5人が本棚に入れています
本棚に追加
その日は客先に出かける日だったので、ソフトジャケットを羽織っていた。待ち合わせていても、相手の顔が分からないので、やはり所在無く人ごみを眺めるだけだった。
ふと、眼の前をクボさんに似た女性が通り過ぎた。
ぼくは思わず呼びそうになったけれど、何とか堪えた。
「……あの、××さんですか?」
「あ、え、はい」違う方向から声をかけられて、ぼくは少し戸惑った。
立っていたのは、明るい髪色のショートカットの女の子だった。
綺麗なピアスが形のよい耳に似合っている。ライダースジャケットを上手に来ていて、少年のような女の子だった。
「こんばんは。沢木です。沢木ひとみって言います」
「あ、どうも。××です。よろしく」
「クボさんって、誰ですか?お知り合い?」
結局、全部口に出てしまっていたようだった。
「いえ、うちの取引先の人に似た人が居たので……」
ぼくがしどろもどろで答えていると、沢木さんは唇のところに手を持っていき、くすっと笑った。
「あたし、××さんについてもう、ひとつ分かった事があります」
「……え?」
「嘘が下手なこと。…それじゃあ、お話。聴かせてくださいね」
彼女はこなれた笑顔でそう言うと、ぼくを促すように首を傾げた。
かなり手ごわそうな女の子だった。クボさんとは全く違うタイプだけれど、それでもぼくは、嫌な感じはしなかった。
ぼくたちは人ごみに乗った。
クボさんはクボさんのペースで。沢木さんは沢木さんのペースで。
ぼくもぼくのペースで、歩いていくしかなかった。 (終)
最初のコメントを投稿しよう!