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 フェリーは柏島を右手に太平洋を南に下っていく。 「……寧衣良ちゃん、今なんて言ったの?」  嵯峨野がその場の空気の変化を受けて、代表して尋ねる。 「探偵ですよ探偵!なんと!このむっつり探偵こと江流久 英雄は知る人ぞ知る名探偵なんです!」 「おい、むっつりは余計だろ…。どうも、東京でしがない探偵事務所を開いています、江流久と申します。何かお困りでしたらお気軽にご相談ください。エルク探偵事務所は決して諦めません」  江流久は謙遜をしながらも自信に溢れた態度で一同に深々と頭を下げた。  しがない事務所なのは本当だが、探偵には時にハッタリも必要だ。  名探偵と思わせておけば思わぬ事件に巻き込まれたとしても、色々と行動が取りやすくなる。 「探…偵…?」  一同は騒めき立ち、誰ともなく口にした言葉が寧衣良の鼓膜を揺らした。  この瞬間が堪らない。  つま先からロングボブの髪の枝毛の先まで、快感という快感がエンドルフィンとなって神経を巡っていき、早く一人前の探偵になっていつか自分の名前でみんなを驚かせたいという衝動がより一層強くなる。    静まり返る船のデッキに海鳥の声が響く。 「……もしかして、エルク探偵事務所の江流久さん?あの2年前に起きた連続殺人事件を解決したっていう!?」  静寂を破ったのは、まるで海のように明るい青色のセットアップを着た男だった。  ダークブラウンのウイングチップシューズを鳴らしながら近寄ってくる。 「……あぁ、よくご存知で」 「表向きは警察が解決したっていう話でしたけど、警察に知人がいましてね?いやー!こんなところでお会いできるとは光栄です」  ツーブロックの髪を整髪料で固めたその男は見るからに高級そうな腕時計をした左手で握手を求めてきた。 「私は牧之瀬 慶一郎(まきのせ けいいちろう)。都内で宝石商をしています。ぜひ今夜お話をお伺いしたいですね」 「……警察には話すなと言われていましてね。皆さんもこの件は内密にお願いします」  周囲に注意を促しながら、江流久はチープカシオをつけた左手で握手を返す。  江流久の手よりも少しだけ大きいその手には赤いルビーの指輪が光っている。  少し日焼けした牧乃瀬の笑顔には海が似合っていて、やけに眩しかった。
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