ため息と日常

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ため息と日常

(かあ)さんからも言ってよ・・・・そろそろ、店をたたんでも、いい潮時じゃない?  って! お父さん、プリプリ怒ってばかりだし……」  この日、町役場近くの三階建てオフィスビルの二階にある母の事務所に寄ったついでに、父の最近の様子を伝えた。それに直接母に確かめたいことがあった。 「まさか、本気で、離婚する気?」  最近、母と顔を会わせるたびに、それとなく真意を(ただ)そうとするのだけれど、いつも何も発せず、ただ意味ありげにふふんとほくそ笑むだけなのだ。十九で私を産んだから、まだ、五十二、三で、ビジネススーツをぴたっと均整のとれたボディに吸い付かせるように着こなした母の姿は、贅肉らしい贅肉はなく、出るところは私よりも出ているので、遠目には三十代に見えなくはない。  通りを私と一緒に歩いていると、たまに姉妹と間違われることがあって、ことあるごとにそれを自慢している。むしろ、あえて錯覚させるように仕向ける? ための化粧やファッションをフレキシブルに取り込むことに余念がない。  少女時代の母はどうやら天然系だったらしいのだけれど、司法書士の資格を取ってからは、その性格と言動のありように、コペルニクス的転回のような変化がもたらされたようであった。  よく父が言うには、 『あいつ、変わりやがった、別人じゃけ、あン頃とでは!別人になりんさったでぇよぉ』 と、いうことらしい……。   「ない、ない」と、母は、一応、そう答える。 「ないって? な、に、が?」と、とりあえず、そう訊き返してみる。 「だ、か、ら、り、こ、ん、なんて、ないない」 「離婚しないのね」  私が念を押すと、きまって母は次のように答えるのだ……。 「だって、お父さん、かわいそうじゃない」  だったら、なにも別居しなくてもいいのにといつものように私は首を傾げる。  すると、母はきまってこうつぶやくのだ。 「それとこれとは別なのよ」 「それって何? これって何?」 「だ、か、ら、それはそれ、これはこれ」  こんな禅問答のようなやりとりは、往来では到底できはしない。 「あれっ? 人、こんなに、たくさん、いたっけ?」  いつもなら、カズコさんという、母よりも少し年配の婦人が一人、常勤で電話番と庶務を兼ねて働いているだけなのに、その日は今から引っ越しでもはじめるかのように、人の出入りが激しかった。開かれたドアからも、廊下を行ったり来たりする姿がみえた。 「な、なに? 今日、防災訓練?」 「ちがうわ。ボランティアさんが事務所開きの準備をしてくれているの」 「事務所開き? って、やっぱり、出るの? 選挙?」 「まだ、ね、決めてはないのだけど……」 「えっ? でも、もう、準備してるし」 「た、ぶ、ん、わたしの決意を、促そうとしてるのかなあ」 「ええっ? そんな、のんきなこと言ってていいの?」 「まあね、いろいろ、あるのよ、しがらみというものが、ねぇ……あっ、かり議員さんになったら、智恵ちゃん、頼むわね」 「な、なにを?」 「だ、か、ら、秘書よ、わたしの秘書になってね、裏金の管理とか……うふふ」  自分でそう言いながら、母はケタケタ、コロコロと可笑しそうに笑い続けた。  母は町議会選に出るとは断言しなかったけれど、私に出るのは、池に雨水をとことんて、ふいに溢れ流れ飛び出すような、そんなため息ばかりだ・・・・。  役場の前のバス停の停留所のベンチのそばのドラム缶の外側の模様の、あまりにも美しい、強弱の(はげ)しい線画にみとれていた私は、そのなかに四角や三角や楕円が緑や赤や黄色のとして描かれているのをじっと()ていた。  不思議な紋様で、篆書にも見えなくもないし、なにかの暗号のようにもおもえてきた。 「おう、やのぅ」  背後で懐かしい声がした。 「あ! 部長!」 「おう、とこに寄ってたんかいの?」 「はい、そうです」 「からも説得してくれんね」 「・・・・・・?」 「あげだがね、選挙! 選挙だがね! 二週間後には出馬会見せんといけんからね。なかなか決めンもんで、わしが、(すけ)()雇って、無理やりにでも準備を急がせとんじゃけぇのぅ」 「あっ! あのボランティアさんたちは・・・・部長が送り込んだンですね」 「送り込んだなどと・・・・そ、そげな人聴きの悪かこと、言わんでおくれでないかぇ。ああでもせなんだら、事は前に進まんぞな」 「・・・・・・・」  ようやく母が置かれている情況というものが、私にもわかりかけてきた。  ・・・・・この町役場の緒方(おがた)総務部長が、母を議員選挙に引きずり出した張本人らしかった。私が臨時職員をしていた頃の直属の上司であり・・・・そして、わたしが小さい頃、この緒方を“お父さん”だと思い込んで懐いていたことがあるのだ。  私は父に抱かれた記憶はほとんどないが、泣きじゃくる私を、よしよしと緒方があやしてくれたシーンなどは、たまにいまでも夢の中に彷彿として登場する。  ……おそらく、外国航路に父が乗っていた頃、緒方は〈呉羽洋菓子店〉に頻繁に出入りしていたはずで、父が陸に戻ってきてからも、親子喧嘩のあとには、 (緒方のおじさんが本当のお父さんだったらいいのに・・・・) などと、密やかに妄想の翼を押し広げていた。  ところが、男女の生理、いや、子どもができるかといった知識の断片が私にも入りかけてきた途端、自然と私は緒方を避けるようになった。まして、初潮を迎えてからは、往来で会っても話すこともなく、軽く頭を下げて挨拶を交わす程度で……、再び、毎日顔を会わせるようになったのは役場の臨時職員に採用されてからのことだ。  緒方は、いまでも母を“りっちゃん”と呼び、私を“ちぃちゃん”と呼んでくれていた。 「てっきり、部長が出馬されるものとばかり思ってましたけど」 「な、な、そ、そ、そげなこと言い触らしては迷惑だがね・・・・実はの、ほんまはの、りっちゃんには町長に立候補してもらう予定だったんよ」 「ええっ?」 「でも、出馬せんとおもってたいまの町長が、もう一期……ということになったからの、ま、本命の次期町長の事前勉強だとおもうての、そういうあんばいで……」  急に声を落とした緒方は、キョロキョロと(あた)りに人がいないかを(うかが)い出した。私は話題を変え、ドラム缶の落書きのことを緒方に(たず)ねた。すると、声の高さをもとにもどした彼が、 「そげよ、そげそげ!」 と、相槌を打った。そげ、というのは、それ、という国訛(ほうげん)だ。 「……先月あたりから、あげなおかしな模様をの、知らん()に描く(モン)がおりンなさるっとよ」 「じゃあ、やっぱり、落書き?」 「それがまだ、ようわからんのじゃけのぅ、駐在所の山サンにも相談しとるんじゃけンど・・・・、あのな、ちぃちゃん、ここだけの話やけンど、ひょっとすれば、ひょっとするかも知れンだがね」  一体なんのことかきょとんとして緒方の顔を見つめていると、いま、欧米で話題になっている“落書きイラストレーター”が描いたのかもしれないなどと、嬉しそうにかれはつぶやいた。 「ま、まさかぁ! いくらなんでもそれはないでしょうけど」 「いや、人生には、まさかちゅう坂があると、ほら、昔、どっかの大臣も言っておりんさったやろ? もし、その、まさか、だったら、これは、町興しにつながるけんのぅ、いま、じっと、様子をみとるとこだがにぃ……」  その推理に対してどう返したからいいのか、私にはまたもやため息しか出なかった・・・・。  平日、私が父の店を手伝うのは珍しいことだった。それも、当面、文化財保護センター区域が立ち入り禁止になったので、出勤できないでいたからだった。  先週の土日のこと、深夜に盗難事件が起こったらしい。センターの遺物収集管理室に保管していた古墳からの出土物が数十点、盗まれたのだ。私も駐在所のから事情聴取を受けていた。出勤日ではなかったとしても、内部犯行かもしれないという疑念がぬぐいきれないということだった。  すでに県警本部からも捜査員が派遣されていて、また、県の文化財保護委員会からも専門家が徴集される事態で、いわば私はいまのところは部外者扱いなのだった。  ……遺跡収集物だけでなく、たとえば地方の寺社の神宝や仏像が盗まれる事件は少なくはない。それは、やがて、古物マニアのもとに流出し、“骨董品”として販売されるかもしれないのだ。今でも海外オークションだけでなく、好事家や収集家の間で(ひそや)かに取引されているのは厳然たる事実で、古代史に並々ならぬ興味を持ち、蘊蓄(うんちく)ある著作も数多い、超有名で、いまは亡きベストセラー推理作家も、出入りの骨董屋から出土元不明の古代の“鏡”を持ち込まれて買った、とエッセイにあったはずだ。購入価格は、鏡一枚(鏡の数え方は、正確には“面”なのだけれど)で、1億円以上支払ったと、告白していたはずである。そのことは短大の授業で習っていた。  古墳出土品だけでなく国内の美術品、工芸品が海外へ大量に流出したのは明治維新期であるようだ。安く買い叩かれたのも一因らしいけれど、当時から盗掘品、盗品も多かったにちがいなかった。  第二波は、太平洋戦争終結後の混乱期。その後、それまでガラクタ扱いされてきた埴輪(はにわ)などに、海外で目を疑うような高値がつき、一気に考古学的遺物、発掘出土物への関心が高まっていった・・・・。  そんな経緯がある。  駐在所の山さんは、『後日、再度、聴取になるかも』と言っていたが、まだ、私にはその連絡はきていなかった。  こういった事件のほかに、来るべき町の選挙、謎の落書き・・・・など、考えてみれば、こんな田舎にも、あたかも天から降ってわいたような騒動が持ち込まれようとしている・・・・。  しかもいまの私には、斜め向かいのご近所さんである横山文具店と父との間の“戦い”も、身近なだけに、逃れらない宿命のような様相まで呈してきていた。  父にとって、これは負けられない戦いだということは、百も承知だ。  けれども。  値引き合戦にはキリがない。  損益分岐点などと大層な数値を持ち出すわけではないけれど、値引きに次ぐ値引きで、もう利益が出るか出ないかというギリギリの値段になってきた。この店のマカロンを全部売り切ったとしても、利益は出ない。明日になれば、もう5円、もう10円と、値引きが続いていけば、このまま際限なく、赤字でマカロンを売り続けることになる。  ・・・・・こんな戦いに意味はあるのだろうか。
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