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隗より始めよ
加賀美 響也を今風に言うならば、神に愛された男。もしくは神。
いやいやそんな馬鹿な、と笑い飛ばす人も本人を見ればまあ納得する。
癖のない蜜のように滑らかに切り揃った黒髪。やや垂れ目がちでやさしげな印象を与える同色の瞳。高い鼻に健康的な色をした唇。身長はすらりと高く。高すぎず低すぎない声音はしかし、クラリネットのように透明で深みがあり、思わず聞き入ってしまう。
顔のパーツの位置も、身長も、声音まで黄金比を極め、あまつさえ一人の人間として違和感なく成り立たせている…うえに、眼鏡をかけると知的でミステリアスな印象までプラスされるもはや意味不明な人間。それが加賀美響也である。
見た目が良ければ十分人生勝ち組だと俺は思うが、この人においては加えて頭脳明晰、運動神経抜群、温厚篤実、実家が金持ちという付加価値までついてお値段なんと田舎の工場の総務課勤務。すごい。将来安泰、玉の輿だね!
じゃ、ねぇんだよ。
違うんだよ…あの人の隣は傍目から見たら超絶羨ましく見えるが、それはあくまで自分じゃない誰かがあの人の隣にいたらの話。実際に自分がそんなチート野郎の隣に座ってみろ。
モテにモテまくる加賀美さん。その隣を彩るなら、同じくらい華が必要なんだと気付いたのは付き合って半年経たない時期だった。
周囲には付き合っていることは隠していたし、俺と加賀美さんが高校の先輩後輩だったってことは周りになぜか知られていたから、俺と加賀美さんが部署違いでもよく一緒にいることに関してとやかく言っている人はあまりいなかった。あ ま り。
けれど、しんどいことには変わりない。
片や、顔が良くて、優しくて、金持ち。女性が結婚したいと思う条件全てをクリアしている完璧男。
片や、顔は普通で、性格は捻くれてて、しがない平の現場作業員。平々凡々を地で行くモブ男。
BLではありがちな設定でも、現実ではありえない。
……まあつまるところ、どうして別れたのかと聞かれたら。
これ以上加賀美さんと一緒にいたら、俺がダメになってしまいそうで嫌だから。だ。
甘ったるいニュアンスを含んだ『ダメ』じゃない。
あの人と一緒にいると、たまに、俺が俺でなくなってしまうのではないかという得体の知れない恐怖心に駆られる。
そんな曖昧で漠然とした理由で、俺は2年半付き合った恋人を振った。
自分のためにしたこの選択が間違っていたとは思わない。だが、尾を引いてもすぐに気に留めなくなるという考えは甘かったのだろう。
俺の中で加賀美さんは、誠実で誰にでも優しいスーパー紳士だった。が、それはあくまで俺の主観に過ぎなかったということを、俺はこれからまざまざと思い知らされる。
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