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隠し子と隠しごと
あの父に、隠し子が?
到底、信じられない。信じられようはずもなかった。
長谷川署長が言うには・・・・P中央駅周辺で道を探しあぐねていたのか、うろうろしていた外国人女性を職務質問したのが、巡回中の交通巡査であったらしい。相手、その女性は・・・・たどたどしいまでも日本語を喋っていることにまず驚き、事情を訊ねたところ、父を訪ねて、はるばる北欧セネパジャから日本にやってきたらしかった。
彼女の名は、キャサリン。
キャサリンが握っていた、日焼けてすでに赤茶けた便箋の名残りのようなぼろぼろの紙片に、私が住んでいる町の名、〈呉羽洋菓子店〉の店名、そして・・・・私の父〈呉羽幸雄〉の文字が書かれていた。
・・・・交通巡査はすぐさま上司に報告、そして、長谷川署長が若い頃に町の駐在所勤務地だったことを知っていたその上司は、直接、署長室へ駆け込んだ・・・・ということだ。
「あげだがね・・・・ちえ坊、これは、一大事じゃけんの。ほんまのところ、幸さんの隠し子だったら、年齢からいうても、あんたの妹ちゅうことになるだにぃ」
そう言って署長は、さらに別の写真を私に差し出した。
「ほれ、そン子が大事に持っていた、写真じゃけのぅ。たしかに、若い頃の幸さんに間違いなかろうて」
・・・・・その写真は、署長のいうとおり、船員時代の父の写真だ。懐かしさとはがゆさとためらいと不信の念が一気に私の躰を掛け巡った。
「たまたま、ツアーでやってきたみたいじゃけ、ひとまず、団体行動に戻らせた・・・いまは、たぶん東京観光に行っていなさる頃やけんど、戻らずにの、日本におりたいちゅうとったみたいやで。そんで、わし、五日後に、この駅の中央ホテルで会う約束をした……」
「五日?」
「そ、急がないと……ほら、選挙がはじまってしまうと、いろいろとややこしいことが起こりかねないからの。それまでに、なんとしても白黒つけんことには、律ちゃんの選挙に影響するだが?」
「え? じ、じゃあ、母を議員選に引っ張り出したのは緒方部長だけじゃなく、長谷川のおじさんも?」
「……ふん緒方の野郎だけに任せるわけにはいかんだげな。わしもな、一口、乗ることにしただがや、このさい、全署員を動員して、応援するだがにぃ」
「ええっ? それって、選挙違反じゃ? そ、それに、P市とは関係ないのでは・・・・」
「なにを言うとるだがぁ! 長年に渡って、些細なことで争ってきた市と町の争いごとに、カツを入れるエエ機会じゃがな! あの律ちゃんなら、やってくれる! 適任、適任・・・・」
先刻までの気鬱気味な表情が一変した長谷川署長は、鼻息も荒く止めの一声を私に向けて放った。
「・・・・これはな、ぜぇったい、負けられン戦いやけんね」
……たしかに、隣接している市と私たちの町のいざこざの歴史は深い。地図の上では、川をはさんで市町の境界がはっきり明確に分たれている。ところが実態は地図のような平面だけでイメージすると、とんでもないことになる。P市へ行くには、川岸にあるポンポン船乗り場まで行く。昭和の時代に活躍した蒸気汽船のことだ。いまはもうその船は運航されてはいない。電車もないので町営ミニバスの終点のここで降り、かつては人で賑わっただろう乗り場を起点にした商店街の奥の建物に入っていくと、地下へ続くエレベーターがある。
自転車と250ccまでのバイクも乗れる、横長の大きな鉄製の網ドアのエレベーターだ。地下に降りると薄暗い地下隧道が向こう岸まで続いている。もともと地下鉄が整備されるはずだったのが、予算削減で私たちの町まで敷設されなかった・・・・その名残りがこの隧道で、徒歩や自転車でP市へ移動できる唯一の手段だった。車なら4キロ先の大橋まで走らせば、なんのことはないのだけれど、あいにく私はマイカーを持っていない。
なぜ隣市と私たちの町がこうも不便なのかといえば、遠因は江戸期まで遡る。
……P市は幕領(幕府直轄地)で、私たちの町は外様の小藩だった。当時からそれぞれのエリアに棲まう住民たちの争い事が絶えなかったそうである。その因縁が、この21世紀まで持ち越され、政府主導による市町村合併促進のとき、市も町も互いを呑み込むことを嫌ったのである。双方が住民投票で合併統合案を否決したのだった。
そんな複雑な経緯があった。令和の時代ですら、江戸期の名残りというものが色濃く刻まれている土地柄なのだ。
そんなことを想起しつつ、こちらのほうが気鬱を引き摺ったまま中央署から出ると、まるで待ち構えていたように、私の名を呼ぶ声がした。
「呉羽ちゃん、こっちこっち!」
タウン誌副編集長の田代誠だった。元新聞記者だけに、早くも父の隠し子騒動を嗅ぎつけてきたのだろうかと、おもわず躰がすくんだ。
それにしても。
どうして業界のヒトは、苗字にちゃんをつけて呼ぶのだろう。アラサーの女をつかまえて、〈呉羽ちゃん〉はないだろう。けれど、いまだに緒方は〈ちえちゃん〉、長谷川署長は〈ちえ坊〉と呼んでいる。こちらが歳を重ねても、同じように相手も上へ上へ進んでいるのだ、歳の差は永遠に縮まらないのも道理だ。
「どうした? 進展は? 署長は? 何て? 言ってた?」
時候の挨拶もなにもなく、いきなりこちらに突っ込んでくるのは、田代の職業病のようなものだったかもしれない。
「え?」
「だ、か、ら、呼ばれたんでしょ? 窃盗事件のことで?」
「あ!」
「あ、じゃないでしょ? どう? 内部で手引きしたかれ、認めたの? 共犯は?」
「え?」
「もう、じれったいなあ・・・・そうかぁ、署長から口止めされてるんだ」
「ま!」
「うーん、呉羽ちゃん、顔に似合わず、口、固いからなあ」
「え?」
「ま、いいや。あとで、署長を追っ掛けてみるし。このネタは、ぼくにとってもあとには引けないんだ・・・・これからの人生を賭けた、いわば、負けられない戦いだから」
一方的に喋りまくったあと、町へ戻るのなら車で送ると田代が誘ってくれた。そのときになって、彼のそばで、おとなしく佇みこちらを覗っている女性の姿に気づいた。
「あっ、彼女、新人の山村ちゃん・・・・今から車で町の観光協会へ行くんだ、山村ちゃん、ついでに、呉羽ちゃんを乗っけていってあげてよ」
こちらの返事も待たずに、田代が言った。
活字にすればオネエ言葉になってしまいそうだけれど、耳に障りはしない。むしろ、アルファ波を出しているのか、いつの間にか、どんどんこちらは耳を傾け、よけいな事まで喋ってしまうのだ。
だから、田代と対面するときは、その独特の波に乗せられないように注意していた。
「どうせ呉羽ちゃんは地下トンを歩いてきたんだろ?」
なぜ業界の人は、むやみに言葉を略したがるのだろう。地下トンネルといえばいいだけのことなのに。
そんなことを考えていると、さらに意外なことを田代は口にした。
「あの地下トン、なくなるかも、だよ」
「え?」
「もう古いでしょ? ところどころ漏水があって、国のほうからやってきた調査官が使用禁止を進言したそうだし。あれれ? 聴いてない? 呉羽センセから?」
それは母のことだろう。私が首を横に振ると、田代は二歩私に近寄ってきた。
「ね、呉羽センセ、出るんでしょ? 議員選! だから、ね、地下トン、絶対、選挙の争点になるよ、っていうか、それをメインの争点に位置づけ、町の活性・・・・いや、活性というフレーズは、もう古い・・・再活と挑戦、うん、これ、いいな、使えるかも。ね、ね、ね、言っといてくれる? スピーチライター、必要なら、声かけて、って!ぼくが書けば、当選まちがいないよ」
そんな売り込みフレーズを残して、田代は慌ただしく駆けていった。
疑念だけが残った。“内部で手引きした彼”、というのは、一体、誰のことなのだろう。
いろんなことがいっぺんに私に襲いかかってくるのを必死で堪えようとしていたせいか、きっと、山村女史に向けた顔は厳しかったにちがいない。
もっとも女史という年齢ではなく、二十一、ニを過ぎたか過ぎないかの年頃のように私には見えた。
その彼女がオドオドしながら、ぴょこんとこちらを向いてお辞儀をしてきた・・・。
山村女史のハンドルさばきはそれはそれで見事なもので、揺れもなく、環状専用車道をスイスイと走った。
ふいに、田代が叫んでいた“負けられない戦い”のことを思い出して、なんのことか訊いてみた。
「・・・・そうなんです、副編、栄転というか、とってもいいお話があるみたいで・・・・」
初対面の印象は無口で清楚なイメージだったけれど、山村女史は本当はお喋り好きだったらしい。田代が勤めていた新聞社が、D市に支局を開設する計画で、彼に支局長待遇で戻ってこないかといった打診があったらしかった。
D市は県庁所在地で、P市と接している。もともと、この二つの市は仲がいい。江戸期、D市域を治めていたD藩は、徳川家御親藩で、幕府直轄地だったP市とは当時から住民間の婚姻も活発だったからだ。
どうやら山村女史もD市出身者らしかった。
「へぇ、支局長! そ、れ、は、す、ご、い!」
実はそれほど興味はなかったのだけれど、ここは大げさに驚いてみせた。田代が掴んでいる情報の一端を、この先、山村女史から引き出せるかもしれないからだ・・・・。
「そうですよね、副編、手土産に、文化財保護センターの強盗事件のスクープをモノにしたいと、はりきっていらして・・・・」
見かけ以上に、しっかりとした言葉遣いをする山村女史に、ここぞとばかり容疑者のことをたずねたが、
「それは・・・・」
と、はぐらかされてしまった。
やはりそこはそれ、それなりにガードは固いようで、喋り好きと思ったのは私の早合点だったようだ。
・・・・けれど、彼女から振ってきた一言に、私は目を見開いて驚いた。
「聴いてますよ・・・・マカロン戦争のこと・・・」
「え?」
「呉羽さんも、間に立ってなにかと大変ですよね」
「は?」
「横山文具店のご主人て、もとは呉羽さんのフィアンセだった方なんでしょう?」
「え? 婚約なんかしてないし。・・・・もう、あの田代さんたら、早合点して、あなたの耳にデマを吹き込んだのね」
「あれっ? 違いました?・・・・あっ、副編は知らないはずですよ・・・・わたし、父から聴きましたから」
「え?」
「駐在の・・・・」
「あっ!」
なんと私は駐在所の“山さん”の苗字を覚えていなかったのだ。みんなが“山さん”と呼ぶものだから、こんな娘さんがいるとはまったく知らなかった。
「あ、離婚したんです。わたしが中二のとき」
「そ、そうなの?」
「それからなんですよ、広域人材交流で、D警察署から飛び出て、県内の駐在所勤務を転々としたのは・・・・」
「そ、そうだったの。いろいろあるよね」
「ええ、ほんと、に」
山村女史はケラケラと笑い返した。
私と父との微妙な関係とは違って、彼女はひっきりなしに山さんと会っているらしい。そう言えば、車に乗ったときから後席から漂ってくる食べ物のにおいは、おそらく、夕食用に彼女が作った手作り弁当かもしれない。
・・・・そんなことを想像しているうちに、父に面と向かって隠し子の存在を問い糺すのは億劫で、できれば後回しにしたいのだけれど、母への報告をどうするのかなど、あれこれと頭の中を結論の出ない思案だけが掛け巡った。
そのときだった。
ふいに純一の容貌が浮かんだ。
やはり、私の父の隠し子のことを相談できる異性は、横山純一しかいない・・・・。
父に話す前に、まず、どのような段取りで切り出せばいいのか、そういったことをストレートに純一に訊いてみよう、そう決めると心なしか躰が軽くなった。
もちろん、山村女史の心地よい運転も、私の決断をスルスルっと後押ししてくれていたようだ・・・・。
私の携帯には横山純一のメルアドも電話番号も登録されていない。・・・・削除したのではなく、機種変更のときにデータ移転しなかっただけのことだ。
だから横山文具店の固定電話にかけると、横山のおばさんは、私の声を聴いた途端、喜々として機関銃のように一方的に喋りかけてきた・・・・。
『ひゃあ。ほぉ、智恵ちゃん? 智恵ちゃんね! ひゃあ、ほぉ、はぁ、ちょっと、あんた、あんたって、はよう、はよう、こっち、こっち、電話、電話だがにぃ・・・・誰からだとおもう?智恵ちゃんよ、智恵ちゃんが電話してくれたんよ、ひゃあ、あっ、ごめん、ごめん、智恵ちゃん、元気? そりゃ、元気やね、夕方、通りで見かけたしね、ひゃあ、電話してくれるなんて、嬉しい、ほんと、嬉しい、な、お父さん、はよう、こっち、智恵ちゃんから電話、あんたも嬉しいだが? 智恵ちゃん、うちのひとも嬉しい言うとるだがにぃ・・・えっ? じゅ、純一? まだ、戻ってきてないんよ、残業やいうて、え? 知らなかった? D市の建築会社で、そ、設計しとんだがぁ、ひゃあ、智恵ちゃん・・・・』
なんとまあ、海外からかかってきた身内の電話じゃあるまいし、15mそこそこしか離れていない斜め向かいから電話している私も私なのだけれど、横山のおばさんはお盆とお正月がいっぺんにきたかのような驚きと嬉しさを電話口の向こう側で表現しているらしかった。
瑠美さんの葬儀のときに、おばさんと立ち話して以来、まともに言葉を交わしていなかった。その後の法要も瑠美さんの実家の岡山で親戚だけですませたらしいので、そういう行事参加の機会もなかったからだ。
それに、このとき初めて、純一が再就職したことを知った。
てっきり文具店を継いだものとばかりおもっていたのに、こんな目と鼻の先よりも近い、斜め向かいの距離に住んでいながら、肝心の情報が流れてこないのは、やはり、この私が、自分でも気づかないうちに目には見えないバリアを築いていたせいかもしれない。
それに、純一が店にはいないのなら、あのマカロンは誰が作っているのだろう。ふと、そんな疑念が浮かんできた。
・・・・マカロンの材料のほとんどを占めているのは卵白で、父の店ではカスタードクリームを作った残りを再活用している。洋菓子店だから、家庭で作るよりは、はるかにコストは低い。それになんといってもかかるのは、時間と手間なのだ。
混ぜるのにもコツがいる。
出来上がっても、表面を乾かさないと焼くことはできない。しかも、温度を変えて二度焼きしたり、焼き上がった生地を一晩置いて落ち着かせる。間にはさむクリームもバリエーション豊富だ。
ちなみにかつて私が純一に伝授したのは、いわば手抜きの方法で、ローズとピスタッシュの二種類だけだった・・・・。
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