ばかなこと、なんてない

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 ***  中学生の終わり頃に、自分の人生はどうしてつまらないのだろうと考えていた。国語の教科書に書いてある物語に登場するのは、非日常の経験や苦しい生まれの主人公が多く、それらと比べればこの十数年辿ってきた己の道のりが味気ないものに思えたのだ。  超能力なんていったものは当然のごとくない、人に誇れるほど突出した能力もない。運動神経や成績は平均であって、人が振り返るような美貌も持ち合わせていない。家族に不満を持つことも、学校や交友関係で悩むこともなかった。落ちこんだり悩んだりすることはあっても、周囲の大人びていく顔つきに比べればやさしく平らかなものだった。日本史の授業で凪いだ海の話が出た。あ、それだ。わたしの人生って凪いでる。これほどぴったりと当てはまる言葉があるだろうかと感銘を受けて、ノートの端っこにピンクのペンで『凪ぐ』と書いて漢字を覚えた。部首は几部で、中に止める。何度も書けばしっくりと馴染んで、わたしの人生を一文字の漢字にするのならこれだとほくそ笑んだ。  わたしにはオリちゃんという友達がいた。中学校で仲良くなって、卒業しても同じ高校に進学すると決まっていた。交友関係の悩みがなかったのはオリちゃんがいたからというのも大きい。  オリちゃんはわたしと同じくらいの背丈で、でも痩せていた。給食は残さず食べて、わたしが嫌いなキウイゼリーが出ればオリちゃんがもらいにくる。それもぺろりと平らげるのに彼女は羨ましいほど痩せている。給食のトレーを片付ける時はご飯粒ひとつ残っていない綺麗な食器を持ってくる。箸の持ち方がおかしくてバッテンになってしまうことを気にしているので、カレーやシチューなどスプーンだけ出る日はうれしそうだった。でもわたしにとっては箸の持ち方がおかしかろうとオリちゃんが綺麗だった。涼やかな瞳とすっと通った鼻立ち、それに体付きの細さも相まって彼女は綺麗だった。  オリちゃんはどこか抜けたところがあって、冬に着てくる学校指定のセーターは毛玉にまみれていた。我が家では母が毛玉取りをしてくれる。その道具をこっそりと学校に持っていってオリちゃんのセーターの毛玉を取ってあげた。彼女は珍しいものを見るようにわたしの手つきを眺め、それから「ありがとう」とはにかんで笑った。わたしは、オリちゃんの面倒を見るたび幸福感を味わった。わたしがいないとだめなんだから、と冗談めかして言う。得意げな顔をしていたと思う。友達というものに酔いしれていた。親友という言葉があるのなら、わたしにとっての親友はオリちゃんである。そう信じていた。  たとえ親友だと思っていても見えないものがある。それを知ったのは中学の卒業式後。 「光奈(みつな)にだけ教えるね」  オリちゃんはそう言って、卒業証書を入れたケースをわたしに持たせた。その日は三月のくせに春の気配が隠れ、しとしとと降る雨で肌寒い日だった。彼女は傘を持ち替えるのと同時に傘で溜まっていた雫がぼたぼたと落ちる。利き腕で反対の腕の袖を捲った。  そこにあったのはただの手首で、でも異なっていた。絆創膏が貼ってある。そのガーゼには沁みて黒くなった血が滲んでいた。  絆創膏を貼る程度の傷はさほど深くないと、中学生のわたしは思っていた。だからわざわざこれを見せる意味がわからず、首を傾げた。 「怪我したの?」 「自分で切ったの」  オリちゃんは淡々としていた。こちらに見せるよう掲げていた手首をおろし、伏し目がちにそれを見つめる。雨のように静かで、けれど悲しげな湿度をはらんでいた。  自分で切る、自ら傷をつける。その意味がわからない。紙で指を切るだけでもピリリと痛むのにどうして自分から傷をつけるのだろう。 「……痛い?」  浮かんだのは間抜けな問いだった。それに躊躇いなくオリちゃんは「うん」と頷く。  痛いのならば切らなければいい。簡単なこと。痛いとわかっていて、どうしてそれをするのだろう。わたしにはわからない。意図は微塵も理解できず、わかっていたのは自ら傷をつけることはよくないという、わたしなりの答えだった。 「やめた方がいいよ」  痛いのならやめればいい。その考えを、彼女のセーターについていた毛玉を取る時と同じような感覚で口にした。心の中で「まったくオリちゃんったら」という、母が口にするようなひと言も浮かんでいた。それは口にせず、助言だけに留めた。  オリちゃんは「ありがとう」なんて言わなかった。笑っているのか泣いているのか判別は難しく、味のしない食べ物を咀嚼している時のように曖昧な表情を浮かべている。  わたしの知っているオリちゃんが、少し遠くなったような気がしたのだ。でも卒業と、まもなく始まる高校生活への期待でそれを埋めて、見なかったふりをした。
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