11.気まずい車内

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11.気まずい車内

 春田の謹慎処分三日目は恵知の公休日だった。  いつもは昼過ぎまでダラダラ寝ているが、十一時前に支度をしたら、前日に調べておいた春田の家まで足を運んだ。  カーナビが指し示すアパートは店から恵知の家に行くのと同じくらいの距離にあり、三つの点を繋げるとちょうど三角形になる。  なにせ品数で差別化を図る自社であるから、必要なものは大体自分の店で揃うし、食料はといえばもっぱら大抵コンビニ調達の恵知だったのでどこかでかち合うことはなかったのだが、雨でも雪でも地震でもその三点は徒歩で行き来できてしまう近さだ。  何から何まで真面目すぎる。  掲示板とメールボックスが設置されたエントランスホールにセキュリティーはなく、住居扉の前まで直行できる造りになっている。  意地悪くも、抜き打ちのつもりで連絡はしなかったが呼び鈴を鳴らすとすぐにインターホン上のマイクが答えた。名乗ると扉が勢いよく開く。 「やっ、柳瀬店長。え、うそ、どうしてここに」  春田は部屋着なんだろう、薄手のロングシャツ姿であたふたしている。  髪が所々跳ねていて少し恵知の気も軽くなった。  ちゃんと家では仕事より緩んだ表情をしている。 「なんだ、思ったより元気だな。ずっと寝てたか? ちゃんと漫画読みながらスナックパン食ってシーツにクズは散らかしたか?」 「は、はい。漫画とパンは、持ち込まないですけど…」 「よしよし今度おすすめのギャグ漫画貸してやる。じゃあ今から暇? ごろ寝も飽きてきたんだろ、ちょっと外出るぞ」 「あ、はい、でもどこに?」  春田が目をパチクリさせる。 「観光。どうせこっち越してからまともに外も出なかったんだろ? 車で待ってるからゆっくり準備して出てこい。あったかい服装しろな」  と声をかけてからきっかり五分で助手席のドアが空いたので、思わず笑ってしまう。 「お前どんだけ準備早いんだよ。コンサートの早着替えか? さすが桜橋のアイドル」 「柳瀬店長をお待たせしては、悪いので」 「あのな、もうそういう気回しも禁止。俺といると緊張するかもしれんが休日連れまわされるんだし春田は一日肩の力抜いてろ。サークルの先輩くらいのノリで、タメ語も今日は許す」 「そ、そういうわけにはいきません!」  春田は首を大きく横に振る。だろうな、さすがにハードルが高すぎるか。 「じゃあ呼び方くらいは変えれるか? とりあえず店長って役職呼びは禁止」 「柳瀬ゼネラルマネージャー」  今度は大真面目に社内の職責で呼んでくるのがお約束すぎてもはや尊敬する。 「お前時々大ボケかますよな。それも禁止に決まってんだろ。苗字だけで呼ばせようと思ったけどもうペナルティ。名前呼びな」 「えっええええ! そんな恐れ多い…」  春田は泣きそうな顔で頭を抱える。 「誰も見てねえからいんだよ。ほら言ってみ」 「け、けけ恵知さん…」  肩がガチガチに恐縮しながら顔は真っ赤になっているのがなかなか面白い。  店のパートさんたちにお見せできないのが非常に残念だ。  もし目撃していたら泣いて喜びそうな貴重映像である。  恵知は恵知で、可愛いものをいじめたいという幼き日の未熟な衝動がこの歳になってもまだ残っていることに驚いていた。  しかし幼少期とてスカートめくりをやるようなタイプではなかったはずだが、それは単にこういう春田のような女子が周りにいなかったせいなのかもしれないと、横でまだ赤みの消えない横顔を見ながら思う。 「よし、じゃあ出発」  宝の持ち腐れすぎるアウディで高速を一時間ほど走らせる。  前回遠出をしたのは支社会議の日だったから、もう一ヶ月近くも三十分以上車に乗っていない。プライベートでとなると、…考えるのも億劫なほど遠い昔だ。 「タバコ、吸ってください。お気になさらずに」  さっきからガムをタブレットのようにゴリゴリ食べていることに気づかれてしまった。観念して一本火を付けながら窓をブラインド二枚分ほど開ける。 「春田は吸わないのに、悪いな」 「全然、大丈夫です。恵知さんがタバコ吸ってるの見るの、僕好きなんです。大人の男みたいな雰囲気が、かっこよくて」  突然出た好きという単語に、思わず反応しそうになってしまった。特別な意味合いではなくて、やることなすこと美化されてしまう恵知に対しての憧れフィルターがかかっているだけだとは十分認識しているけれど。  道中、話かけようと何度も思うのだがいかんせん話題が見つからない。  仕事の話題以外でスモールトークというやつをどうやっていたのか思い出せない。  今日、春田とは業務の話はしないという自分で決めたルールに早速首を締め付けられている。こうなったらどうでもいいランキング最上位に位置する明日の天気の話でもするか?  「あ。この曲、聞いたことある。何かのCMソングですよね」  沈黙を割いてくれたのはスピーカーを指さした春田の方だった。 「ああ、これ一番有名な曲だな。いろんなところで使われてる」 「なんていう人たちですか?」 「オアシスっていう昔流行ったイギリスのバンド。若い頃影響受けた音楽をさ、何歳になっても永遠聞き続けるんだよなぁなんでだか。ストリーミングとか流行りに乗っかって入ってみても結局聞き慣れた曲しかダウンロード出来ねえもん」 「気だるげでとっても素敵です。け、恵知さんのイメージに似てます」 「お前、つくづくそんな歯の浮くセリフをよく真顔で言えるよね」 「だって本当のことですから!」 「春田は宗教、何?」 「え? わかんないですけど…多分、親は仏教なんだと思います。祖母が亡くなった時はお経読んで火葬してましたから。なんでですか?」 「ああいや、そうか」  とりあえず変な団体には入っていないらしい。突拍子もない恵知の質問に春田は首を傾げている。 「ここら辺、たまにアパートに怪しげな勧誘やらなんやらが来るんだよ。知らない人がいたら、まず開けるんじゃないんだぞ。さっきもいきなりスピーカー出ただろ。心当たりがあって出たとしてもベルが鳴ったらドアスコープで一回確認しろ。そしてこそっと足音を立てず一旦戻ってスピーカーを取れ」 「す、すごい具体的指示…」  あっけにとられている春田に構わず念を押す。 「当たり前だ。春田、生まれは千葉だったよな?」 「は、はい。でも僕の実家も負けず劣らず田舎なのですが…」 「家に両親がいるのと独りで暮らすのとは全く違う。大学からこっち来るまでの間は実家から通ったのか?」 「東京で一人暮らししてました」 「それでも、こんなに離れたところじゃなかなか帰れんだろ、親御さん心配してない?」  改めて意識すると仕事の話を噛ませないないのはなかなか難しく、そういえば昨日の納品が、とかつい言いそうになるのをぐっとこらえた。  すると今度はなぜか取り調べ口調になってしまう。  この前はうまく話せたと思ったのだが、記憶を思い返すと入社の経歴だの仕事に関わる話が大半だったからまだ饒舌でいられたのだった。 「大丈夫です。兄が結婚して実家にいて、姪が二人もいるので両親は全然僕がいなくても寂しそうじゃないです」 「春田は?」 「僕ですか? そうですね、友人も大体東京で就職しましたし、こちらには知り合いもいないので確かに暇を持て余しちゃいますね」 「没頭できる趣味を作れ、趣味を」 「恵知さんは何かありますか? 趣味」  若干慣れてきた名前呼びで春田が問う。 「特にないけどたまにゲームするぞ。ネット繋いでリアルな人間とパーティ組むような今時のやつじゃなくて、ひたすら一人でレベル上げてダンジョンクリアしてく、昔のやつな」 「タイトル教えてください、今度僕もやってみたいです」 「それも今度貸してやる。あと手っ取り早いのは、やっぱり彼女作ることだろうな。まあ出会いの場なんて限られすぎてっけど、ある程度は見て見ぬふりしてやるから」 「…社内恋愛ってことですか?」 「ああ。青木さんなんてどう、そこそこ可愛いんじゃないか?」   ちょうどいつか事務所で盗み聞いてしまった熱狂的なトーク内容が蘇る。 「それは、恵知さんが青木さんを可愛いって思ってるってことですか?」  裂け目がいびつになってしまった割り箸の繊維で親指を刺されたような棘が、言葉に含まれていた。 「いやいやそうじゃなくて、青木さんと春田は歳も近いしお似合いなんじゃねえのって」 「歳が近いんだったら食品の佐藤さんもレジの曽我さんも僕とお似合いってことですか?」  恵知が春田と接する中で、初めて目にする攻撃性に少なからず恵知は驚いていた。 「ってわけでもねえけど、青木さんは特別春田のファンみたいだしさあ」 「ファンだったらっ」  あえてのんきに言ってかわそうとするが、春田は言葉を切って、シートから勢いよく上半身を起こす。 「僕だって恵知さんのファンですよ! 大大大ファンですよっ」  助手席の人物は、怒っている。そして恵知は間違いなく怒られている。  いつも春田から出る言葉は直球で、隠喩や含みはなかったが、初めてその言葉にどんな意図があるのか判断しかねた。『ファンだからって安直にくっつけるなら男同士だってくっつくのかよ』という憤りなのか、それとも、『その方程式で解くならお前とだってお似合いのはずだ』の示唆なのか。  しかし、それってどういうこと? と軽く聞けない真剣さが確実に混じっていて、恵知は一旦会話を打ち止めた。 「雑なくっつけ方したな、ごめんごめん謝るよ」  春田は、それ以上は何も言わず、シートに背中を浅くもたれ掛けた。  ちょっと不穏な空気になってしまったことを後悔するが、それよりもざわつく自分の心の一片が気になってしょうがなかった。  猫の舌に舐められた時のようなざらりとした違和感を無視するために恵知は運転に集中した。
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