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「あ!あの船ですよきっと!ほら!かわいい女の子が札持ってる!」
今時珍しい、というよりは時代錯誤なメイド服を着た若い女がフェリーの前で“出雲路邸御一行様”と書かれた札を持ってあたりを見回している。
「すみませーん!私たちそのツアー参加者でーす!」
寧衣良が駆け寄って挨拶をすると、そのメイドは深々と頭を下げた。
「江流久 英雄様と恋澄 寧衣良様ですね。お待ちしておりました。私は出雲路邸使用人の小野田と申します」
潮風になびく黒いストレートヘアーはよく手入れをされていて、夏の日差しに照らされてよく輝いている。
「遅くなって申し訳ありません。連れが空港から中々離れなくて…」
急いでいるというのに空港内の土産物屋をしらみつぶしに見た挙句に、散々迷って購入したカツオをモチーフにしたゆるキャラのストラップを寧衣良は早速自分のスマートフォンにつけていた。
寧衣良のスマートフォンには最早どちらが本体だか分からないほど、様々なゆるキャラのストラップがぶら下がっている。
「参加者はお二人で最後となりますので、どうぞ船内でお待ちください。もう間も無く船が出港いたします」
ただでさえ愛くるしい顔立ちをしている20歳前後だろう色白のその少女は、胸を強調するようなメイド服のせいかさらに魅力的で、江流久はすれ違い様につい目で全身を眺めてしまった。
「ふーーーーーーーん、あーいうのが好みなんですね。むっつりー」
その視線の動きを見逃さなかった寧衣良がまるで軽蔑するような目で江流久を見下している。
実際、寧衣良はすでに船に乗り込んでいて埠頭にいる江流久のことを見下ろしていた。
江流久は何も答えず容赦無く照りつける太陽を手で遮って、話を誤魔化すようにかもめが飛び交う海の向こうを見つめた。
これだけ澄み渡った空をしているのに、はるか向こうには雨雲がうっすらと浮かんでいる。
沖から吹く湿気を含んだ海風がまるで毒蛇のように肌にまとわりつく。
天気予報によれば今日の夜には台風が上陸するらしい。
心臓を針で刺すような、脾臓を手で握りつぶされるような、肝臓を電気焼烙器で焼かれるような嫌な予感を感じながらも、江流久はフェリーにかけられたステップに移り、この地上との別れの一歩を踏み出した。
この一歩が凄惨な連続殺人事件の幕開けになるとは知る由もなく。
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