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「江流久 英雄です。宜しくお願いします」
江流久も嵯峨野が差し出した右手を紳士的に握り返す。
「嵯峨野さんも暗号を解きにいらしたんですか?」
もう機嫌が直った様子で、寧衣良も握手をしながら尋ねる。
「そうよ。前に雑誌で見たんだけど、出雲路さんの館にあるピアノ、世界で1台しかないのよ。これが手に入るかもしれないなんて、抽選で選ばれてよかったわ」
嵯峨野は胸の前で手を合わせ、目を輝かせて語る。
“出雲路 啓嗣“
戦後の混乱で所在者不明となった焼け野原の土地を脱法ギリギリのところで転がして一代で財産を築き上げた男だ。
脱法ギリギリというよりは、道を踏み外したものもあっただろう。
今では関係各所に太いパイプを持っており、既に21世紀にもなったこの日本で新興財閥といってもいいほどの力を持つと言われている。
寧衣良も目を輝かせて答える。
「びっくりしましたよね、あの映像は!」
ひと月前、各テレビ局に衝撃の映像が流れた。
元々は動画サイトに投稿された映像だったが、あまりの再生数の伸びとその内容から話題になると踏んで各局が取り上げたのだ。
動画では以下のことが出雲路本人により語られた。
出雲路は現在末期がんを患っており、もうあまり長くないこと。
身寄りのいない出雲路は財産を譲る相手を探していること。
財産とは、出雲路が築き上げた文字通りの財産に加え、現在出雲路が居住する島とそこに建つ洋館の権利を含むこと。
また、財宝には最近手に入れた歴史的に重要な楽譜も含まれること。
そしてこれらは全て、直接館に赴いて暗号を解いた者ただ一人に譲り渡すこと。
「俺は全く興味なかったのに、こいつが勝手に2人分応募したんですよ」
「だって!暗号ですよ暗号!しかも孤島の洋館で!探偵の修行には持って来いじゃないですか!」
寧衣良の興奮した声はフェリーに吹き付ける風音よりもよく通って、真夏の海の上だというのに船の上の空気は凍りつき、その場にいた一同の視線が一気に集まった。
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