第四章 道化の涙

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第四章 道化の涙

 俺は高校卒業してすぐに地元の企業に就職した。  そこで7年ほど働いてる間にも色々とあったんだが、ここでは割愛するよ。  ただ、俺の人生において大きな変化があった。  彼女ができて、結婚に向けて動きはじめたことさ。  もちろんその彼女は今の嫁さんなんだけどな。  で、25の時に、そこそこ大きな会社に転職することができた。  今もその会社で働いてるんだが、有難いことに地方での募集にしちゃ珍しく東京にある本社と地方の給与格差がない会社でな。  悪くない条件で入社することのできた俺は職人としてとにかく働いたな。  ちょうど結婚する前だったし、金も貯めなきゃいけなかったからそりゃもう必死さ。  ただそこは本当に小さい作業所みてえなところだったから、何年かして子会社の工場と統合されちまったのさ。  地元を離れるつもりがなかった俺は、辞めようかどうか迷ったよ。  ただ、職人としての技術は上達していたし、他につぶしの効く技術でもなかった。  それに結婚してまだそんなに経っちゃいなかったし、最悪の場合は転勤してから辞めるにしてもいちど他の土地にも触れておいた方がいいだろうってことで、嫁さんとふたりで福島に転勤したのさ。  ここで俺の人生に良くも悪くも転機が訪れることになった。  ただその前に、だ。  以前から仲のいい営業マンに言われていたから覚悟はしていたが、この転勤先が本当にひどい場所でな……、とんでもなくワンマンな、下の人間たちからは暴君って呼ばれてる部長が会社を仕切ってるようなとこだった。  暴君は自分の気に入らない従業員から仕事を取り上げて、狭い部屋の中で山積みになったトヨタ式原価改善の本を朝から晩まで読ませてな、トイレと食事以外の行動を許可しなかった。  もちろん会話は禁止、ってもともと話す相手は部屋にいねえし、声を発することすらできなかったんだ。  そうするとな、人間って狂うんだよ。  簡単に狂っちまう。  毎日会社に行っても半径数メートルの世界が待ってるだけだからな。  ターゲットになったのはもともと工場の製造現場で働いてた職人気質の人間が多かった。  職人なんてのは手を動かしてなんぼで、原価改善なんてのは上の人間がすることだって認識の人が殆どだったから、聞いたこともないような言葉が並ぶ分厚い本を何冊も読まされるだけでもそうとう堪えただろうな。  その暴君は、この本をすべて読んで原価低減案を報告書として提出するまで元の部署には帰さないと宣言したらしい。  それを職人の心が折れるまで続けるのさ。  心がボロボロになった職人から、辞めさせてください、って言葉を引き出せたらしめたもんでな、自己都合扱いにしてとっとと首を切っておしまいさ。  そんなとんでもない話を、俺が転勤してすぐの飲み会の席で暴君から楽しそうに聞かされたよ。  いや、いたんだよママ、実際にそういう人間が。  ついでに言うと、その暴君に甘やかされたせいで自分の実力を勘違いしたコバンザメみてえな奴までいる始末でな、そいつが派遣の女の子にセクハラまがいのちょっかいをかけたら、問題になる前に暴君の一言で派遣の子がクビになったよ。  いわゆる口封じってやつだな。  そんなのがまかり通る会社だから、三年で二人も自殺者が出たんだろうな。  まあ、とにかくだ、俺はその暴君が大嫌いな「職人」としてその工場に転勤になったわけだ。  当然、待っていた未来は最悪だったよ。  こっちが経験をもとにして提言したこともことごとく否定されてな、それを歯向かった、って解釈されるのさ。  そんで俺が提言したことが実際に起こることがあってな。そんなときは理由もなく怒鳴られたりもしたよ。  元いた作業所から一緒に行った他の職人も一年でいなくなっちまって、結局は俺ひとりだけがその部署に残って辞めるタイミングを見失っちまった。  それでも話し合える仲間がいたらまだ救いもあったんだろうけどな、暴君のコバンザメが周りの同僚に、あいつを無視しろ、とか、あいつの言うことは聞かなくていい、なんて言って回った上に、それを鵜呑みにする人間に対して偏見の強かった俺は自分の周りに壁を作って孤独になった。  それからすぐに俺は他人の悪口を平気で言えるようになって、あまつさえそれを周りの同僚にも軽々しく口にし始めた。  悪口を言う人間っていうのは、自分に自信が無かったり後ろめたいものがあるって本当だぜ?  俺はいつの間にか、自分が嫌う人間になり果てちまってたよ。  それでもそんなことには気づかないまま、仕事は仕事だと割り切って毎日のように日付が変わるまで、下手をすると夜が明けるまで働いたりしてな。月の残業時間が180時間オーバーなんて月もあったっけな。  それだけやっても終わらない量の仕事を、分別の付かなくなった脳と、その脳が無理やり動かす身体でたったひとり延々とこなしたんだよ。  そもそもその仕事を消化できるのが俺ひとりしかいないもんだから、嫌でも責任感が背中につきまとうのさ。  ただ、何度も言ってるとおり辛いとか悲しいっていう感情がマヒしちまってるから、それが当たり前なんだと思ってひたすら働いた。  バカだったよ、本当に。  それで確か23日連続で出勤した次の日の朝、いきなりだぜ、ベッドの上で身体が全く動かなくなったんだよ。  確かに何日か前から意識が朦朧としてたけど、前の日は嘘みてえに身体が調子良くなってな、しかもなんだか笑いが止まらなくなって、ずっと仕事しながらケタケタ笑ってたんだ。  ……限界だったんだな、心も身体も、両方。  俺がやらなきゃ仕事が回らない、俺がやらなきゃ誰も他にやる人がいない、俺がやらなきゃ、俺が、俺が……。  結局、俺は偏見のせいで周りに壁を作って誰にも助けを求めず、ただ自分と目の前にある仕事だけしか見えてなかった、いわゆる視野狭窄ってやつだったんだ。  俺は結局その日と次の日、転勤してから初めて2日連続で会社を休んだ。  暴君やコバンザメにどんな恐ろしいことをされるか考えるのも嫌だったが、会社に戻るとちょっとだけ様子が違ってたよ。  同僚のおばちゃんや年の近い社員が、どういう訳か本当に優しかったんだ。  はじめは何かされるんじゃないかって警戒したけどな、見当違いだったよ。  どうやら俺がいない2日間は、本当に大変だったらしい。  それと同時に、何も言わずに働くのをいいことに俺に依存してたってことにみんなが気づいたんだとさ。  それでその日の昼休みにな、みんなで弁当を食べる部屋があったんだが、俺はなんだか気持ちがゆらゆらと揺れるような感じになっていて、ほとんど食事が喉を通らなかった。  同僚は食事が終わったら次々に部屋からいなくなってな、俺と、安達さんっていう60近いおばちゃんの二人だけになった。  俺が食べ残した弁当を包んで立ち上がったとき、安達さんが言うんだよ。  登坂さん、辛かったね、頑張ったね、って。  すごく静かな声でな、少し震えるような感じで絞り出してた。  俺さ、何だか分からねえけど、本当に分からねえけど、いきなり全身が震え出したんだ。  ガタガタとさ、寒いわけでもねえ、もちろん怖いわけでもねえ。  口からはなんか意味の分からねえ喘ぎ声があふれ出してな、止まらねえんだよ。  そしたらさ、安達さん、泣いてんだよ。  辛かったね、頑張ったね、って何度も言いながら、立ち上がって、俺の目の前でさ。  今までごめんね、見て見ぬふりをしてごめんね、本当に頑張ってたよね、私たちはちゃんとあなたのこと見てたんだよ、って。  そんでな、ちっちゃい体でな、安達さんが俺のことを、ぎゅっ、て抱きしめてくれたんだよ。  孫もいる、60近いおばちゃんがだぜ?  当時の俺は30半ばだ。  普通だったら反射的にちょっと拒絶したっておかしくねえよな?  でもな、ものすごく温かかったんだ、安達さんの華奢な身体が。  俺は腕をだらんと下げたままでな、安達さんがしゃくりあげながら俺のことをぎゅうぎゅう抱きしめてくれてんだよ。  そしたらなんか、すっかり乾いてたはずの俺の心の内側から、安達さんと同じ温度の液体がみるみる溢れてくるような感覚に襲われてな、それが今まで、あの生徒指導室に転がってたときから俺がずーっと自分に嘘をついて殺し続けてきた感情だって何となく気づいたらさ、俺も涙が止まんなくなっちまってな。  体重100キロ近い大男がだぜ、狭い部屋ん中で、わあわあ声を上げて泣いたんだよ。  本当に、わあわあと、両頬も、作業服の襟もぐしゃぐしゃになるぐらいに涙を流しながらさ、道化師が人間に戻りたくて泣いたんだよ。  俺の苦しみや周りの横暴も全部、この人は見ていてくれいたんだ、この人は何もできなかったことをずっと後悔してくれていたんだ、って、思えば思うほど涙は止まらなくてな。  そんとき初めて俺は、頑張ってたね、とか、辛かったね、っていう自分を認めてくれる言葉が欲しかったんだ、って気づいたんだよな。  親にも、同級生にも、同僚にも上司にも、地元の仲間にさえ殆ど言われたことがなかった、自分を肯定できる言葉を誰かに言って欲しかったんだ、ってな。  バカなふりをして、人を選んだつもりになって勝手に境界線を作って、強がって、嘘をついて、周りに嫌な思いをさせて……。  そんな最低なことを今までしてきたんだっていう後悔と、そんな男を泣きながら抱きしめてくれる存在、そのふたつが心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合って、それに押し上げられるようにして身体から出てくるものは子供みてえに泣きじゃくる声と、何年も何年も堪え続けた涙しかなかったよ。  安達さんはそんな俺を、ずっと抱きしめてくれてたな。  安達さんの温かい鼓動がまるで俺の心を、ひとつ、ひとつとほぐしてくれてるみてえだった。  とにかく俺は、そのまま疲れて椅子に崩れ落ちるまで泣き続けた。  そしたらさ、安達さんが向かいに座って言うんだよ。  登坂さんは周りに苦労をさせないために動ける人だし、周りを笑わせてくれる本当に素敵な人、だからもっと自分に自信を持ってね、って。  今でもこの言葉は、俺の人生でかけられた言葉のなかでもいちばん嬉しい台詞だって言えるよ。  報われる、ってこういうことなんだな、って思ったな。  親父から叩きこまれた、困っている誰かに対する優しさと、俺の中で芽生えた周りを笑わせてえっていう気持ち。  このふたつの気持ちが初めてひとつになって、報われた瞬間だったよ。  だから俺は今でも安達さんのことを自分を救ってくれた女神だと思ってるし、機会があれば会いに行きてえと思ってる。  とにかくこの日を境に、俺はまた悲しいとか辛いっていう感情を見ないふりせず(・・・・・・・)生きられるようになったのさ。  本当は、俺の心はずっと悲鳴を上げ続けていたんだよな、足跡だらけのジャージのまんま、20年も。  でも、俺はそれに蓋をして、心の耳をふさいで聞こえないふりをしていた。  安達さんが、それを俺に気づかせてくれたんだよな。  いいんだってママ、そんな泣かないでくれよ。  な? ちゃんと救いがあっただろ?  でも本当に、安達さんがいてくれなかったら俺は自分の過ちにも気づけなかったし、高校の同級生に謝ろうって気も起きなかった。  こうしてママと笑いながら話す登坂って男は、あの小さな食堂でもういちどこの世に生まれたんだよ。  ただ、俺は道化として生きた長い時間をこのまま無駄にするつもりは無かったんだ。  誰かが目の前で笑ってくれるっていう喜びは、俺のなかで何にも代えがたい価値のあるものになってたからな。  こっから俺は、ようやく感情が元通りになったことで自分の置かれている状況が異常だってはっきり認識できるようになったんだ。  そんで結果として、ひどい鬱だって診断されて3か月ぐらい会社から離れたんだ。  感情が戻って、はじめて鬱になることができた、っていう言い方が正しいのかもしれねえな。  そんでも医者からは即、そんな会社は辞めろって怒られたっけなあ。  でも俺はそのときもう40近くだったから、嫁さんが必死でそれを止めたんだよな。  絶対に今の状況から抜け出せる方法がある、何とかなる、ってな。  はじめ俺は、嫁さんは悪魔かと思ったよ。  こんなに苦しんでいるのに、まだしがみつけって言うのか、って、まともな判断が出来ねえ頭で嫁さんを怒鳴ったりしたよ。  そんでずいぶん辛く当たったりもした。  でもな、そういうときは安達さんの言葉を必死で思い出したんだ。  登坂さんは本当に素敵な人、だからもっと自分に自信を持ってね。  そしたら不思議なことに少しだけ気持ちが落ち着いてな、心は上向かないまでも、なんとか自暴自棄になるのは踏みとどまったな。  安達さんの言葉を裏切っちゃいけねえ。  目の前で俺と一緒になって鬱と、あの会社と戦ってくれてる嫁さんをこれ以上傷つけるわけにゃいかねえんだ、ってな。    そんでしばらく休んでから会社に復帰して、ある日の朝さ。  仕事はパートがひとり俺の下についてくれたんで少しだけ楽になってたが、それでも部署の殆どの作業は俺が片付けてた。  俺はその頃は月にいちど心療内科に通っていて、薬を飲んで鬱を抑えて、っていう生活を続けていたんだがな、最初に鬱だと診断されたときから、ただの一度も心が持ち上がらねえことにふと気づいたんだ。  あれ、こんだけ真面目に薬を飲んでるのに効かねえのは何でだ?  そんで会社に向かう車の中でな、ずーっと考えたんだよ。  仕事だけじゃねえ、何か他にも俺の心を上から押さえつけてるもんがある、そいつはいったい何なんだ、ってな。  そんでその日初めて、俺は会社に向かってる途中でものすごい胸騒ぎがしてな。どうしても会社に行きたくなくなって、本当は直進しなきゃいけねえ信号を左に曲がった。  自分でもどうしてあの日、あのタイミングでそんなことをしたのか今でも分からねえが、はっきり言えるのは、あの日の俺は正しかった、ってことだ。  今までいちども通ったことのねえ道を走りながら、俺の頭の中に強烈に浮かんだのは、逃げなきゃダメだって言葉だった。  今までバカみてえにずーっと辛いことと向き合って、そんでいつも負け戦を繰り返してきた俺が、ここに来て初めて『逃げる』って言葉を意識したんだ。  何から逃げるのかは分からねえが、きっと会社から逃げなきゃってことなんだろうとはぼんやり思ったよ。  でもな、俺が逃げなきゃいけなかったのは、それだけじゃなかったんだ。    信号を曲がった先は、ゆるく上る坂道が続いてるんだ。  そこをしばらく走ってから山ん中のもう営業してねえJAの裏手に車を停めた俺は迷わず会社に電話して、今日は調子が悪いので休ませてくれ、って頼んだよ。  それからしばらく音のない車の中でじっとしてたんだ。  その間ずっと俺は朝に感じた胸騒ぎの正体が気になっててな、ポケットにお守りのように入れてあった強めの抗不安剤を飲もうと思って取り出したんだ。  そのとき本当に突然、この薬は俺の心を本当に上向かせているのかが気になっちまったんだよな。  で、手の上にある薬の名前をスマホで調べたよ。  その結果に俺は乾いた笑いしか出なかった。  俺の心を上から押さえつけてたもの、その正体はな、薬だったのさ。  検索したら、とにかく色んな人が依存性が高くて危険だって書いてんだよ。  薬を飲んでいれば鬱から抜け出せる、飲んでさえいれば治る、そう信じて毎朝毎晩、何種類もの薬を疑いもせずに2年近く飲み続けてた訳なんだがな、その頃の俺は朝でも晩でも、薬を飲まねえと不安になるぐらい薬っていう存在に依存しまくってた。  怖いことに強い依存性ってのはな、知らないうちに生活の別の部分にもじわじわと干渉してくるのさ。  その頃の俺は、うつは身体を動かしたり好きなことをしてリフレッシュすれば改善するって話を聞いて、痩せるためのウォーキングと体を鍛える筋トレ、あとは読書とギターを日課にしてたのさ。  ママも知ってのとおり俺はギターとドラムが好きでな、あとはガキの頃から本を読むのが好きだった。  だから、夕飯を食べ終わってから夜九時まではギターか読書を毎日必ずやるって決めた。  それが終わったら夜9時からきっちり一時間の筋トレ、しかもやる順番を頭からケツまできっちり決めて、その順番どおりにやる。  次は十時からウォーキングを一時間。  雨とか雪でも降らない限り、必ずそのルーティンを繰り返した。  しかも、今日は九時まで読書をする、とか、今日は雨でウォーキングができなかった、なんてことを逐一嫁さんに報告してたのさ。    どうだいママ、今の話を聞いてどう思った?  俺は話していて気持ち悪い奴だな、って他人事のように思ったよ、過去の自分のことなのにな。  なるほど、不気味か、はっきり言ってくれるねえ。  でも、ママもそう思ってくれて嬉しいよ。  そう、この、何かをしなけりゃいけねえ、っていう感覚が異常だってことに俺は気づいていなかった。  医者が言ったから毎朝毎晩きっちり薬を飲まなきゃいけねえ。  楽しいことをしなけりゃいけねえ。  体を鍛えなきゃいけねえし、運動して痩せなきゃいけねえ。  俺はそれを一日の目標として決めて動いてたつもりでも、それをやらなきゃダメなんだっていう強迫観念に突き動かされてただけなのさ。  そしてその行動を誘発させたのは、飲まなきゃいけねえ、って思っちまう薬の依存性なんだよ。  だっていいかいママ、確かにその2年近くで俺の体重は落ちて、ゴリラみてえな筋肉は付いた。  ただ、ギターは驚くぐらい上手くならなかったどころかどんどん下手になったし、その間に読んだ本の内容なんてなにひとつ覚えちゃいねえんだ。  それはなんでかって言うとな、楽しくないからだよ。  仕事と違って金銭が発生しねえ趣味ってのは、楽しいからやるもんだろ?  でもな、たとえその出どころがなんであれ、強制されたり強迫観念に突き動かされてやったことは、楽しくねえんだよ。自分から望んでねえからな。  楽しいからやりたい、やったから楽しい、っていう連鎖があってこそ趣味ってのは成り立つし、上手くもなるものなのさ。  ところがそこに自分の意志とは無関係な命令が介在した途端、趣味は自分の行動を縛る鎖に化けちまう。  そこに気づかないまま延々と毎日同じことを繰り返した結果、それは少しずつ不安やストレスとして自分の心を押さえつけてた。  そしてその不安を取り除けるのは薬と、運動と、ギターと、読書と……。  こうしてどんどん自分で気づかないうちに負の連鎖に陥っちまうのさ。    なあママ、鬱を治すために医者から処方された薬を飲み続けている限りは鬱から抜け出せない、なんて、ふざけた話だろ?  俺が逃げ出さなきゃいけない相手、それはな、会社だけじゃなく、自分の精神を蝕み続けてる、薬を発端とした負の連鎖だったのさ。  もちろん、薬が悪だなんて一概には言えねえ。  ただあの時の俺には、もっと別の治療が必要だったってことさ。  話を戻そうか。  毎日飲んでいる薬について恐ろしい事実を知った俺は、古びたJAの駐車場でスマホ片手に震えたよ。  そんで至った結論は、まずはこの連鎖をどっかで断ち切らねえといけねえ、ってことだ。  だから俺はあえていちばん苦しい方法を選んだ。  おおそうさ、さすが鋭いな、正解だ。  俺は最初に、薬を減らすことにしたんだ。  そりゃあ最初は葛藤もあったさ。  でもな、このままじゃ俺は薬に憑りつかれちまうって考えたら恐ろしくなってな、その日から真面目に薬を飲むのをやめたんだ。  ただし、病院にはちゃんと通って医者の話は聞く。  そうして身体から少しずつ薬を抜いていったら、二か月ぐらいで頭の中にあったモヤが薄くなってる感じがしたんだよ。  要はようやくまともに物事を判断できる頭になったってことさ。  だから俺は次の行動に移すことにしたんだ。  医者からは、行くたびに会社を辞めろとか一年ぐらい休めって言われてたからちょうど良かった。  俺は福島に転勤になって7年近く過ぎて、はじめてその工場から脱出する方法を真剣に考え始めたのさ。  俺は色々な状況を整理して、考えに考えて、ひとつの結論にたどり着いた。  その方法ってのは、転勤依頼さ。  考えてみりゃ当たり前のことなんだが、頭がいかれちまってた俺には到底考えることなんてできなかった。  ただ、本社の上の部署と人事に俺を転勤させなければいけないっていう判断をさせるにはそれなりの大きな理由が要る。  あるいは暴君か工場長から、こいつはもう使い物にならねえっていう言葉を引き出すしかねえ。  本当に自分のやっていることは正しいのかって迷うこともあったけどな、安達さんの言葉が俺の背中を押してくれたよ。  それに、安達さんにはこれ以上俺が苦しんでる姿は見せられないとも思ったしな。  それから俺は働けるところまでは働いた。  いくら薬を抜きはじめたっていっても頭が晴れないこともあったし、忙しくていつ心のバランスが崩れてもおかしくねえ毎日だったよ。  とにかく限界が来る手前までは働こうって思いながら、ずっと危険な橋を渡ってたようなもんさ。  そんでその日は突然やってきた。  久しぶりに暴君から難癖をつけられた日、午後からとんでもねえ不安に襲われて、動けなくなってな。  そのまま会社を早退して、病院に直行したよ。  医者から、本気で会社から離れることを強く勧められたよ。  俺はここしかねえと思って、最低でも3か月以上の静養を要するっていう診断書を書いてもらうことにした。  そしてその日のうちに工場と本社に電話して、医者からそういう診断書が出たこと、明日からしばらく出勤しないことを伝えて、家に帰ってから本社の所属部署に転勤依頼を申し込んだよ。  この日ほど親会社に雇用されてて良かったって思ったことはなかったな。  それからはとにかく不安に襲われたとき以外はできるだけ薬を飲まないようにして、頭と身体を休めた。  歩きたいと思ったときだけ歩いて、弾きたいと思ったときだけギターを手にするようにして、とにかく心の力を抜いたのさ。  ところがここで誤算が生まれた。  暴君も工場長も、俺に三下り半を出さなかったのさ。  それだけじゃなく、本社にいる上司もこっちの嘆願をまともに捉えてくれなかったんだ。  そうこうしてるうちに診断書に書かれてある3か月が近づいてきちまう。  俺は本気で焦った。  またあの場所に戻らなきゃいけねえのか、ってな。  そしたら医者も復帰するのだけは絶対にダメだって言ってくれてな、そんで俺がなんとか転勤させてもらえるように嘆願している最中だって話をしたら、あと3か月の休養が必要だっていう診断書を黙って書いてくれたよ。  それが効いたのか、会社に行かなくなって四か月めでようやく本社の上司が重い腰を上げてな。  どうやらその直前に俺はついに工場から三下り半を突き付けられたらしいと後から知ったんだが、その判断がずいぶんと遅かったと感じたよ。  休み始めて五か月目で人事から電話が来たとき、何年分かの安堵のため息が漏れたね。  これでやっとあの地獄から抜け出せる、あの暴君の顔を見なくて済む、安達さんに苦しい顔を見せなくていいんだ、ってな。  そんで俺はこの街にある本社直属の加工所に転勤が決まって嫁さんともども引っ越してきて、こうしてママとも知り合えた、って訳さ。  本当に長かったよ。  最後に安達さんが、元気で頑張ってね、って涙目で言ってくれたのが忘れられないな。  長かったよ。本当に長かった。  感情を見ないふりしてた頃から、感情を取り戻してから、どっちも本当に辛かったんだな、って今になって思う。  こっちに来てからというもの、初めの頃は心療内科に通ったりもしたけどな、今はちょいとストレス反応が出るぐらいでほぼ鬱は寛解したんだ。  そしたら面白いことにな、友達を作ろうって気になるんだよ。  今までずっと自分の周りに壁を作ってたのが嘘みてえに、仲間ってのを求めるようになっちまった。  そんで気が付いたらこっちに来て1年で、俺は大阪と神戸の音楽サークルをかけもちしてドラム叩いたりギター弾いたりしてたよ。  みんなから褒められたり頼られたりするのが本当に嬉しくてな、今でも機会があればセッションしたり、ライブに出たりしてるよ。  しかも夜の街で飲んで歩くなんて、今までの人生で初めてなんだよ。  こんな言い方は変かもしれねえけど、俺と出会ってくれてありがとうっていうのがママを含めた友達全員に思うことなんだ。  さて、と。  ずいぶんと気分よく話させてもらったな。  まあ、あと少しでこの話も終わりだ。  ああ、良かったら遠慮しないで好きなもん飲んでくれって。  こんなに話を聞いてもらってるんだから、そのぐらいさせてもらわないと割りが合わねえ。  そんじゃあ最後に、長いこと右往左往してやっと辿り着いた、俺がいちばん熱くなってる趣味のことを話そうか。  競馬? おお、確かに大好きだが、違うよ。  そんなもんじゃねえ、もっと夢のある趣味さ。  俺の最高にアツい趣味、それはな、小説を書くことなんだ。  それと、ツイッターでよく見る大喜利ってやつだな。  このふたつが、四十後半になったおっさんの心の支えになってるんだよ。  え、おいおい、似合わないってか?  はは、ずいぶんなこと言ってくれるじゃねえか。  まあいいさ、こっちは本当に楽しくてやってんだ。  それじゃあ、なんで俺が小説を書くことになったか、こっから俺の半生劇場の最終幕が上がりますよ、ってなもんさ。 続く
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