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その教室で、どれだけの時間を過ごしたかは定かじゃない。
夏景色を覆った光が、だいぶ黄金色になっていたから、かなりの時間が経っていたのかもしれない。
実際、わたしが一階のお店に戻った時には、レジのあのおばさんが買い物バッグを手渡しながら、こんな事を言ったんだ。
「ずいぶん長いこといたねぇ。
何か興味のある展示物でもあった?
それになんだか少し、来た時よりも表情が明るいみたい」
「いえ……あの……」
思わず溢れてしまった笑みで、わたしは素敵な秘密基地でも見つけたように、勿体ぶってから言う。
「あの、実は三階の特殊学級に行っていました。
先生も生徒さんたちも、みんなすごく朗らかで、わたしのことも快く受け入れてくれて」
わたしにとっては、思ってもいないような素晴らしい体験だった。おばさんも当然のように、喜んでくれるものと思っていた。
それなのにおばさんの顔は、どうして急速に強張っていくんだろう。
どうして突然、声を押し殺して言うんだろう。
「それは……本当なの?」
「は、はい。そうですけど……」
「本当にあなたには……
あの子たちが“見えて”いたの?」
「はぁ?」
言ってる意味がわからず、しばらく困惑していると、おばさんは気がついたように持ち前の笑顔を戻した。
「いや、何でもない。
あー、気にしないで。ほらこれ、地元の畜産農家が出してるプリンなんだけど、すごく濃厚で美味しいんだよ。特別におまけしてあげる」
「え、あ、ありがとうございます!」
おばさんの言った言葉に少しだけ後ろ髪を引かれながらも、帰路につくわたしの足取りは軽かった。
ヒグラシの蝉時雨が、みんなの笑い声に聞こえている。
木漏れ日が坂道に映し出す葉の影が、綺麗なレリーフみたいに見えている。
もう一度前に進める予感を抱きながら、勢いよく盛り上がった入道雲を目がけ、わたしは走りだしていた。
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