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episode 1
「こうやって目をつぶって思い出してください。あの頃の笑顔を。そして優しく語りかけるんです。ありがとう、と。静かに目を開けてみてください。さあ、話してみてください。心のうちを。誰かに話すことできっと分かちあえます、悲しみや苦しみを」
遺族のための相談教室――そう書かれた黴臭い部屋の中で、草臥れた木の椅子に腰掛け、円を囲むようにしている大人たちが、その言葉に静かにうなずいている。鼻をすすり、うっすらと涙を浮かべて。
「先生」と呼ばれるその女は参加者の様子を伺いながら、ぐるりと教室の中を一周する。後ろのドアから覗く私の視線には気がついていない。
「さあ、ゆっくりと息を吸って、吐いてみてください。宮前さん、お話できますか」
女はそっと森乃の肩に手を置くと話すように促す。彼女は両の手を前に結び、背筋を伸ばして廊下側一番手前の席に座っている。
「宮前さん、リラックスして」
「ばっかみたい」
ドアの隙間から漏れた私の声が、振り向いた女と、女に促され今にも言葉を発しようとしていた森乃の顔を引つらせる。立ち上がり、勢いよく私をめがけてやってきた森乃は
「なんて?」
血走った目で私を睨みつける。この目、もう何度も見た。
「話して楽になるなんて、嘘に決まってる。赤の他人と苦しみを分かち合うなんて馬鹿げてるし、そんなんで癒えるもんなら、最初っからこんなとこ来ないでしょ」
「先生」と呼ばれる女が「まあ」と驚いた表情でまるで漫画みたく、口に手を当てる。私は腕を強い力で掴まれる。
「じゃあ、あなたはなんでここにいるのよ。どうして来たのよ。来る資格なんてないくせに」
「ただ通りがかっただけ。痛いから離して」
薄いブラウスの上から、肘のあたり、柔らかい皮膚に、ベージュに色塗られ綺麗に生え揃った森乃の爪が食い込む。
「離してよ」
次の瞬間、こだまのように脳内で反芻する鈍い音が、頬を打たれた音だとやがて認識する。
「いった……」
左頬に手をやり向き直ると今度は森乃の頬を叩き返す。ものすごい勢いで廊下を走る音がしたと思うとかけつけた警備員が私達を引き離し、私は教室から引きずり出される。立ちすくむ彼女が視界から次第に遠ざかっていく。
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