牡丹で彩る

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 しゃきしゃきしゃきと続いていた鋏の音が、止んだ。薄目を開けると、鏡に映る自分の前髪は目の下くらいの長さになっていた。ぱっつんにはされていないようだ。櫛で髪を梳かれて、そうしてまた、しゃきっと鋏の音がした。焦点の合わないほど近くを、髪の束がはらりと通り過ぎたので紫は再び目を閉じる。ややあって、「終わりました」と水原が鋏を置いた。  ふわふわとしたブラシで、顔にはりついた短い毛を払われながら、鏡の中の自分は細い目を精一杯に見開いていた。自分の輪郭は丸いはずだ。それこそ、絵巻物の中の姫みたいに。よく見ると今でも丸い。しかし、そんなに丸くないのだ。七対三か八対二くらいで分けられた斜めの前髪は少しだけ――本当に少しだけ、まるでモデルや女優のようだ。戸惑って毛先に手を当てる紫に、水原は言い放った。 「前の髪型、全然似合ってなかったんで」 「えっ、いやあの……私、顔丸いからさぁ」  少しでも輪郭の幅を隠せるように、前髪を伸ばしてセンター分けにしていた。――それを言うのは何故だか躊躇われて、紫は押し黙った。水原は紫の方を見ていなかったが、聞き取れたか、鏡の中の紫の唇を読んだのか、紫の言葉を受けて会話を続けた。 「確かに、輪郭のこの辺りは丸いけど、顔のバランス的には丸顔じゃないんですよね。横と縦の比率はむしろ縦が長いです。すみません、失礼します」  水原は先程髪を切るときに使った櫛を、紫の顎の両骨を通るように当てた。横の幅は櫛の半分に少し満たないくらいだった。次に、鼻筋に沿って縦に櫛が当てられる。すると今度は、顎から眉までで櫛の半分を少し過ぎるくらい。 「ほんとだ……」 「なのにセンターパートで縦のラインを強調してたから、かなり面長に見えてました。輪郭を隠すんじゃなくて、全体のシルエットで理想とされるひし形を感じさせればいいんです」  センターパートってセンター分けって意味かな、などと見当を付けながら黙って水原の説明を聞く。 「縦が長いからと言ってぱっつんに切り揃えて縦の面積を減らすと、先輩の場合、毛先が輪郭のラインと平行になって、横長感が強くなりすぎます。だから、斜めに流して、額を隠して縦のラインを緩和しつつ、そのまま目線を耳の方に持っていくと良いです」  正直なところあまり理解ができていなかったが、「なるほど」と紫は大きく頷いた。すると、水原が突然、「後ろの髪も、ちょっと触っていいですか」と訊いてきた。 「えっ、うん、……どうぞ」  紫の返事を受けると、水原は紫の髪全体にクリーム状の整髪料を付けて、耳の上の髪をねじり始める。何だ、触るってそういう意味か。いや、他にどういう意味だと思ったんだろう。一人で動揺している間に、緩やかな流れが綺麗な、大人っぽいお嬢様結びが出来上がった。また戸惑う紫に、「あと、ちょっとメイクもして良いですか」と畳み掛けるように水原は訊いてくる。呆気に取られた紫はされるがままだ。顔に何やら粉を叩かれたり、頬をブラシで撫でられたり、瞼をスポンジのようなもので触れられたり、睫毛の間を何かで押されたりした。よし、と小さく呟いた水原が一歩後ろに下がると、紫は本日何度目か、細い目を――細いはずの目を大きく見開いた。どうして。私が化粧をすると福笑いのおかめになるはずなのに。
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