもしれないと思うと、ワクワクが止まらなかった。 「では、私はこれで。楽しんでくださいね」 女の人が行こうとするので、ついわたしは呼び止めた。 「あ、ありがとうございました。あの、お姉さんは……」  何者ですか?  こっちの気持ちに気づいたのか、女の人は笑顔で応えた。 「学校司書の高坂です。もし良かったら、お名前教えてもらえますか? 」 「谷崎花奈実です。今日は、本当にありがとうございました」 「たまに、図書室に来てくれましたよね。また、いつでもなんでも聞いてください」 そう言って、高坂さんはカウンターに戻って行った。高坂さんが、自分のおすすめの本を押しつけるタイプでないことが、嬉しかった。わたしは、あらすじ気に入ったYAを三冊手に取り、教室に戻った。 【DAY4 】「英語の時間」  わたしは、借りてきた本を貪るように読み、つい最近までは知らなかったヤングアダルトという言葉も、身近に感じるようになっていた。フライデーがあんなに好きな理由もわかるな。そして、ついに金曜日。フライデーに会えるのは嬉しいけれど、この曜日は私にとって憂鬱な日でもあった。 「はい、次は谷崎さん。」 わたしは、先生に当てられて英語の教科書を読む。この時間が私にとって、地獄みたいな時間だった。フライデーと会った日、初めて英語の授業があった。私は、お母さんが英語の教師で、小学校1年生からずっと英会話スクールに通っていた。お父さんはお母さんと離婚してイギリスで働いている。手紙や小包を向こうから送ってきてくれるのが、毎月の楽しみだった。英語は得意だし何より好きだった。英語は、わたしの見えていない世界見えるようにしてくれる気がした。 初めての授業は、英語で自己紹介をすることだった。何を言おうかなてな悩みながら、完成させた英文が、まさかあんなことになるとは思ってもみなかった。 「はじめまして、わたしの名前は……」  みんな、同じような簡単な英語を使って自己紹介をしていた。わたしの番がきた。わたしは、こういう風に、皆の前で発表するのは苦手だ。案の定、初めてのクラスで皆の前で自己紹介するときは、声が小さくなってしまって担任の先生に注意されてしまった。じっと見られて、なんだか試されているような気分になって、慣れなかった。でも、英語なら自信を持って言える。 「こんにちは。谷崎花奈実です。母と一緒に、フットボールをテレビで観戦するのが好きです。よろしくおねがいします」  そう言い終えると、英語の先生が拍手し出した。  パチパチパチパチ、パチパチパチパチ  先生以外誰も拍手していない。 「谷崎さん、発音上手いねぇ。しかもフットボールって!イギリス英語かな。ちなみに皆さん、アメリカ英語ではサッカーですよ。いや〜、将来有望だな」 それ以来、英語の時間になると毎回最初に私が当てられて、英文を読むようになった。  英語の先生、桐嶋先生は若い男の先生だった。大学生の頃の、留学経験を自慢げに話す奴だった。クラスの女の子から、人気があった。私は、桐嶋のお気に入りだと言われ、一部の女子たちから、陰でイギリスと呼ばれ、若干疎まれているのがわかった。わたしは、ただ英語を読んでいるだけなのに、先生に当てられる時間は苦痛で仕方がなくて、学校が嫌になってしまった。  そんなとき、キラキラなスペシャルな女の子、フライデーと出会った。はやく今日も彼女に会いたくて仕方がなくて、電源を切ったままのスマートフォンをスクールバッグの底で、ぎゅっと握りしめた。 でも、その日、フライデーは現れなかった。フライデーのいない一週間をどう過ごせばいいの? 【DAY4.5】「 女子とわたし」 「イギリスうざくない?」 「得意げに英語読んでさぁ、自慢かよ」 「桐嶋もさぁ毎回イギリスのこと当ててるよねぇ」  体育終わりの更衣室、わたしがまだ着替えている途中なのをわかっていて、陰口を言われた。その中には、リボンを指摘した相原さんもいる。  胸の奥が、どろどろとしたもので、溢れそうになる。隣にいるツヤカちゃんは、顔をゆがませ小さい声で、「気にすんな」と言ってくれた。もうひとりの仲良しグループのメンバー、万理は女の陰口がこの世で一番嫌いと宣言してるだけあって、わたしの肩に手を乗せ「ゴミの話は聞く価値ないから」と、言ってくれた。わたしとツヤカちゃんと万理は、桐嶋に興味がないという点で一致団結してる。わたしは、ふたりの言葉を嬉しく思った。それでも悪口を言われると気にしてしまうし、ちょっと胸苦しいのは、変わらないのだけれど。  学校の英語の時間は、私という人間を隅へと追いやる。教科書の内容もつまらなくて、家で英語の勉強をするのも嫌になってしまい、母親が心配しているのもわかってる。それに、フライデーは現れないし、毎日お気に入りのYAを読んで時間を潰すしかなかった。 わたしが今読んでいるYAは、恋愛とファンタジーが降り混ざっていて、読んでいて凄く気持ちが良かった。本を開いているとき、わたしはここではない、別の世界へいける気がした。フライデーもYAを読んでるのかな、とふと、思った。わたしは、フライデーにだんだん会いたくなってきた。 でも、彼女から星の振動は来なかった。フライデーは、消えてしまったの? そんなことない、フライデーはちゃんと存在している。私の右手に。 【Day 5】「フライデーの叫び」  地球全体が揺れて、フライデーがわたしを呼んでいるのがわかった。真夜中、わたしはこっそり部屋の電気をつける。 「私は、どうしようもない悲しみに暮れている。深い深い悲しみに」  フライデーの表情は、ここからではわからない。ただ、彼女の文章から悲痛な叫び声が聞こえた。 「ねぇ、どうしたの? 」  わたしの問いかけに、フライデーは応えない。 「もう、無理」  そう言うと、フライデーの言葉は止まってしまった。    トントン、と部屋のドアを鳴らす音が聞こえた。お母さんにバレたのかな、やばい、怒られる、わたしはすぐに電気を消そうとした。 「お姉ちゃん、なんでこんな時間に電気つけてるの? 」   アサギだった。  「あんたに関係ないでしょ。はやく自分の部屋に戻りなよ。お母さんに気づかれる」  わたしは小さい声で、早口でアサギに言った。でも、アサギは私の部屋に入ってきた。  「お姉ちゃん、いいかげんにして。最近、変だよ。家でずっと触ってるじゃん」  アサギは、わたしの手に持っているものを指差した。  「スマホ! 」  すると、手に持っていたスマホから振動がきた。すぐに画面を見た。  「私は暗闇にいる」  フライデーだった。  そう、フライデーは画面の中の人だ。  わたしはあの日、#scoolというハッシュタグの検索で、偶然にもフライデーのアカウントを見つけたのだ。  「アサギ、心配かけてごめん。でも、許して。私にとって、大事なことなんだよ」  アサギは眠そうな目をこする。薄いラベンダーに白兎の柄のパジャマ、不揃いな前髪、彼女はまだ幼いのだと感じた。同時に、大人に近づいているのを感じた。わたしはアサギを赤ちゃんの頃から知っている。今まで、私に意見することは、少なかった。こんなちっぽけな女の子が、自分を心配してくれているのだと感じた。  「あのね、」  説明をしようと思った。フライデーとの関係を。でも、どう説明すれば良いの? だって、フライデーの本名をわたしは知らない。アカウント名は、star_13だった。13という数字がもしも年齢ならば、同い年だと思った。でも、違うかもしれない。フライデーは、フライデーじゃない。私は、友だちのツヤカや万理の顔が浮かんだ。司書の高坂さん、英語の桐嶋、この二人のことは詳しくないけれど、それでも私は、彼らの名前を知っている。わたしは、そのとき名前の大切さを痛感した。ねぇ、フライデーあなたの名前は?プロフィールから、アメリカ人でクールでキュートなあなたを私は知ってる。だって、いつも金曜日に更新をしてくれるから。  そんなあなたが、今絶望している。わたしは、どうしたらいいのだろうか。 「アサギ、今日はお姉ちゃんのベッドで一緒に寝よっか」  そう提案してみると、アサギは嬉しさを隠せない様子で小さく「うん」とうなづいた。  「枕とってくる! 」  小走りに、自分の部屋に行ったアサギをみて、今夜はとりあえず寝ようと決めた。朝になったら、フライデーがふと画面に現れて、元気な姿を見せてくれることを願って。 【Day5.5】  早朝、目が覚めた。隣のアサギは、ぐーぐー寝ている。その顔が、アサギの赤ちゃんだった頃を思い出し、心がほっこりとした。  わたしは、スマホを取り出し、フライデーのアカウントを見る。昨夜と変わらず、「私は暗闇にいる」としか、更新されていない。わたしは、再び布団に潜った。   夢をみる。フライデーとわたしは、ソファに座ってディズニーチャンネルをつけて、でかいバケツのバニラビーンズ入りのアイスのバケツを直接スプーンで食べていた。私たちに、壁なんてなかった。夢では、英語でも日本語でもない言葉で、会話をしていた。楽しかった。フライデーは、大きな口を広げて笑っていた。わたしも、めちゃくちゃに笑った。ただ、ただ、この時間が止まらなければ良いのにと思った。 だけど、現実はそうもいかなかった。わたしは、学校に行かなければならない。みんなと同じ制服を着て、みんなと同じように授業を受けなければならなかった。フライデーは、わたしと同い年だ。プロフィールに、そう書いてあった。フライデーも、学校に行ってるのかな。あぁ、どうかフライデーが暗闇から抜け出せますように。わたしはただただ、そう願って学校に行った。  大嫌いな英語の授業。その日は、手紙を英語で書くという課題が出た。桐嶋は、今日も私に例を読ませようとする。私は、しぶしぶ立ち上がり、無感情のまま読んだ。 「いやぁ、やっぱ発音上手いね。やっぱり、お父さんがイギリスにいるからかな」  え?わたしは、固まった。お父さんがイギリスにいることを、わたしは誰にも言っていなかった。桐嶋の発言で、クラスがどよめく。 「谷崎ん家って、金持ち?」 「お父さん、イギリス人なの!?」  個人的なことなのに。騒がれたくないから、黙っていたのに。お父さんとお母さんが、離婚してることは絶対に知られたくない。そしてまた、きっと陰口をたたかれる。クラスの的に、わたしは英語の授業のたびに桐嶋のせいでなってしまう。それは、ひっそり、こっそり、誰にも注目されずにいたいわたしには、辛いことだった。  あ、「私は暗闇にいる」フライデーの言葉を私は思い出す。まさに、わたしは暗闇にいる。フライデーも、こんな気持ちなのかな。  結局、その後もコソコソ言われながら、宿題で英語で手紙を書くことになった。桐嶋は、こう言っていた。 「誰にでも書いていいぞ。もちろん、好きな相手でも構わない」  好きな相手? そんなのいない。わたしは、誰に手紙を書いて良いのか途方にくれた。下校時間、ツヤカちゃんが、「桐嶋の言うことなんて気にしないでいいよ」とわたしに言ってくれた。ツヤカちゃんの、可愛い猫目は全然笑ってなんかいなくて、わたしのために怒ってくれているんだと思ったら、何だか嬉しかった。万理が「帰りにコンビニ寄ってさ、チキン食べよ」と誘ってくれた。万理は、節約家で滅多にこういうことは、言わないのに。わたしのためって自惚れてもいいかな。二人の優しさに、さっきまで冷たくなっていた胸がじんわりと暖かくなる。  わたしは、ツヤカちゃんの恋バナで大笑いしながら、万理の推しについての話を聞きながら帰った。フライデーにもこんな友達いるのかな、とふと疑問に思った。  家に帰り、わたしは電子辞書を片手に宿題に取り掛かろうとしていた。だけど、書きたい相手なんていないよ。お父さんに書こうにも、桐嶋があんな風にみんなの前で言ったから、なんか書きづらい。それにお父さんとは、いつもメッセージのやり取りをしている。  星がきらめいた。フライデーからの合図だ。私は胸をドキドキさせながら、フライデーに会いに行く。 「私は、ひとりぼっち」  あぁ、フライデーそんなことないのに。わたしがいるよと言いたかった。わたしは、フライデーの本名を知らない。どこに住んでいるのか、家族構成や好きな食べ物も知らない。何にも知らない。でも、わたしは知っている。フライデーが最高だってことを。  わたしは、手紙を書くことにした。フライデーに。あなたは、ひとりぼっちじゃないよって伝えたい。日本語でまず書いていく。思いが溢れて、手紙から文字が浮き出てしまいそう。夢中になって、わたしは書いた。  【DAY6】「フライデーへの手紙」  今日は、英語の授業の日。 「みんな、宿題はやってきたか。今日は、みんなの前で読んでもらうぞ」  わたしは、桐嶋の言うことにびっくりした。手紙なんて、送りたい相手にしか読んでもらいたくない。なんで、そんなことができるの。私は、当たりませんようにと願った。 「トップバッターは、谷崎だな。やっぱり」 当たってしまった。しかも、一番手に選ぶなんて。わたしは、桐嶋を呪った。そのいつも着ている、青いジャージをビリビリに破りたかった。 「誰に書いたんだ?」 本名も知らない相手です。 「どんな内容だ?」 暗闇にいるあなたを救いたいという内容です。 そんなこと言えるわけもなく、わたしは咄嗟に父親宛ての手紙をその場で考え、発表した。 「良い文章だな、みんな谷崎に拍手」 パチ、パチ、パチ。まばらな拍手がした。発音でごまかしたら、文法のミスも気づかれなかった。桐嶋の英語力なんて、しょせんそんなもんだ。わたしの頭は、嫌に冷静だった。もう、どうだっていい。フライデーのこと以外、どうだって。  フライデーが、姿を現した。おでこを出したポニーテールがチアリーダーみたいで、とても素敵。なのに、表情がどこか暗い。一体フライデーの身に何が起きているの? 「誰にも理解されない苦しみ」  わたしは、迷わずフライデーへの手紙をプライベートメッセージで送ることにした。フライデーの役に立ちたいというよりも、フライデーの味方でいたかった。  フライデーへ  わたしは、あなたのことをそんなに知らない。けれど、あなたの投稿をいつも楽しみにしていた。わたしは、学校が嫌いです。あなたのように。仲の良い友達はいるけれど、わたしはいつもどこかで孤独を感じていた。お父さんとお母さんが離婚しているからかもしれない。金曜日にあなたはよく現れるから、私はあなたのことをフライデーと呼んでいる。ねぇ、フライデー、あなたの本当の名前を教えて。  日本から、カナミより  送信ボタンを押した。フライデー、これであなたの暗闇が晴れればいいのに。   【SideA】  どうしても、彼の唇に触れたかった。たとえ、それがこの世界の違反行為だったとしても。  彼の服の襟を引っ張り、私は子どもみたいなキスをした。だって、大人のキスのやり方なんて知らなかった。いつも氷のようにクールと噂される、彼の驚いた表情。それを見れたことだけで、私は幸せだった。この表情は、私が引き起こしたんだ、そう思ったら、爪先からじんわりと熱が帯びて、身体が熱くなった。 「……君は、何を」  いつもは堂々と、揺るがない声で命令を下すその声が、今は震えていた。 「私に触れたら、この世界の住人に触れたら君は」  黄昏色の瞳の中には、私が映っている。  「知ってる。ここに来てから、何度説明されたわ。この世界の住人に触れ流のは、絶対的な違反行為。私は元いた世界に強制的に帰されるって」  私の身体は、消えてゆく。ほら、もうつま先から。  「それなのに、何故君は」  「わた、しは」  あぁ、もう、声が出ないみたい。必死に声を出そうとしてるのに、違反を犯した私には、お別れの言葉を彼に告げることも許されないようだ。  私という存在が、この"おとぎの国"から、消されていく。彼の瞳に、私が映ることはもうないだろう。それでも良かった。あなたに触れないまま、時を過ごすことの方が私にとって、辛いことだったから。   さようなら、私だけの王子様。  制服を着た私は、あなたの国に初めて来たとき、不安で一杯だった。あなたが、私を守ることを優先してくれたことが、どれだけ嬉しかったか。  私たちは、恋人だった。お互いの身体に触れることができないのに。でも、それは確かに、愛だった。夜、お城の秘密の部屋で、私はアメリカのことや家族や、学校のことを話した。彼は、おとぎの国の住人のおかしさや、魔法使いのお姉さん、自分の苦しみについて話した。きっと、私がこの国の住人じゃないから、話しやすかったんだろう。私も同じだった。クラスメイトには言えないことを、彼には言えた。  消えてゆく身体を、彼が抱きしめた。感触なんてないはずなのに、何故か温かさを感じた。この瞬間を、私は忘れない。忘れたくなかった。 「また会おう、必ず」  約束が嫌いだと言ったその口で、彼は私に約束をする。私は記憶に焼きつける。大好きな彼の瞳を、低い声を、白銀の髪を。  彼も同じように、私を焼きつけたらいい。私という存在を。  さようなら、おとぎの国よ。もう二度と帰ることはないでしょう。  日常が戻ってきた。  私はどうやら、少しだけ深い眠りについていただけらしい。日曜日の朝を、寝坊しただけで、私の世界は何も変わっていなかった。  おとぎの国では、そう、たぶん半年ほど過ごしたはずなのに。私は、不思議と落ち着いていた。だって、事態はとてもシンプルで、私はおとぎの国に行き、王子様と出会い、別れ、元の世界に戻っただけ。  誰にも言えないことだとわかっていた。妄想だとか夢だと笑われるくらいなら、自分の心に鍵をして、誰にも言ずにこの先の人生を全うしようと決めた。 「アリエルったら、最近おかしくない? どうしたの、何かあった? 」  目覚めてから一ヶ月が経ち、10月になった。最近、皆に同じことを言われる。母が言うには、私はいつもうるさい程喋って、友達と遊び、ファッション誌を読んでは、流行りの服が欲しいと騒いでいたらしい。  私は友達とも遊ばず、ファッション誌よりも学校の図書室で本を借り、去年買ったチェックのマフラーを首に巻いている。 「何も変わってないから、お母さん。いってきまーす」  玄関で不安そうな顔をする母の顔を見たくなくて、私は強めにドアを閉じた。バタン、と音が響いた。  「アリエル、今日も髪巻いてないしぃ、メイクしてないじゃん」  「ね、アリエルさぁ最近できたレモネードの専門店行かない?」  「SNSも更新してないしぃ、寂しいよー」  学校では、友達のリアとミシェルが声をかけてくれる。嬉しいことなのに、私はちょっと面倒だと思ってしまう。 「ごめーん、何か最近ダルいんだよね。それに金欠でさぁ」  適当な言い訳をして、私は聞き役になる。「へぇー」「わかるー」「だよね」この三つで会話は成立してしまう。  前はあくびをしてた授業も、ノートを真面目にとるようになり、小テストが満点になった。先生たちからの評判は良い。この前は、数学の先生と廊下ですれ違ったとき、 「アリエル、次のテストはこのままいけば、良い点数がとれるんじゃないかな」  と、上機嫌で言われた。嬉しくなかった。  周囲が言うには、私は、変わってしまったらしい。  お父さんからも、「前のアリエルだったら、俺にうるさいくらい文句言ったのにな」と言われ、家で本ばかり読んでいる私を不思議に思っている。  ふと、兄との出来事を思い出す。それは、おとぎの世界に行く前のことだった。 【アリエルと兄】  アリエルにとって、兄は絶対的な存在だった。  一度も連絡を交わしていなかった兄から連絡があったのは、長い春休みを控えた少し前の時期のことだった。そのときアリエルは、必修科目の試験勉強に追われていた。「お疲れ。2月とか時間ある?」と送られてきたことには気づいていたが、既読にして放置していた。そんな暇はないのである。単位を落とすかもしれない。無心と心で唱え無事に試験のヤマがあたり、事なきをえた。兄に返事しなきゃと思いつつも、基本がずぼらな性格のため、寝る前にふわふわした頭で、あ、返事と思い出しては夢とともに消え去っての繰り返しであった。案の定返事を返していないことが母に伝わり、夕飯のときに怒られた。 「トムからの返事、無視してるでしょ」 「だって面倒なんだもん」 「ちゃんと返事しなきゃ心配するでしょ」 「誰が?」 「トムが」 心配なんかしねーよ。あの兄が。と思ったのが顔に出ていたのだろう。母は呆れた表情で「トムがこっちにいたときも、あんたたち兄妹は挨拶もしないし。従兄妹のアンディたちなんて凄く仲が良いんだって。エリザベスなんかアンディが修学旅行に行っている間寂しくて泣いちゃったんだって」 「へぇ」 「かわいいよねぇ。それに比べてあんたはねぇ、まったく」 あー、うるさい。この話題は一体何回目だろうか。確かに、同じくらいの年の兄がいる友達からは、一緒に遊んだなんだと話はよく耳にする。でも、とアリエルは想う。  兄妹だからって仲良くしなきゃいけないわけ?―そんなことない。世の中には色んなパターンの家族がいるし恋人や友人同士がいる。ただ枠組として名称があるだけで、それがただ世間からイイモノとされているだけ。アリエルはそう考えていた。  なのに、母からこのことを言われるたびに、罪悪感が生まれるのはなぜだろう。なにも悪いことなんて、していないのに。  冬の朝、自分の吐く息が白いことに感動しなくなったのはいつからだろう。小学生の頃は、友達と登下校のたびに、お互いに息を大げさに吐いて喜んでいた。紺のコート×白のニット×スキニー×ブーツというもろそうな鎧で、兄と会うカフェへとやってきった。結局、いきなり彼女とご対面するよりも、まずは兄妹の絆を深めてこいという母の助言によりふたりで会うことになった。先に到着していた兄は、アリエルを見つけると手を挙げた。  「何年ぶり?」  高級腕時計を机の上に置いた兄は、懐かし気な顔でにこやかにこちらを見る。もともと学生時代はアイドルみたいとと騒がられていた容姿だ。友人にいつも羨ましがられてた。今も昔の面影はあるが、妙に落ち着いているなと思った。あれ、この人こんな顔だったけ。どこかもやもやしつつも、ホットココアを頼んだ後、ここは兄のおごりだろうと思い、チーズケーキも追加で頼んだ。喋ることなんてないと思っていたが、意外と兄との会話は弾んでいった。しばらくすると、「これ彼女」と写真を見せてきた。この間、温泉に行ったらしい。眉毛をへなりとさせ笑っている兄のとなりにいる彼女は自然でだった。赤の他人のはずなのに、顔が似ていると思った。「明るそうなひとだね」と言うと、兄は「超元気なんだよ」と彼女が最近テレビで放送された映画で号泣した話をし出した。その映画はアリエルも観ていたが途中でチャンネルを変えたものだった。 「トムも泣いたの?」 「泣きはしなかったけど、良い映画だったわ」  嘘だと思った。兄はああいう泣ける映画を馬鹿にしていた。でも、その後も続く兄の話しぶりから、心から言っているのがわかった。  会計をすませた兄が帰り際「じゃあ次会うときは、紹介するから」と言ってアリエルたちは平和にお別れをした。家に帰り、両親に兄が変わってしまったと言うと「トムも大人になったんだよ」と「社会に揉まれたってことね」と父も母も普通の顔をして言う。さも、当たり前かのように。  兄は昔、尖っていた。  常に人の上に立つことが当たり前だと言うように、威張り散らしていた。家に遊びに来た兄の仲間たちが「妹ちゃん見たいんだけど」と言うと「ださいから、あいつ」と言い放った。兄と隣の部屋で勉強をしていたアリエルは、シャー芯をぼきんと折って悔しくて泣いた。ノートにぼつぼつと落ちていく自分の涙跡を、今でも覚えている。いつもアリエルを下に見て馬鹿にしていた兄。本を読んでいるアリエルに「オタクかよ」とぼそっと言ったことも学校から帰ると本や音楽と趣味に勤しんでいたアリエルの姿を見て「友達いないの?かわいそー」と言ったことも全部全部、記憶の中にしっかりとある。この人は、平気で人を傷つける言葉を投げて攻撃するんだと思春期でナイーブだった当時の幼いアリエルは、兄のことを軽蔑していた。今思うと、確かに自分はダサくてオタクで友達がいない学生時代であった。図星だったからこそ、言い返すこともできずにただただ兄を呪っていたのかもしれない。  アリエルにとって、兄は絶対的な存在だった。  それは、崇拝しているという意味ではなく て、胡坐をかいて座っているだけで、人々を引き寄せる力がある、世界遺産のようなものであった。なんてことを考えつつも、アリエルは世界遺産にあまり興味がなかったが。夏の合宿に行ったときも、観光名所よりもよく見かけるソフトクリームの置物(今まで目にしたソフトのなかで最も仙人のようないで立ちだった)やでかい岩(熊をぺしゃんこにしたみたいたやつ)に愛着を持ってしまい、おぉと感激して写真を何枚も撮っていたら、後輩に不審な顔をされた。  兄は大人になったのかもしれない。両親が口にするように。なんで、と思った。あのまま変わらずに、大人になってほしかった。嫌いだったあのころの兄の面影を感じたかった。あんなやわらかい笑顔なんていらないから。そうしたら、と。そうしたら、何も変わらない自分自身を、そのままでいいんだよと認めてもらえる気がしたのに。 【アリエルと友達】    そう、私には、家族がいる。友達もいる。  それなのに、満たされないのはどうしてだろう。  私は、アカウントを開設した。それは、友人たちには内緒のアカウントで学校での孤独感を綴ったもの。お遊び感覚でやり始めたけれど、ストレス発散になって結構良い。ここでは、本当の私を世界に見せつけたかった。  最近私は、学校の図書室では外国の物語を、町の図書館では、子どもと混じって、王子様の出てくる童話を読む日々を続けていた。そうすることで、彼のいない世界を受け入れようとしていた。 「アリエル、なんかあった? 」  クラスで人気のあるキースは、私の彼氏候補で、キースが私のことを好きなのは、周知の事実だった。染めた赤茶の髪の毛先を弄る弘瀬は、確かに世間一般的にイケメンだと思う。バスケ部で、背が高くて、ノリがよくて、思春期特有のキモさみたいなのもない、爽やかさがあった。私は、キースのことが好きだったのだろうか。おとぎの国から帰ってきてから、周りが言う、バカだけど明るくて元気で、ファッションが好きでメイクが得意な自分の姿を見つけられずにいた。 「べつに、なんもないよ」  学校机の上で、本を広げていた私は読書を中断させられたことに対する煩わしさから、つい、キースのことを睨んでしまった。  「ふぅん。ま、そういうときもあるよな」  何故か私の態度に嫌な顔をせず、口元をにんまりさせたままキースは、いつもつるんでいる友人たちとどっかに行った。変なの。  授業が終わり、鞄を持ち、さっさと帰ろうとしていたら、ミシェルに呼び止められた。 「アリエル、はやくいつもの調子に戻ってね。なんか、レアがキレてて、うちも嫌なんだよねぇ」 「キレてる? 」 「うん。アリエル付き合い悪いって」  さすがに、ずっと誘いを断っていたからか、レアの機嫌が悪いらしい。でも、レモネード屋さんも、カラフルな綿飴が食べられるお店も、興味がわかなかった。前の私なら、飛びついて行っていたらしい。 「レアがね、アリエルのキャラ変はさすがに無理ありすぎって言ってたよ」 「キャラ変……」  ミシェルは、たぶん、悪気はないのだろう。でも、自分の悪口を人から聞くのは気分が悪かった。  「じゃあまたね。アリエル元気になってね」  ミシェルは、ヘアアイロンで丁寧に巻いた髪をひるがえし、レアの待つ隣のクラスへ帰って行った。  私は、変わってしまったのだろうか。前の私が戻らなければ、友人たちを失うことになるのだろうか。頭でグルグル考えてしまう。  帰りのバス、ここに乗っている人たち レアのSNSには、ミシェルと遊びに行った様子の写真があった。コメントに、 "アリエルいないの? もしかしてケンカ中? " と書かれていた。  私たちは、三人でいつもツルんでいたのだ。それは、自分のケータイの写真フォルダを見ればすぐにわかることで、写真のなかの私は、笑っていた。  翌日、学校に行くとクラスの空気がおかしかった。私は、すぐに理解した。  いつもなら、「おはよ」と言って話しかけてくるレアがこちらを見ようとしないこと、ミシェルが気まずそうにこちらを少しだけ伺ってることの意味を。  私は自分の机に着いて、本を開く。これで、私はどこにでもいける。現実から、逃避できる。自分に言い聞かせたけれど、何故か目が滑って文字を追うことができなかった。  どうしてだろう。 「え、なになに。あの3人組なんかあったの? 」 「ほら、アリエル、急に真面目ちゃんになったからじゃない」 「きつぅー」  周囲の噂話がよく聞こえる。人は、平和を好んでいるようで、自分と関係ないところで起こるちょっとした騒動を待ちわびているのだ。そう、こんなの、ちょっとしたことだ。たいしたことない。 「アリエルかわいそ」 「キース、助けてやれよ」  周りに囃し立てられている弘瀬に、私は、来るなと、お願いだから来ないでくれと強く願った。  キースは、怠そうな顔をして「知らね」と言って教室を出た。 すると、さらに教室の雑音が強くなった。 「うわ」 「かわいそ」    私は本を絶対離してたまるかと、お前らと目を合わせてたまるかと、ふつふつとした怒りを抑えて、抑えて、やっと気づいた。  本当は、来て欲しかった。それはキースではなくて、  たったひとりの、わたしの王子様に、私は、来て欲しかったんだ。  その日は、帰りの会が終わると、私はすぐに家に帰った。  ベッドの上で、お気に入りのウサギの抱き枕を、胸のなかでぎゅっと抱きしめ。ずっと苦しいのを我慢をしていたからか、涙が出た。大丈夫、大丈夫だよと自分に言い聞かせて、私は息をゆっくり吐いた。そして、友達に話したいと思った。私が、おとぎの国の住人であったことを。  携帯の画面と向き合い、私はゆっくり文字を打っていった。    『ねぇ、聞いて。実は、私は、おとぎの国にいたんだよ。背も高くて、めちゃくちゃ格好良い王子様がいて、仲良くなったんだよ。でもね、私は外の人間だから、触れられなくて、とてもはがゆかった。私は、彼の唇に触れて、幸せを感じたけど、同時に悲しみが押し寄せてきたんだ。だって、それは、違反行為で、お別れをしないといけないから』  打ってると、だんだん心が重たくなってきた。きっと、レアもミシェルも私が頭がおかしくなったと思うに違いない。私は、メッセージを保存してスマホを閉じた。胸がモヤモヤして、「私は暗闇にいる」と例のアカウントに吐露した。辛かった。おとぎの世界での日々が、懐かしかったし、今の自分が情けなかった。真夜中、「私はひとりぼっち」と打って寝ることにした。あぁ、このまま眠りについたまま、朝起きなければいいのに。  朝起きたら、ミラクルなことが起こっていた。なんと、日本の子からメッセージが届いたのだ。   フライデーへ  わたしは、あなたのことをそんなに知らない。けれど、あなたの投稿をいつも楽しみにしていた。わたしは、学校が嫌いです。あなたのように。仲の良い友達はいるけれど、わたしはいつもどこかで孤独を感じていた。お父さんとお母さんが離婚しているからかもしれない。金曜日にあなたはよく現れるから、私はあなたのことをフライデーと呼んでいる。ねぇ、フライデー、あなたの本当の名前を教えて。  日本から、カナミより  私は、泣きそうになった。あんな、私のアカウントをこんな風に受け取ってくれる子がいたなんて信じられなかった。私は、すぐに返事を打とうとして、手を止めた。このメッセージが私に背中を押してくれた。  レアとミシェルに、メッセージを送った。  『実は、失恋した! 』  母に、朝食だと言われ下に行くと、携帯のバイブレーションが何度も震えた。スマホを見てみると、ふたりから大量のメッセージが来ていた。昨日のことへの謝罪と、失恋から立ち直れるように全力でサポートしてくれるらしい。素直に嬉しかった。  キースにも何故か伝わっていて、電話が来た。  「もし」  キースの声は、記憶のなかの王子様と全く違う。私はつい比べてしまう自分を反省した。  「ごめん。あのとき、どうして良いかわかなかった。オレが庇うことで、余計アリエルの立場揺れそうだったから。ごめん」  でも、悪くないのに二回も謝るキースを、ちょっとだけ、いいなと思った。  「いいよ。もう解決したから、ありがとうキース」    電話を切って、学校に行くのが久しぶりに楽しみだなと感じた。明日は、ちょっと早く起きて、髪をふわふわに巻こう。     私の失われた恋は、きっとこうやって日常を送ることで癒えてゆくだろう。  王子様はもういない。けれど、私はきっと大丈夫。ご飯を食べて、よく寝て、家族や友人と過ごし、それなりの日々を送っていく。  次、好きになった人が、私の唇に触れるまで、ずっとずっとあなたは私の大切な人。  カナミへ メッセージをありがとう。カナミは女の子?男の子?それとも、どちらでもない?私の名前は、アリエル。これから、よろしく。あなたの秘密を教えてくれてありがとう。ねぇカナミ、私の秘密も聞いてくれる? あなたに聞いて欲しいの。 アリエル アリエルへ 私は、女の子(今はね)返事がもらえて、とても嬉しい。もちろん!あなたの秘密が聞けるのを首を長くして待ってたよ。 カナミより カナミへ ねぇ、聞いて。実は、私は、おとぎの国にいたんだよ。背も高くて、めちゃくちゃ格好良い王子様がいて、仲良くなったんだよ。でもね、私は外の人間だから、触れられなくて、とてもはがゆかった。私は、彼の唇に触れて、幸せを感じたけど、同時に悲しみが押し寄せてきたんだ。だって、それは、違反行為で、お別れをしないといけないから。キスする前、私は彼と、一緒に色んなことをした。お城を抜け出して、野原に行って木に登ったり、夜のパーティーで庭を散歩したり。それは、幸せな時だった。王子様は、背が高くて白銀色の髪に、ラピスラズリ色の瞳で、最初は、寡黙な人だった。でも、接しているうちに優しい人だと知ったの。彼は、動物が好きでね、私も動物が好きだからよく二人で話をしていた。何の動物の背中に乗りたいからって。子どもみたいでしょ? でも、それが私たちだった。キスをしたらね、魔法がとけちゃったみたいで、私はおとぎの国に行けなくなった。それは、凄く悲しいことで、私はちょっぴり荒れた。だから、あのアカウントを作ったの。まさか、日本の女の子に見られてるとは思わなかったけれど。あなたの送ってくれたメッセージがきっかけで、私は殻をやぶれたの。ありがとう。今はね、キースっていう男の子が気になってる。これは、絶対に内緒の話。カナミは、ボーイフレンドとかガールフレンドはいるの? あなたにキスを アリエルより 【Side K】  アリエルからの手紙を訳しながら、わたしは彼女の秘密がとてもロマンチックで素敵なものであることがわかり、胸をときめかした。でも、わたしの現実はどうだろう。この間、ツヤカちゃんと万理とお泊まり会をしたとき、恋バナが始まった。 「花奈実は、気になってる男子はいないの?」そう、ツヤカちゃんに聞かれて私は、言葉に詰まった。  彼氏や彼女なんていない。それに、私はどうやら恋愛に興味がないみたい。それって、変なことなのかな? フライデーへ 素敵な秘密を聞かせてくれてありがとう。フライデーの秘密は、とてもキラキラしているね。私のもうひとつの秘密を打ち明けるね。私は、恋愛に興味が抱けないの。これってやばいかな? カナミより  フライデーは、すぐにメッセージを送ってくれた。 カナミへ そんなことないよ。世の中が全て恋愛で出来てるわけがない。私は、男の子と遊ぶのが好きで良くビッチだって言われてるけどね。自分の心の思うままに、生きたら良いと思う。カナミは、素敵だよ。 フライデーことアリエルより  自分の心のまま?フライデーは、いつもわたしにパワーをくれる。あなたの話をもっと聞きたいし、わたしの話も聞いてほしい。わたしとフライデーは、住んでる国も喋る言葉も違う。でも、同じ空の下で、こうやって繋がってると思うと、身体が嬉しさで震えた。   フライデーへ、とわたしはまた、胸をワクワクさせながら大好きな友達に、メッセージを送る。きっと、わたしたちは幸せになれると無条件で、そう強く感じた。
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