隗より始めよ

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当初の予定では昼休みは休憩室で過ごす予定だった。 加賀美さんと遭遇する率ナンバー1が食堂だったからである。 それをなぜ変更したのかといえば、ぜんぶ噂のせいだ。 別の係に用事があってちょっと現場を離れた時も、休憩時間も、トイレに行った時でさえ加賀美さんの話が飛び交い過ぎる!! まざまざと加賀美さんの知名度を思い知ると同時に、俺マジでそんな人と付き合ってたのかと空恐ろしくなる。そんな人と毎日昼休み一緒にいたと思うともっと怖いわ!! なぜ加賀美さんがそこまで社内で有名人かというと、加賀美さんの実家が金持ちだということに起因する。というか、俺の働くこの会社自体、加賀美さんのお父様が経営する加賀美グループの子会社…つまり加賀美さんは財閥の御曹司…という事実がわりと周知されているから。 眉目秀麗、頭脳明晰、御曹司。柚木敦、心のチート川柳。 閑話休題。 噂が出始めた昨日俺が有休取って、次の日も食堂にいないとなると、明らかに不自然だ。噂の風向きが失恋疑惑から俺へ向かないとも限らない。俺と加賀美さんが昼を一緒にとっているのは、もはや、おばさんズに知られているのだから…。 昼休みはいつも決まった席に座って昼食を摂る。日本人らしく定位置というのが大体の人にあるため、猥雑する食堂でも学校のようにみんなお行儀よく自分の場所に座るのだ。 食堂に入って、ちらりと俺の定位置を覗き見る。珍しいことに加賀美さんはいない。場内のレイアウト的に俺の現場が食堂から一番遠いため、俺が食堂に来る頃には大体加賀美さんが先に座っている。…稀に俺の席に女性社員が座っていたりするのだがそれはともかく。 俺はおっかなびっくり自分の席に座ってスマホをいじる。 この会社の食堂は昼食の手配を外部に委託しているため、調理員さんが常駐しているわけではない。社食を希望する人は朝までに申請し、業者が人数分の給食を手配するため、昼に飛び入りで社食をとることはできないのだ。 先週までは俺も社食だったが今日は食堂に来る気がなかったため昼食を用意していない。俺は今年で入社4年目だが入社半年から一昨年くらいまで昼食をとらない生活をしてきたため一食抜くくらい苦にならない。ただし、ストレスと仕事に忙殺されていたあの日々は思い出したくない…。 画面さえ見ていれば周りの下世話な視線も気にならないし、加賀美さんのことも無視できるだろう。 にしてもなんで加賀美さんいないんだ?外回りとか?総務の仕事に外回りとかあるのか? 気にしないようにすると尚更気になってしまうのが人間だ。せめて周りから見たら加賀美さんに関して一念を凝らしているとわからないようにスマホの画面に集中しよう…。 吐き出したいため息を飲み込んでいると、俺の隣…加賀美さんの席に社食が置かれ、肩がびくりと跳ねた。ジンと心臓が熱くなるが、あくまで知らないふり。 「柚木君」 「……」 「君ってば、かなりあからさまだよね」 神様なんでもいいからお隣さんが加賀美さんじゃありませんように、と願った直後に加賀美さんが俺に話しかける。Gott ist tot… スマホから一瞬目を離して、加賀美さんの社食をうかがう。今日は唐揚げ定食かぁ。 「君、また昼食抜いたでしょ。ちゃんと食べなきゃダメだって言ったのに」 俺が昼食を抜く生活をやめたのは加賀美さんが口うるさく食べろ食べろ言うからだ。食べないとわざわざ早起きして弁当作ってくるぞと脅したせいだ。 食堂で弁当を渡される地獄絵図を見られたくない俺は次の日から昼食をしっかりとりはじめた。 「あげようか?ほら、あーん」 「いりませんよ!!」 まだ熱そうな唐揚げを箸に挟んで俺に向けてくる加賀美さんにぎょっとして身を引く。 からかいの表情。ああだめだ…俺は論駁(ろんぱく)でもなんでもこの人に何一つ勝てないんだ。 「あはは、やっと喋ってくれた。ねえ柚木君…みんな見てるね?」 「…ッ!!」 潜めた声の色気と対照的に言葉は鋭く、今の状態を簡潔に表していた。 みんな見ていた。食堂の端に大所帯で居座るおばさんズ、俺たちの前のテーブルに座る若い女性社員ら、横にいる別グループのおじさんたち、心なしか後ろからも視線を感じる。 食堂全体が静まったわけではないのに、俗臭が一気に溢れかえって、14世紀のパリくらい臭い。 目立つことは好きでも嫌いでもないが、こういった『嫌な視線』に関していえば、俺が嫌いなものに含まれるだろう。だから俺は加賀美さんと別れた。この人といると嫌でも浮いて見えるから。 「君は全然表情に出ないってみんな言うけど、俺からしたら君の口より雄弁だよ」 そう言って俺に差し出した唐揚げにぱくりとかじりつく。下品じゃないのに雄臭いその振る舞いが女性に好まれる一端なんだろう。だけど… 加賀美さんってこんな人だっけ? 確かに意地悪なところはあるし奇行に走ることもしばしばあるけど、Sっ気の強い人ではなかったはずだ。しかも俺の嫌なことをピンポイントで突いてくるし。 「ねえ、柚木君」 最初は無視しようとしたのだが、「ふりでもいつも通りに振舞った方がいいんじゃないかな?」と言われて納得してしまう俺。 確かに俺があからさま態度をとったら周りに変に思われる。だから、仕方なしだ…!! 「……なんですか」 「俺はまだ納得してないからね」 デートのプランを話すように自然に言われて背筋が凍る。 やばい。目が笑ってない。加賀美さんが激おこの合図だ。 加賀美さんが怒ったところは殆ど見たことがない。が、それは怒っていてもニコニコしているからであって気付かないうちに俺は何度か加賀美さんを怒らせていたのかもしれない。 まあ今となっては関係ないんだけども!別れたし! 「柚木君、きみ俺と別れたから関係ないとか思ってるでしょ」 「えっ…」 口元だけで笑う加賀美さんが、俺に肩を寄せてきた。距離を置きたいのになぜか動けない圧がある。 「覚悟しておいてね?」 「…」 圧倒的な美の結晶が、悪魔のように囁いた。 ここに蛇がいる。そして俺は蛙だ。今にも飲み込まれんとする非力な蛙。 言葉を紡げない俺ににっこりときれいに笑って、加賀美さんは全然減っていない唐揚げ定食の乗ったおぼんを俺の前に押し出した。 「あげるよ。なんだか胃もたれしそうだから」
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