紺屋の白袴

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自分自身でもわからない。他人だからこそ、自分では想像もつかない、なにかすばらしい言葉をかけてくれるんじゃないかって期待していた。 しきりに帽子の鍔を擦って首を傾げる柚木さんは、何度も言葉を言い直す。わたしが傷つかない言葉を探す。 さっきまで、古口さんの嫌な言葉がリピートしていたのに不思議だ。医務室の中は現場と違って狭くて、男の人と2人なのに、相手が柚木さんだからかどこか安心する。 正直、失礼だけど…加賀美さんの方が断然カッコイイし、優しいし、さっきだってわたしのこと気遣ってくれた。柚木さんはそんなことしない。心配する言葉すらかけてくれない。 けど、柚木さんにとってわたしってどうでもいいんだって気付いた時、心が楽になった。 現金だな。少しだけ寂しいもん。 わたしが仕事を辞めたって柚木さんにとっては数字の話でしかない。人手不足が深刻になったってだけ。お世辞にも即戦力とか言えないし。 どっちでもいいけど、続けるなら続ければ? 柚木さんが言ったのはそんな感じ。見透かされてたのかな。これで辞めたとして、そのあとうまくいかなかったとき、あの時引き留めてくれていたらって少しだけ思ってしまうかもしれないから。 高校の時と同じだ。担任教師の後押しを今でも引きずっている。背中を押されたから入社したのに話が違うとか、我儘でお子様なことを未だに考えてしまうから。 自分で決めて。自分の人生なんだし。 投げやりで、責任を取りたくないことがあからさまな柚木さんの言葉が刺さった。自分で決めて仕事を辞めること。自分で選択して、責任を持って人生を歩くことの怖さを知っているからこそ、わたしは他人任せにしてた。 間違ってへこんだ時、誰かのせいにできるのは心が楽だから。 失敗しても俺のせいではないから。関係ないから。 さばさばしてる? っていうのかな。柚木さんの言葉ってすごく核心をついていて、痛い。 そのくせ当の本人はそんなつもりもあんまりないみたい。人に、好かれる人ではないかなって思う。少なくとも、加賀美さんみたいに話し上手で辛いことも嫌だったことも全部引き出せちゃう人じゃない。むしろ面倒臭いから関わらないでって顔に書いてあるもん。 …だから、柚木さんに相談して良かったって思った。 「山寺ちゃん、ちょいちょい。」 翌日、古口さんから口先だけの謝罪をもらった。係長をはじめ、あんまり関わりたくない眞山さんからの圧によるものだとすぐに分かった。いつもは面倒臭く絡んでくる眞山さんだけど、こういう時は助かる。ほんと、わたしって現金だなって思う。 一方、柚木さんは相変わらず態度に出さない。朝、一言あいさつしたけどそれだけ。雑談もナシ。変におしゃべりなんかしてまたありもしない噂が立ったら困るってことなんだろうな。 青山さんと何か楽しそうに話している。ほんとにわたしのことなんて興味ないんだ。 もう高校生じゃないんだから、となぜか消沈している自分に喝を入れて、手袋をはめたところで班長の高屋さんに声をかけられる。 「今日からちょっとずつ事務処理関係、教えて行こうかーって話になったから。」 「あ、はい。わかりました。」 古口さんと作業場所が被らないようにという配慮だってことがすぐにわかった。ちらりと柚木さんを窺うけど、黙々と作業中。たまに青山さんに絡まれてる。青山さん、けっこう最近配属されてきたのに、柚木さんとすっごい仲良しなんだよね。 「あー…本当は柚木っちが教えてもいいんだけど、ほら、ね?」 「えっと、はい…。」 さすがに昨日の今日だ。噂がただの噂でも、それなりの効力? みたいなのがあって、わざわざ誘発する必要もない。 高屋さんに発注や受注、台帳の基本的な書き方をひとしきり教えてもらい、メモを取る。工場の現場っていうと、機械の操作がメインだとわたしも思ってたけど、意外と事務作業も多かったりする。こういう作業はきらいじゃない。むしろ、得意な方だと思う。人からしたら地味なんだろうけど、こういう仕事の方があってるのかな? と今更思った。 「まあ、こんな感じ。毎日あるわけじゃないけど、やっておかないと面倒だからちょっとずつ教えてくから。」 「わかりました。ありがとうございます。」 「柚木っちもねーできるんだけど、ほら、柚木っち、壊滅的に字が汚いからねー。向いてないんだよね、できる子なんだけど。」 「あ…。」 「山寺ちゃんも知ってる?」 「えっと、はい、あの…前に機械のやり方教えてもらった時に…。」 メモしようか、と裏紙に操作手順を書いてくれた柚木さん。大体の説明を終えてメモを見返すと、わたしはもちろん、柚木さん自身も解読不可能。失礼だとは思ったけど、『あの、決してふざけて書いたわけじゃないからね。』その一言に笑ってしまった。 個性的な字、とよく言われるらしいけど、この間青山さんに面と向かって汚くて読めないと言われていて可哀想だった。 「実は柚木っちがね、山寺ちゃんに事務作業任せたらいいんじゃないかって。字も綺麗だし、めちゃくちゃ綺麗にメモ取るしって。あ、本人にはオフレコね。」 「あ、そ……なんですか。」 気遣ってくれたのかな。たぶん、そうなのかな。 わたしが嫌な思いをしないように、柚木さんなりに考えてくれたのかな。 昨日の柚木さんの顔が思い浮かぶ。冷たいけど、いい人。 ぜんぶわたしの勘違いで、ただ事務処理を任せられる人を探してただけかもしれない。でも、少しだけうぬぼれてもいいのかな。 終業間際、柚木さんと高屋さんはもう少し残るって。古口さんも本荘さんも現場の出口に向かって行った。青山さんとのお話が切れたところを見計らって、わたしは柚木さんに近付く。 「柚木さん!」 「あ、お疲れ様。えっと…どうしたの?」 「おつかれさまです、あの…」 「ん?」 「いろいろ、ありがとうございます。です、から…あの、お礼に今度、一緒にご飯行ってください!」 「………う、うん?」 男の人、しかも年上の人をご飯に誘うなんて、我ながら大胆なことしちゃったなって。たぶん、恥ずかしくて顔真っ赤だったとおもうけど。 すぐに、後ろの方から押し殺した笑い声が聞こえて、振り向いたら青山さんが口元に手を当てて肩を震わせてた。 聞かれちゃった!? 色々といたたまれなくなってその場から逃げてきちゃったけど…後悔はしてない。 柚木さんは嫌がるだろうし、自分でもおかしいってわかってるけど…柚木さんがいるからもう少しだけ頑張ろうって思えましたって、いつか、ちゃんと言えたらいいな。
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