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14.送別会
恵知の予想に反して次の日から春田は晴れやかに出勤した。もうすぐそこに三月が迫っていても二人で出かける前となんら変わらない日常が繰り広げられ、恵知は内心面白くなかった。
何がって、自分一人が混乱している状況にだ。
「春田ぁー。来月のパートさんシフト、もう組んだ?」
「はい、つい先ほど。印刷しますか?」
「いや、メールで送って。全体見てから修正するから」
「はい。二週目以降は一応僕がいつ抜けてもいいような感じで入れてます」
こうして、もう腹を決めたのか泣きも喚きもしない。
いなくなることを受け止めているようだ。
しかし一番困っていることが一件ある。
「あ、あと恵知さん」
こうして二人になると見計らったように名前を呼んでくるのだ。
「だから、その呼び方は店ではやめろって」
「いいじゃないですか、どうせあとちょっとなんだから、できる限り呼ばせてもらいます」
パソコンを叩きながらなんでもないように告げてくる。
「お前、なんか性格変わってねえ?」
一件以来、二人でいる時はやさぐれてしまった感が否めない。こちらがたじたじになっている。
あの日の自分の思い付きを今更後悔してももう遅い。
「そうですか? なんか僕なりに吹っ切れたっていうか、そのせいなんですかね。別に恵知さんとどうこうなれるとか、これっぽっちも思ってないですし」
誰が入ってくるかわからない状況で際どいことを言われ、ヒヤヒヤする。
恵知は努めて表情は変えないでパソコンに隠れ鼻の下にある人中あたりを思いっきり寄せる。
「…話の続きなんですが、僕が移動することどこかから漏れちゃったみたいで、早番のみなさんが送別会してくれるみたいなんです」
「ああ、唯一のアイドルがいなくなるんならそりゃ盛大にやるだろうね。にしても移動日より先に送別会が決まるってなんかおかしいよな」
「そうですね。だから日にちわかったら幹事の中谷さんにも伝えてくださると嬉しいです。僕、忘れちゃうかもしれないから」
「了解了解」
「恵知さんは」
「ん?」
「来てくれますか、僕の送別会」
気をつけて聞いてなければわからないほど一瞬、声の表面が硬化した。
「ああ、しょっぱなからは行けねえ可能性大だけど、ちゃんと顔見せるよ」
「よかった」
ほころぶ目尻を捉えたら心臓が奥から痛くなった。
こんな表情をさせているのが自分だという事実を認識すると、ちくっと外側を刺されるような感覚ではなくて、鈍く内臓にまで響き渡るような痛覚を覚えた。
ほどなくして春田の移動日は三月の三週目と通告され、引っ越し日と送別会も立て続けに決まった。
いくらでも変えのきくポジションに変えのきかない春田をちゃんと当てはめてくれた加川には今度お礼をせねばならない。
またうじうじ文句を言われそうだが今回ばかりは甘んじて受け入れよう。
送別会の日、八時ごろ区切りをつけポロシャツから私服の綿シャツに着替える。
指定された居酒屋の和室扉を引くと、場は既にいい具合に出来上がっていた。
春田は奥の方で女子四人に完全包囲されていて、あからさまなアプローチに笑ってしまった。若いっていいな。
「あっ店長お疲れ様でーす!」
誰かの声にハッとこちらに春田は顔を向けると助かったとばかりにおしぼりを渡すていで恵知と一緒に末席に座り直した。
置いてけぼりの女子軍団と春田を見比べて、微かな優越に浸ってしまいそうになる自分をげんなりしながら押しとどめた。
なんで現役学生もといついこの前まで学生だった子たちと張り合おうとしてんだよ。
「柳瀬店長、ビールですか?」
「ああ、春田は?」
「僕も同じで」
「やめとけ、飲めねえんだろ?」
「いいんです、僕がビール飲む時は柳瀬店長と一緒の時だって決めてたんです。だから今までウーロン茶でセーブしてました」
なんの決意表明かは不明だが、どうせ最後だしと好きにさせておくことにしてジャケットを脱ぐ。
「春田くんは柳店長のことが大好きなんやもんな、真似したいんよなー」
遠くからヤジが飛んでくる。
「はいそうなんです、大好きです」
にっこり微笑まれるがその言葉の本当の意味をちゃんと理解しているであろうこの場でただ一人の当事者、恵知は眉をひきつらせる。だから目が笑ってねえんだって。
四杯目あたりから向かいで酒をあおる春田がどんどん怪しくなってきた。
呂律が回っておらず、リアクションだけはいつもの二倍で笑ったり驚いたりしている。
そういえば酒を酌み交わしたのは初めてだったがどうやら笑い上戸らしい。
「おい春田、飲みすぎなんじゃないのか?」
「まだまだです!」
と言いながらトイレに行こうとする足取りがフラフラだ。肩を支え付き添ってやると案の定個室で倒れるように吐き戻した。
「ほらもう…言わんこっちゃない。慣れないの飲むからだぞ」
言いながら背中をさすってやる。
「だって、飲みたかったん、だもん」
口調が完全に、悪いことをした時言い訳をひねり出す駄々っ子だ。
「ほら水。口ゆすげ」
「僕の好きな人は甲斐甲斐しい、の図」
「うるさいよ、酔っぱらい」
選択権を与えずレジ前の椅子に春田を座らせ、個室から二人分の荷物を持つとみんなに断って送別会を後にした。
会場のブーイングはさらっとかわして、ぐったりする体をタクシーに放り込んだ。
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