第三章『原初の罠』

1/1
前へ
/12ページ
次へ

第三章『原初の罠』

許せない――母の大切なものを奪った神々を。 母は()も、我が子も、力と安寧も、全て奪われた。 愛しの我が子を抱きしめてきた身体は無残に引き裂かれた。 純粋無垢な母の慈愛に満ちた海原は光の炎に燃え消えた。 絶対に許さない――母を裏切った神々を。 母から奪った王権を振りかざして君臨する神々の傲慢を。 死後も母を穢し辱めた神々を。 聖なる母の亡骸を踏み台にして謳歌する人間を含む地上の生命を。 全て憎い――私の愛する()を奪い死なせた神々が。 私を侮蔑し、嘲笑したきょうだいが。 私に汚名と原罪を刻み、私の首を斬り裂いた武神が。 母神の息子たる高潔な()を穢す愚かな人間が。 取り戻すのだ。 最愛の()を――母の愛し子達を――母の美しき大海原を。 復讐を誓う。 母から何もかも奪い、私を嗤いながら殺した神々に。 母の慈しんだ大地を穢す人間達に。 母の唯一にして絶対なる息子――イステヤ神(・・・・・)の名にかけて。 * 体内を焼かれるような寝苦しさ、氷柱で心臓を撫でられたような悪寒にサフィアは目を覚ました。何だか怖くて悲しい夢を見た気がする。目覚めた瞬間に忘れた悪夢にサフィアは肩を震わせた。しかし霞みがかった意識へ徐々に浮上した幸福な記憶と熱い余韻は不安を払拭してくれた。確か昨日はアルドと再会し、アルズの森で共に夜を明かし……アルドに抱かれた。 昔から恋焦がれたアルドに愛された幸せと悦びは、決して夢ではない。生まれたままの姿、白い肌中に咲いた赤い花びら達。あの幸福な奇跡の夜は現実だったことは、全身を苛む甘い痛みと重さが物語る。サフィアは恥ずかしくも、やはり幸せな痛みで胸を締め付けられた。 「アルド……? どこに行ったのかしら」 目覚めたサフィアの傍には、アルドの代わりに彼の純白の外套があった。今顔を合わせるのは少し気恥ずかしいため安堵した。それでも心は直ぐにアルドを求めていた。爽やかな花と緑が仄かに香るアルドの痕跡が残る外套を羽織ったサフィアは立ち上がった。遠くに映る出入口の陽光に目が眩みながらもアルドの姿を探す。心なしか洞窟内の道が昨夜よりも広く長いような錯覚がする。しかしささいな違和感は、出入り口付近で佇むアルドの後ろ姿に払拭された。太陽の光に煌めく美しい長髪、広い背中に胸が高鳴る。どんな表情でアルドと顔を合わせたらいいのか。 「アルド……おはよう……!」 「! サフィア……」 何となく照れがあったが、サフィアは思い切って声をかけた。サフィアの気配にアルドは肩を小さく揺らしたが、振り返らない。サフィアの名前を呟いた声色もそうだが、アルドの醸す雰囲気が昨夜と少し違う気がした。何となく不安に駆られたサフィアはアルドに近付き、もう一度呼んでみた。 「アルド……?」 「……おや。ようやくお目覚めかい? サフィア……ダムアの聖女(・・・・・・)」 一瞬で全て凍りつく感覚だった。柔らかな冷徹さに澄んだ声が呟いた知らない言葉。表情の見えないアルドの醸す異様な雰囲気。アルドであってアルドではない別人と対面しているような違和感に、サフィアの心臓が早鐘を打つ。しかしそれは気のせいだ、と己を誤魔化すようにサフィアは口を開いた。 「アルド……何を、見ているの?」 先程からサフィアに目もくれず、眩い陽光に満ちた洞窟の外を真剣そうに眺めているのが気になった。するとサフィアの問いは今のアルドの関心と重なったからか、彼はようやく振り返った。 「……ああ。ちょうどよかった。せっかくだから君にも見せてあげよう(・・・・・・・)」 まるで影にしか咲けぬ花のように妖艶な微笑み、仄暗い眼差しだった。サフィアを見下ろすアルドを愕然と見上げたサフィアの口から自然と零れたのは。 「あなた、()……っ?」 「おや……一目で気付くなんてね。これもアルド神(・・・・)への想いの強さによるものか」 サフィアの問いに別人のような笑みで柔らかに答えるアルドに、サフィアは困惑した。 「アルド……何を言っているの? 一体どうしてしまったの……?」 「そんなに知りたければ教えてあげるよ」 「え、きゃ……っ」 昨夜とはすっかり豹変したアルドの態度。不安と困惑に瞳を揺らすサフィアを嘲笑うように、アルドは彼女の肩を強引に抱き寄せた。 「洞窟の外をよぉく眺めてごらん」 (つまず)きかけたサフィアの両肩を背後から掴んだアルドは耳元で妖しく囁く。サフィア達が佇んでいるのはアルズの森とは別の場所。赤褐色の岩山の丘からは下に広がる平野を見渡せた。アルドと同じ姿形の別人に促されたサフィアは、視線を洞窟の外へ移した。途端、蒼海色の瞳が愕然と大きく見開いた。洞窟内からでは陽光に遮られて見えなかった光景は……。 「っ……何、これ。一体何故、こんな(・・・)……」 おびただしい数の神(・)獣(・)の(・)群れ(・・)に埋め尽くされた平野。昨日サフィアを襲ったウリディンムの他、恐ろしい風貌の神獣達が行き交う。まるで神話を綴った粘土板の挿絵を再現したように。アズルイラの大地を蹂躙する勢いで蠢く神獣達を、サフィアは慄然と見下ろす。 「信じられない……神獣が、しかもこんな数の群れが……っ」 「紹介するよサフィア。彼らは僕のきょうだいであり……バハル十一の子ども(・・・・・・・・・)が率いる神獣の軍勢だよ」 「バハル神様の子ども……? 嘘でしょう? 何故ならバハル神様はもう……」 目の前の神獣の群れは、世界が原初の海に満たされていた頃の古代生物。しかもバハル神から生まれた後に一部消滅したはずの神々の敵(・・・・)が今、アズルイラの大地に溢れているという信じられない光景。サフィアの混乱と疑問を見透かすアルドは微笑みと共に答える。 「信じ難いだろうけど、あそこにいるのは母神バハル……母上の子ども達だ。何故ならこの僕が呼び出した(・・・・・・・・・)からね」 優しげな美貌に浮かぶ笑みも台詞も、決してアルドのものではない。目の前にいるのは、昨夜サフィアを神獣から救い、優しく抱きしめて……愛してくれたアルドとはまったくの別人だ。恐ろしい現実を確信したサフィアは恐怖と動揺を押し隠すように問い詰める。 「あなたはアルドじゃない……っ。どうして……何が目的なの?」 「君の察しの通り、僕はアルドではない(・・・・・・・・・)。僕こそは母上の唯一にして絶対なる息子――イステヤ神(・・・・・)だ」 「イステヤ神……?」 「昨夜君に教えただろう? 母上と共に貶められ、愚かで穢らわしい人間の素材にされた哀れな神……神々とこの世界、人間達に復讐する者」 アルドの優しく澄んだ緑の瞳はいつの間にか、艶やかな真紅に澄んでいた。太陽の光に晒されると真紅へ澄み変わる緑王石(アレキサンドライト)のように美しくも禍々しい輝きを灯して。アルドと同じ容姿をたたえる偽者はあの「イステヤ神」と名乗った。一夜にして一変したアズルイラの暗澹たる景色、恐ろしい神獣の群勢から察するに「災厄の回帰」は起こった。邪神イステヤの現界を意味する現状から、一つの懸念が生じる。本物のアルド(・・・・・・)の行方だ。 「ねぇ、アルドは一体どこなの? 本物のアルドは……!?」 「っ……ふ、ふふふ、あははは……!」 目覚めから一度も姿を見ないアルドの行方を問うサフィアを、イステヤ神は心底おかしそうに笑った。微笑ましそうな眼差しに相反する無慈悲な嘲笑に背筋が凍りつく。 「な、何がおかしいのっ?」 「ははは……いや、ごめんよ。ただ君があまりにもかわいそうだからつい……いいかい、サフィア。一度しか言わないからよく聞くんだ」 サフィアを哀れ蔑むイステヤ神が耳元で無慈悲に囁く。耳朶を舐め上げた甘く仄暗い声、両肩を掴んでいる手に籠る力。恐怖と嫌悪にサフィアは手足の震えが止まらない。一方怯え揺れるサフィアの蒼瞳を、イステヤ神は恍惚と覗きこみながら告げた。サフィアの心を完膚なきまで砕く冷酷無比な現実を。 「アルド神はもういない(・・・・・・・・・・)。数年前、君の愛するアルド神は既に死んだ(・・・)んだよ」 刹那、世界の全てが灰色に凍結し、耳障りな音を立てて砕け散るような衝撃と虚脱感がサフィアを襲った。アルドが……もういない……? 「……嘘……っ」 「嘘じゃないよ、サフィア。何故なら……」 無意識の否定を零しながら愕然と立ち尽くすサフィアにイステヤ神は追い討ちをかける。背後からサフィアの体に細長い両腕を絡ませてきた。サフィアを決して逃がさない茨のように力強く。サフィアの肩に顎を乗せたイステヤ神は悪魔のように囁いた。 「数年前、君から離れた直後に死を迎えた。そして天界に封印されていたアルド神の亡骸は、イステヤ神()の新たな神体としていただいた(・・・・・)」 「そんな……! ならアルドの身体を使ってあなたは……っ」 「ああ。天界に残っていた手下の神獣を遣わせてアルド神の遺体を盗み、そこにイステヤ神の魂を注いだ。よって僕は悲願の復活を遂げたわけさ……!」 めまいが止まらない。サフィアの愛するアルドは数年前、既に死を遂げていた。しかも亡骸は今、邪神イステヤの新たな肉体として利用されているのだ。目の前にいるのはアルドを装ってサフィアを騙し、アクダルの森から連れ攫った悪しき神。アズルイラの大地と人間、世界と神々の滅亡と復讐を目論む忌まわしき災厄。ずっとアルドだと信じていた相手が、まさかあの恐ろしい邪神だったとは。アルドと再会した歓喜と募らせてきた恋心に浮かれていたとはいえ、何故直ぐに気付けなかったのか。イステヤ神の正体を見抜けなかった自分の愚かさは、他ならぬアルドへの裏切りだ。サフィアは深い自己嫌悪と悔恨に苛まれる。 「ふふふ……かわいそうなサフィア。君の愛するアルド神の魂はもういない。君は二度とファジュルへは帰れない。でもね……」 絶望と悲嘆に打ちひしがれるサフィアへ、イステヤ神は無邪気な憐みをこめて微笑む。しかしイステヤ神の最後の言葉を、サフィアの掠れた声が遮る。 「私も、殺すつもりなの……?」 邪悪なる抱擁と絶望に囚われたサフィアの胸を去来したのは終わりの時(・・・・・)だった。イステヤ神は神獣の配下を率いてアズルイラを破壊し、神々もろとも地上の生命を殺戮するだろう。最大都市国家ファジュルの王女サフィアを攫うことで、国と民を混乱に陥れ、その隙を突いてファジュルを滅ぼす魂胆なのだろう。目的を筒なく達成した後、人質の自分は用済みとなり、他の人間達と同様に始末するのだろう。無垢でか弱くも聡明なサフィアは、イステヤ神の意図を察し、故に諦めを抱き始めていた。 「まさか。君を殺してしまうなんてとんでもない。君だけは僕が殺させない。絶対に。(・・・・・・・・・・・・・・・・)」 「え……?」 一瞬聞き間違いかと錯覚させる意外な台詞。サフィアは怪訝な眼差しで振り返った。直後、柔らかで冷たい手のぬくもりと美しい髪がサフィアの両頬を撫でた……。 「っ……!」 「ああ……サフィア……っ。ダムアの聖女が……母上の生まれ変わり(・・・・・・・・・)が今僕の手の中に」 振り返ったサフィアの唇に触れたのはアルド……イステヤ神の口付け。親愛なる母に口付ける幼子がするように無邪気で一方的な、甘い危うさを帯びていて。イステヤの予想外な行為、恍惚と紡がれた驚愕の事実にサフィアは呆然とした。 「な、何故……?」 無意識に零れた問いは、果たしてどちらに対するものだったのか。困惑のあまり抵抗を忘れたサフィアを抱きしめながら、イステヤ神は嬉々とした表情で応える。 「ずっとこの瞬間を待ちわびていたんだ。ファジュルの言い伝えは君もよく知っているはず。ダムア海のように青く澄んだ髪と瞳の色の女児は、原初の海の女神……全ての生命の始まりの母・バハル神……僕の愛する母上の生まれ変わりだ、と」 「それって」 「母上の()から生まれた海のように美しい青色、無垢な眼差しも……君がアルドに見せる純粋な愛、母上の過去を聞いた際に見せた憐憫……母上と同じだよ」 相手はアズルイラを滅ぼそうとする邪神であり、愛する亡きアルドの遺体を乗っ取った敵。アルドと同じ優しげな美貌のせいだろうか。中身は違う存在でも、その柔和な微笑みと美しい瞳で見つめられると、サフィアは胸が締め付けられた。しかも先程まではサフィアを含む人間を蔑む台詞を呟いたイステヤ神だが、サフィアへの口付けは無邪気な優しいものだった。しかし、恍惚と揺れる瞳はサフィアを映しているが、彼女の中の別の存在を見つめている。 「あなたが私を攫った理由は何となく分かったわ。でも、私はバハル神様じゃないの……」 生まれ変わりだからという理由で母神と同一視されることを、サフィアは到底受け入れられるはずがない。サフィアはイステヤ神を説得するように明白に意見した。 「ああ、分かっているとも。君はサフィアという人間に過ぎない。でも母上の生まれ変わりであることに変わりない。母上と同じ無垢で美しい魂を持つダムアの聖女がいれば、母上は蘇る(・・・・・)……。僕がアルド神の遺体を与えられたことで復活を遂げたように」 最愛の母神の生まれ変わりサフィアの存在理由と使い道を示唆した言葉。ようやく自分の立場と運命を悟ったサフィアは、新たな恐怖と絶望で涙する。 「そんな……っ」 「だからサフィア……君は僕だけのものだ。これからも、永遠に」 「っ……! あ、やめ……っ。ふ……っ」 母神バハル一心に注ぐ深い愛情、その生まれ変わりサフィアに向ける執着(・・)。無垢な狂気に仄光るイステヤの眼差しと抱擁が恐ろしくなったサフィアは身をよじる。しかし、イステヤは歓喜のあまり力を籠めた手で捕えたサフィアへ深い口付けを落とす。 「んん……! 離して、ふ……っ」 「離さないよ……っ。ん……」 「あ……っ」 イステヤは嫌がるサフィアの後頭部を撫でるように押さえつける。サフィアの花茎さながら細い両手首も片手一つで掴み、抵抗力を奪った。今度の口付けはサフィアの内奥を侵し味わい尽くそうとする強引なもの。恐怖と拒否を零すサフィアの唇を塞ぎ、甘い柔らかさを堪能する。苦しげな息を漏らしたサフィアの唇の隙間をイステヤの舌がこじ開け、口腔を侵す。 「! んんっ! いやっ……あっ」 サフィアは反射的に舌を突き出して抵抗した。しかし逆にイステヤの舌に捕われてしまい、そこからはただ翻弄されるしかない。蠱惑的に動くイステヤの舌先はサフィアの舌先から根元へ優しく触れては、強く吸い上げてくる。暫くした後、深い口付けからようやく解放されたサフィアは息を上げて脱力する。中身は別人なのにアルドと同じ姿形、優しい香りと温もりの前になす術もなく翻弄された。己の非力さ、アルドへの恋しさと負い目からサフィアの目尻に涙が自然と浮かぶ。しかしイステヤの甘く仄暗い愛情、歪んだ欲望はサフィアに感傷の余地すら許さなかった。 「こうして君と触れ合えるのをずっと、夢見ていた……」 「! あ……い、いや……っ!」 熱に浮かされた口調で呟いたイステヤはサフィアを抱きかかえて洞窟内へ歩む。歓喜を抑えきれない様子と足取りに胸騒ぎを覚えたサフィアは抵抗を叫んだ。松明の仄明かりに照らされた洞窟の奥にあった大きな寝台へ、サフィアはそっと降ろされた。イステヤはサフィアが逃げる隙すら与えずに覆い被さってきた。 「いや……やめて……っ」 「怖がることはないよサフィア。昨日だって、あんなにも求め合ったじゃないか……」 奇跡の夜に体験した夢のような契りの残酷な事実に、サフィアは胸を引き裂かれる。透明な涙を零して震えるサフィアをイステヤは恍惚と見下ろす。サフィアの頬から首筋を愛おしげに撫であげると、彼女を守っていた外套を一気に引き下ろした。 「や、やだ……っ。た、助けて……アルド……っ!」 「アルドの名前を呼ぶな……!」 サフィアは恐怖と悲しみのあまりアルドの助けを必死に求める。しかし、イステヤの暗く冷たい声で威圧されたサフィアは息を呑んだ。濡れた蒼瞳に映るイステヤの眼差し……緑王石ながら真紅に澄んだ瞳に冷ややかな炎が揺れる。 「っ……」 「サフィア……僕だけを見ないと許さない……」 冷徹な眼差しと共に零した声は最後、どこか幼子の声に似ていてサフィアの胸を締め付けた。しかし首筋から鎖骨の下辺りを這う優しいぬくもり、甘く痺れる感覚にサフィアは現実へ引き戻された。 「あ……っ! ん、いや、いやっ……離してっ。ぁ……ん、やっ」 イステヤの手がサフィアの柔らかな乳房と薄桃の突起を優しく撫であげる。たったそれだけで、サフィアは甘く切なげな声を漏らした。イステヤは、昨夜自分がアルドとして無垢な肌に咲かせた赤い花びらを指先でなぞる。己が所有欲を満たす跡、サフィアの反応に満足そうに微笑む。 「っ……ふふ、サフィア。何だか昨夜よりも感じていて、とても可愛いよ」 「ち、違う……やめてっ。ひっ! ん、やあぁっ、あ……っ」 素直な反応を示すサフィアの身体を愛おしむイステヤをサフィアは必死に拒絶する。しかし乳房を両手で包み込みながら顔を埋めるイステヤの深い愛撫に、サフィアは甘い悲鳴をあげた。艶やかな花の咲いた肌を唇で優しく撫で、赤く色づいた突起を舌先で愛でる。するとサフィアは嫌だと首を振りながらも艶やかな嬌声を奏でる。相手はアルドじゃないのに、どうして……っ。イステヤに触れられて悦んでいる自身の身体、心臓から脳髄を侵す快楽がサフィアの心を絶望へ落とす。 「っ……ん、く……ぁ……う……んっ」 「我慢しないでおくれ、サフィア」 せめてもの抵抗としてサフィアは唇を噛み、優しくも執拗な愛撫に耐える。アルドと同じ顔をしたイステヤの眼差しから逃れるために両眼も固く閉じて。しかし嫌がりながらも感じているのは一目瞭然な強がりすら、イステヤの黒く焦げた欲望に火をつけた。 「っ……違う、違うの……っ。ん……ふぅ……っ」 「ねぇ、サフィア。可愛い君の声、もっと聞きたい……聞かせてよ……そしたら」 もっと可愛がってあげる……。瞳を閉じても耳朶の奥へ響くのは、アルドと同じ甘く優しい、残酷な声。心とは裏腹な快楽に抗うサフィアの耳元で囁かれた言葉。イステヤの意図を貪欲に察したサフィアの肉体は期待に痺れ震えた。 「! ひっ、やああぁ!! っ……んぁ、やだ、やめて……ふっ」 両目を閉じてじっと耐えていたサフィアから今までになく大きな、いやらしい悲鳴が零れた。体の髄を貫かれたような強く甘美な衝撃にサフィアは小刻みに震え喘ぐ。サフィアの胸元を丁寧に愛撫したままのイステヤは、細長い指で秘部に触れてきた。 「サフィア……嫌と言いながら、ほら……君の体は僕に触れられてこんなにも悦んでいるみたいだよ?」 「ん……っ。違う……っ、嫌、なの……あっあっ、ん、いや、いやあぁ……っ」 「まあ無理もないか。昨夜、サフィアを愛したのも、無垢な君の身体に教え込んだ(・・・・・)のも僕だからね」 いくら言葉と心で否定しても、イステヤの言葉と彼に懐柔されてしまった肉体は悲しい事実を克明に語る。イステヤの指は快楽と期待に潤ったサフィアの秘所を優しく侵す。イステヤの愛撫は丁寧でゆっくりだが、濡れた内奥と敏感な突起を同時に触れるという激しい快楽に、サフィアが耐えられるはずはなかった。無理やり抱かれているとはいえイステヤの触れ方から声、微笑みまでもが昨夜の優しいアルドそのものなのだ。ただ一つ、サフィアのみを映す緑王石色の瞳に灯る深い闇と狂気だけは恐くて。 「さあ、サフィア。僕の手で気持ちよくなって……」 「いや、あぁ……っ。それ以上は、嫌、ん……っ。なの……っ。はあぁ……っ!だめ、やめて、やめて……!」 サフィアの切なく敏感な場所を容赦なく弄ぶイステヤの手に、ついに限界へ近付く。息絶え絶えになって喘ぎながらも、快楽へ必死に抗うサフィアをイステヤは愉しそうに見下ろす。 「いいんだよ、サフィア……っ。ほら……」 「! ぁ、やあぁ……っん!……っ」 甘い苦痛の淵で必死にしがみついていたサフィアを突き落とすように、イステヤは残酷に囁いた。イステヤの執拗で容赦ない愛撫に、サフィアはついに絶頂を迎えてしまった。心身の奥で奔流する甘美な波はサフィアの肉体に快楽を、心には苦痛を与えていく。絶頂の快楽に打ち震え、肩で甘い息を切らすサフィアをイステヤは恍惚と見下ろす。 「っ……はぁ……は……っ」 「サフィア……昨夜、嬉しそうに涙を零して僕を求めてくれた姿もだけど……嫌だと必死に抗いながら僕を欲しがる姿も可愛かったよ」 「っ……どうして、あなたはこんな……ひどいこと、できるの……っ?」 「ひどい……? 僕が君に……?」 サフィアを嘲笑うように甘く残酷な感想を囁くイステヤにサフィアは静かに問い詰めた。弄ばれた身体を苛む快楽の余韻と解脱感の中、サフィアの蒼眼はイステヤを真っ直ぐ捉えた。茫然と霞む瞳に残存する理性と聡明な光にイステヤは一瞬息を呑んだ。身も心も完全に自分の手へ堕ちたはずの聖女の眼差しを前に、イステヤはある種の危機感と苛立ちに襲われた。 「分からないな。昨夜も今だって、君が思い焦がれてきたアルド神の姿で感じていた。ずっとこうされたかった、という君の願いを叶えてあげた。何が不満なんだい?」 イステヤにとってサフィアは母神の大切な生まれ変わり、後に母の貴重な依代となる生贄。サフィアがアルドに好意を寄せていることも知っていた。だからこそイステヤは己の器にアルド神の遺体を選んだ。おかげで標的のサフィアを誘い出して攫い、相手がアルドだと信じ込んだサフィアの懐柔にも成功した、と思われた。 「悲しいことを……言うのね……」 「サフィア……?」 「あなたにとって昨夜の出来事も、今のこの行為も同じかもしれない。けれど私にとっては違う(・・)の」 「……何が、どう違うというんだ」 サフィアの悲しげな眼差しに灯る聡明な輝き、憐みの色にイステヤは眉を潜める。イステヤにとって理解に苦しむ言葉の意味を知りたがっているようだ。イステヤの怪訝な眼差しに内心気圧されながらも、サフィアは凜然と答えた。 「昨夜は騙された私が愚かだったけど……本物のアルドだと信じていた私は、ずっと好きだったアルドに好きって言ってもらえて、優しく抱きしめてもらったことが泣きたいほど幸せで、胸が温かくて。でも今は……」 「違うと言うのかい? アルドと同じ姿形の僕に触れられて、あんなに愛らしく喚いていたのは事実だ」 「ええ……でもこの辺りがね……寒くてたまらないの(・・・・・・・・・)。心が虚しくて寂しいの……っ」 甘やかな夜の夢現(ゆめうつつ)で咲いた赤い花びら……自分の胸に手を添えてサフィアは呟いた。サフィアの気持ちを知ったが、理解には苦しむらしい。イステヤは苛立ちと焦燥に冷たく揺れる眼差しで問い詰めた。 「……何故?」 「あなたはアルドではないから――」 たとえ無理やり身体を重ね、快楽に溺れても、双方の心が繋がってなければ虚しい。心から愛する相手でなければ意味を為さない。迷いなく澄んだ声で言い放たれた言葉に、今度こそイステヤは動揺に眼を見開いた。母の面影を成すダムアの聖女は真っ直ぐ澄んでいた。たとえ身も心も辱められ、無垢な恋心すら踏みにじられても尚、サフィアの心だけは完全に堕ちてはいなかった。サフィアの純真な蒼眼の美しさ、凜然とした言葉を前に、イステヤは心臓を浄焼(じょうしょう)されるような痛みに苛まれた。 「あなたには分からないのかもしれないけれど……私は」 「……うるさい……うるさい……っ」 「痛……っ」 イステヤは苛立ちの声を漏らしながらサフィアの両腕を乱暴に掴んだ。サフィアの言葉の先をそれ以上聞きたくないとばかりに。強い力で押さえつけられたサフィアは苦悶に両眼を閉じる。薄ら開けた瞳から覗くのは、氷さながら冷ややかに澄んだ眼差し。 「どうやらサフィアにはじっくりと教え込む必要があるみたいだ……君は僕のものだと」 「っ……お願い……やめて……それだけは……っ」 サフィアの頬を撫であげながらうっそりと微笑むイステヤが為そうとする行いを予期した。途端、サフィアは怯えを隠せない眼差しで無意味な抵抗を示す。 「っ……や……だめ……っ」 「怖がらなくてもいいよ、サフィア。僕が……君をずっと愛してあげる、ずっと離さないから」 「ぁ……! ああぁぁ……っ!」 アルドの肉体で体現されたイステヤの黒き欲望の楔はサフィアの胎内を貫いた。無慈悲に侵してくる楔の灼熱と質量に、サフィアは苦悶の悲鳴を漏らす。イステヤはサフィアの奥深くへ埋没させた自身から心身の髄を駆け巡る甘美な快楽、満たされる支配欲に恍惚と溜息を零す。 「っ……あ……ぁ、いや……お願い、それ以上……私の中に入って、来ないで……っ。あ、やあぁ……っ」 「大丈夫だよ。今はきついだろうけど、直に良くなるから……」 「! あぁ……っ……いや……っ。ん、やめっ……苦しい、の……っ。いや、なの……っ……」 胎内を苛む灼熱の圧迫感、湧き上がる強い疼きに首を振るサフィアにイステヤはさらに深く沈んできた。己の存在を灼き刻むように楔を押し当てるイステヤに、サフィアは苦悶を漏らす。最初はサフィアの内奥を堪能し、気遣うように優しく緩慢な動きで行き来するイステヤ。やがて耳朶へ響き始めた湿っぽい粘着音、涙混じりの艶やか甘い声が二人を狂わせる。 「あ、あぁ……ん、やあ、あ……はぁっ、ん、いや、あぁっ、ん、やめ、て、ふあぁ……っ」 サフィアは甘く切なげな声を歌うように零しながら、イステヤの灼熱に溺れていた。残留する理性から嫌だと首を弱々しく振りながら呟くサフィア。しかし白い肌と頬は艶かしい薔薇色に上気し、蒼海の瞳は恍惚と輝く涙に濡れて。熱い楔の先端がサフィアの最奥を優しく突く度に溢れる甲高い悲鳴は甘く、慄いていたはずの体は快楽に悦び震えている。サフィアの艶やかな反応に、イステヤは優しくも妖艶な笑みを浮かべる。アルドの面影を残す顔をサフィアの顔へ近付ける。ダムア海そのもののような美しい蒼瞳から零れる涙を、イステヤは舐めあげた。サフィアの全てを蹂躙し、耽溺するイステヤが零した汗すらサフィアの肌を侵す。 「っ……ふふ、可愛いサフィア……気持ちいいんだね……っ?」 「ん……違うの、あ、やあぁっ……いやなの……はあっ、いや、なのに……っ、ん、あぁ……っ」 「僕は、すごく気持ちいいよ……サフィアっ。君の中……僕をすごい、締めつけてくる……はぁ……っ」 「やあ……言わないでっ。んん……あ!」 無邪気な愉悦に満ちた眼差しで覗きこまれる。言葉でも耳朶と心を弄ぶイステヤにサフィアは狂わされていく。サフィアの表情と声から苦痛の色が失せ、代わりに甘い切なさを確認できたイステヤの行為は激しさを増した。 「!? あぁっ、んっ、いや、あぁ、だめ、ふあぁ……っ!」 「っ……あぁ……っ。サフィア、好きなんだね? こう、かな?」 「! はあぁっん、いや、お願い、そこっ、いやあぁ……っ」 最初は慣らすように優しく侵入していたイステヤ。しかし今度はサフィアを最も高く上げて落とす場所を今までになく強く、深く抉り突く。瞬間、サフィアは自分のものとは思えないほど甘く甲高い悲鳴をあげる。それでもイステヤの甘く淀んだ欲望、無垢で歪んだ愛情に悦楽を覚えた肉体をサフィアは受け入れられない。サフィアは言葉でイステヤを拒絶し続ける。せめて心だけは守りたくて。 「っ……サフィア……サフィア……っ……ねぇ……っ」 「っ……? あっ、ん、ふぅ……っ、ぁ……っ」 サフィアの奥深くを無我夢中で蹂躙するイステヤ。しかしサフィアを呼び求める声は一瞬……昨夜サフィアを愛しみながらも激しく求めてきたアルドの無垢で切ない声と重なった気がした。しかし不意に浮かんだサフィアの違和感は、イステヤの口付けによって呑みこまれた。最後は昨夜と同じ、花びらに触れるような優しい、愛おしむような口付けだった。 「ん……ぁ……っ。ふ……っ、んっ」 「サフィア……君も、僕を見て……僕だけを……っ」 「っ……イス、テヤ……?」 サフィアの内奥に深く浸かったままのイステヤは、サフィアの身体へ優しい口付けの雨を降らす。露に艶めく額からまぶた、色づいた頬、脈打つ首筋、端麗な鎖骨、甘く汗ばんだ乳房へ。イステヤがサフィアに囁いた言葉の声色、サフィアだけを映し燃える瞳は純真で、迷子の子どもと重なって見えた。自分を騙して攫った挙句、想い人の姿で自分を凌辱し、すべてに復讐を企む邪神らしからぬ雰囲気。胸に切ない痛みが灯ったサフィアは、無意識にイステヤの名前を初めて呼んだ。 「っ! あ 、んん!? ふあぁっ、やっ……!」 「サフィア……サフィア……っ」 しかし、胸の痛みの理由(ワケ)を考える余地すらイステヤは与えなかった。サフィアの身も心も最も高い場所へ翔(か)け狂わせようと、イステヤの唇と指先は薔薇色の乳房の蕾を弄んだ。瞬間、心臓から脳髄を貫き、血液すら焼き尽くすような甘い灼熱と電撃。自分が自分でなくなりそうなほどの強すぎる快楽とその恐怖に、サフィアは呑まれる。それでもイステヤはサフィアを解放してくれなかった。 「んあ……っ、あぁ……やあぁ……っ、ん、あ、ぁう、あっ、あぁっ……」 「っ……サフィア……僕……もう……はぁ……っ」 「! やあぁ……っ、だめっ……こわい、の……んんっ」 「大丈夫だから、ね……サフィア……っ」 「っ……! だ、め……あ、んっ……いやっ……あ……ぁっ……やあぁ……っ!! はあぁ……っ! ん……っ」 「っ……ぁ……サフィア!」 最後の足掻きも虚しく、サフィアの肉体は絶頂を迎えてしまった。甘美な快楽の荒波がサフィアの内奥へ奔流し、脳髄を白熱で焼き焦がす。(むせ)び悦ぶサフィアの胎内は今までになく強く楔を締め付ける。イステヤも柳眉を深くひそめて悦に耐え(ふけ)る。 「っ……ア……ド……っ」 「……サフィア……」 心身を焦がす快楽と灼熱の余韻、胎内を満たすイステヤの存在に、サフィアは浅い呼吸を繰り返す。激しい虚脱感と睡魔に虚ろいだ蒼眼から涙が静かに零れた。意識を失う寸前、サフィアが誰を呼び求めたのかイステヤには一目瞭然だった。 「サフィア……君はもう誰にも渡さない。ずっと、僕のそばにいて……っ」 眠りへ落ちたサフィアを胸に強く抱きしめながら、イステヤは切なげに囁いた。澄んだ涙に濡れた瞼と甘く色づいた唇へ触れるだけの口付けを落とす。静かに上下する胸越しに響く鼓動に子守唄として聞き惚れる。サフィアの胸元から顔を上げたイステヤの瞳は眠るサフィアを再度映した。 「サフィア……君を……「     」だった――ずっと前から(・・・・・・)……っ」 一人密かに囁いたイステヤの寂しげな声をサフィアは確かに聞き届けた。しかし神々への復讐、愛する母神への妄執に囚われたイステヤの心の言葉は見透かすことはできていないまま。 *****
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

53人が本棚に入れています
本棚に追加