第一章 道化の資質

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第一章 道化の資質

 ああ、ママ悪いね、こんな雪降りの夜に来ちまって。  そうかい、まあこんな夜に飲んで歩くようなバカはそういねえよな。  実際ここだって閑古鳥じゃねえか。  とりあえずおでんと焼酎の水割り、いつもどおり薄めで頼むわ。  そうそう、ご指摘のとおりもう酔っぱらってるよ、なんてったってここは2軒目だからな。  あーよく知ってるよ、自分が酒が弱いことぐらいさ。  でも今日はなんか、どうしても飲みたくてな。  嫌なこと?  ははっ、いいこともねえけど、嫌なこともねえよ。  何もねえけどさ、雪見てたらなんだか昔のこと思い出しちまったからさ。  恋人? 違うよ、そんな洒落たもんじゃねえ。  そうか、ここに来はじめてずいぶんと経つけど、ママには俺のことなんかほとんど話してこなかったよなあ。  興味ない? 笑いながらそんなつれねえこと言うなよ。  こんな雪降りの日に、他に誰も来やしねえだろ。  せっかくだから、ちょっと俺の話に付き合ってくれよ。  俺が生まれたのはさ、東北の片田舎さ。  冬は雪と寒さに閉ざされる、まあ、現地を知らない人が東北って聞いて頭に浮かべるような、そんなどこにでもある田舎町さ。  俺がガキの頃はこれといった観光資源もなけりゃあ目立った産業もない。誇れるものは米とりんごぐらいなもんだったよ。    そんな小さな町のど真ん中で、俺の家は寿司屋をやってた。  俺の親父は第一次ベビーブームのひとり、いわゆる金の卵って呼ばれてた。  そんで親父の親父、つまり俺のじいさんにあたる人は親父が小学生の頃に亡くなっててさ。  しかも8人も兄弟がいたから、親父は当然のように中学卒業と同時に集団就職列車に乗って東京で寿司職人になるための修業を始めたんだとさ。  そんで10年ぐらい経ってから地元に戻ってきて、店を構えたんだそうだ。  ほとんど記憶にないけど、俺が幼稚園に上がるころまでは田舎町でたった一軒の寿司屋だったもんだからさ、そりゃあ流行ったらしいよ。  そんで当たり前のように儲かったんだろうな、親父は他に娯楽のない町でパチンコにはまったんだ。  徒歩3分のところに小さなパチンコ屋があってさ、俺が幼稚園や小学校から帰ると親父はたいていその店に行ってて、夕方に帰ってきた。  だから親父になにか用事があるときはパチンコ屋に電話して呼び出してもらうのさ。  それが面倒くさいときは直接店に行ってさ、考えられないことだけど、幼稚園児がパチンコ屋に当たり前のように出入りしてんだぜ?  なにせ俺が見てた世界は家を除いたら学校と友達の家と、そのパチンコ屋しかねえんだよ。  その友達の家に遊びに行っても夕方までは友達とその兄弟、良くても母親がいるぐらいだった。  だから世の中の父親ってのは、みんな夕方までパチンコ屋にいるもんだって本気で思ってたからな。  友達の父親はみんな会社で汗水流して働いてたってのに、本当に失礼なガキだよな。    お袋は専業主婦だったよ、中学2年までは。  もともとは看護婦、今でいうと看護師ってやつだったんだ。  お袋が試験に受かった頃の看護師の国家試験なんて、よほど経済力がある家かとんでもない頭の持ち主か、あるいは独学で苦労して勉強した人しか受からねえって話だった。  おふくろはどれかって? うーん……、俺は実際に苦労したところを目の当たりにしちゃいないけど、少なくとも実家は金持ちだった。  6人兄弟のほとんどを上の学校にやれるぐらいの余裕はあったみたいだな。  ごめんな、前置きが長くなって。  まあ、今にして思えば俺の家は少しおかしかったんだと思う。  まず俺は、親父に褒められたことがないんだ。  いや本当なんだ、褒められた記憶はない。  通信簿で5を取っても、運動会で1位になっても、家のことを手伝っても、冗談めかして褒めるようなことはあっても、絶対に本気で褒めてもらえなかった。  そして「ごめん」と「ありがとう」は絶対に口にしなかったな。  自分は正しいというのを力と言葉で押し付けてくるような、そんな人だった。  しかも父親の家系は酒が入ると人が変わってな。  普段は物腰の柔らかい人まで、目を吊り上げて怒ったり叫んだり、暴れたりとかは当たり前でな。  正直なところ俺は中学の頃、出刃包丁を持った親父に雪の降る中を下着しか着てない状態で追いかけ回されたこともある。  あ、酔っぱらった親戚のおっさんが「殺してやる!」って叫びながら追いかけてきたこともあったな。  別に悪いことなんかしてねえよ。  中一のはじめから柔道を始めてさ、まだ半年もたたないときに、その親戚のおっさんが寝技で押さえ込んでくれないかって言ってきたから押さえ込んだんだ。  そしたら俺のこと舐めてたんだろうな、逃げられなかったことが悔しくて、そこら辺に置いてあった鈍器片手に追いかけてきたってわけさ。  そりゃ逃げ切ったさ、でなけりゃここにいねえよ。  それでも俺の田舎では盆暮れ正月は親戚が集まるのが当たり前でな、俺は甥っ子姪っ子の中でもいちばん年下だから余計に可愛がられてて、とりあえず小遣いをもらえるからという理由だけでよく宴席にいた。  周りは酔っぱらって狂ったようになってる大人たちと、そいつらの吐き出した煙草の煙で白いもやがかかったようになっててさ、よくまあ、あんな所に子供がひとりでいたと思うよ。  お袋は酒が飲めないからずっと俺を守るようにぴったりとそばを離れなくてな、しょっちゅう、あんな場所には行きたくないってこぼしてたのを聞いたよ。  そう、やっぱりママは鋭いな。  その風景を見ているとどうしても酒と煙草が憎くなってな、今でも煙草は吸わないし、酒だってめちゃくちゃ弱いんだ。  見てみなよ、さっき頼んだ焼酎だってまだ半分以上残ってるだろ?  会社でもネットでも、飲めるふりをするってのはなかなか辛いのさ。  話が逸れちまったな。  ええと、そう、親父の話だ。  褒めない、ごめんもありがとうも口にしない。  こんな環境で育った人間はどうなると思う?  頑張っても、結果を出しても褒めてもらえない上に、自分が間違ったことをしても謝らないし、家族に感謝しない人間が狭い家庭の中にいる。  箸の持ち方や茶碗の持ち方を間違えれば、容赦なく顔面に向かって箸が飛んでくるような食卓で食事をしなきゃならない。  やる気や向上心、自主性というものが身体の中に形成されなくなるんだ。  だって考えてもみなよ、ママ。  例え良い成績を取ってもお前はまだ誰々に負けてるって言われて、キャッチボールでボールを受け損なったら怒鳴られて、取ってつけたようにお前は運動音痴だ、お前は字が汚い、絵が下手だって言われ続けるんだぜ?  そうやって褒められることなく刷り込まれ続けると、だんだんと自分はそういうダメな人間なんだって子供心に思うようになって、不思議なもんで身体も頭も苦手意識が支配して、ますます何もできなくなっていくんだ。  こうして、やる気も向上心もない、運動も字も絵も苦手な、怒られないように周りを気にする卑屈な小学生が生まれたのさ。  それでも自分は、いや、自分の親も家も周りとおんなじなんだ、って疑問も持たずに信じちまってるから余計に手に負えねえ。  いつのまにか、さも当たり前のように非常識なことを言ったりやったりする、俺はそういったクソガキになっちまってたんだよ。  ただ、親父には感謝してることもあるんだ。  親父の家は子供の頃ひどく貧しくてな、家族全員で助け合わないと生きていけなかったんだそうだ。  だから親父は常に俺に、誰かが困っていたり苦しんでいるときは絶対に声をかけろ、優しくしろと言ってくれた。  だから俺は学校に行く途中で近所のばあちゃんが重そうなゴミを運んでたら迷いなく持ってあげるような子供だった。  中学の頃は柔道部の朝練が毎朝7時半からあってな、雪がわんさか降った日に6時過ぎに学校に行って、後から来る奴らの歩道を確保するために学校の周りの通学路を雪かきしたこともある。  そりゃあ同級生からは変な目で見られたし、点数稼ぎだとか思われたよ。  でもよ、誰かがやんなきゃずっと雪は残ったまんまだから、結局はやんなきゃいけねえ。  それに、雪のせいで友達か誰かが転ぶかもしれないし、じいちゃんやばあちゃんが転んで怪我するかもしれねえだろ?  俺がちょっと汗を流すだけでその心配が少し減るなら、何を言われようが全く苦じゃなかったし、みんなが俺が作ったスコップふたつぶんぐらいの道を学校に向かって歩いてるのが誇らしく思えたりもしたよ。  そんで結局その日の朝練はまるまる柔道部員による雪かきになってな、それから雪が降った日は朝練の代わりに学校の周りを雪かきするようになった。  ひとりでやってるときは偽善だ点数稼ぎだって言われるけど、みんなでやり始めた途端にそれが顧問とかに対する讃辞に変わるのな。  あんまりの掌返しに思わず笑っちまった記憶があるよ。  でも、誰かが困ってるときは手を差し伸べるってのは今でも俺の行動の中心にあるんだ。  まあ、そんなのは他人からすれば理解できないらしくて、旅先で溝を飛び越えられなそうなばあさんに手を貸してやったときに、当時付き合ってた彼女から「偽善者」って言われたときは本当にこたえたけどな。  その彼女が言うには、世の中では人の為と書いて、偽りって読むんだそうだ。  それでも俺は、偽善も貫けば善になるって信じて行動したし、今もそれは意識してる。  そんな愚直な考えは親父の言葉から受けた影響だなって素直に思うよ。    どうしたよ、ママ、そんな暗い顔すんなって。  別に俺は不幸自慢がしたくてこんな話をしてるわけじゃねえんだ。  違うんだよ、今日、ちょっと分かったことがあるんだ。  どうして親父が俺に対してあんなに厳しい態度を取り続けたのか、この歳になって何となく気づいたんだよ。  あれは不器用な人間だからこそ、そうせざるを得なかったんだろうなあ。  親父はさ、全てに追い上げ理想的な俺の父親になりたかったんだよ、きっと。  何を言ってるって?  まあそんな顔しないで聞いてくれよ。  さっき言ったとおり、親父は10歳の時に父親を亡くしてる。  だから、父親という存在をまともに感じたのは物心ついてからわずか数年だったわけさ。  しかも家が貧乏でさ、当時は戦後だからそれが当たり前だったのかもしれないけど、やっぱりお金に追われるってのは心が荒むんだと思う。  きっと子供の頃の親父は、自分で沢山お金を稼いで、父親がいないせいで今我慢していることを全部やってやるって考えてたはずさ。  それに加えて15で家を出て、厳しい師匠さんの下で修行してさ、親父にはきっとその師匠さんが父親の代わりみたいなものだったんだろうな。  ……俺が何を言いたいか分からないかい、ママ?  親父の中には、他の人とは違う父親像ってものが出来あがってたんだと俺は思うんだ。  まずは父親というものがどんなものかよく分からないし、そこに師匠さんの厳しさが刷り込まれていく。  師匠さんは父親としてではなく、寿司職人として親父に成長してもらう必要があるし、そこには当然お金もかかる。  だから絶対に弟子を甘やかすようなことはしないし、当然、弟子に頭を下げることなんてないだろうな。  でも確固たる自分の父親像を持たない親父には、弟子に接する師匠さんの態度こそが父親の姿なんだって印象が残って、時間が経つにつれてそれが理想の父親像だと勘違いしていったんだと思うんだ。  なんてったって社会に出たときはまだ15歳だぜ? そりゃあ仕方ないよ。  そしてそのまま大人になって、俺が生まれる。  俺の顔を見て、これから自分はちゃんとした父親にならなければいけないって思ったとき、データベースの中から父親って言葉を検索すると、真っ先に師匠さんの姿が浮かんだろうな。  間違いを厳しく叱責して、お前はここがダメだと指摘して、どうしてできないんだと問い詰める。  それはあくまで成長させる義務がある師匠と弟子の間だけで成立するやり取りであって、それを親子の間にねじ込むのは無理があり過ぎる……ってことも親父は気づかなかったんだと思う。  加えて、自分が味わった貧乏暮らしはさせたくないってのもあったんだろうな。  それに自分には学もないから、どうしても俺には上の学校に行って欲しかったんだと思う。  まあ、俺はどんだけ勉強してもそるが当たり前だって言われるだけで褒められることもなかったから、中学の時点で勉強と努力ってもんを放棄しちまってたんだけどな。  とにかく、だ、ママ。  親父は俺に多くを求め過ぎてることに気づかない上に、それを実現できる唯一の方法が徹底的に厳しく躾けることだ、って妄信してただけなんだ。  つまりは俺の父親として、ちゃんと成長させたいっていう気持ちが人一倍強くて、その方法がひどく間違っていただけなんだよ。  ……悲しいよな。  俺は親父にちゃんと褒めてもらっていれば、やる気も向上心も無くさずに頑張って勉強していい大学に行って、今よりもいい給料を貰えてたと思う。  そんで俺よりも悲しいのが、不器用な育て方に気づかないで、ずっと俺から恨まれ続けてる親父だよ。  え? こんだけ気づいたのに許してないのかって?  うん、そうだなあ……許す、ってのはちょっと違うな。  親父の育て方に至る考え方を理解した、ってのが正しいのかもしれない。  今だって実家に帰っても楽しいとは思わないし、正直に言うと実家の空気感が親父とお袋の存在も含めて気持ち悪いとすら思えるんだよ。  これはもう、治らねえだろうなあ……。  そんな面倒くさそうな顔すんなよ、ママ。  俺だって葛藤はあるさ。  でもな、親父の存在が俺の人生に大きな影響を与えたってのは事実だ。  ここだけはちゃんと分かって欲しいんだ。  俺に子供がいないのはママも知ってるよな?  その理由がまさに、そこなんだよ。  親父のようにはなりたくない。  俺の中の父親像は、親父だ。  そして俺は酒を飲むと狂っちまう遺伝子を引き継いじまってる。  だから、頭では分かっていても俺はきっと子供に親父がやったことと近いことをしてしまう。  自分の子供を本気でぶん殴ってしまう可能性だってあるんだ、この手で。  だから俺は、父親になることを諦めた。  嫁さんは子供を欲しがっていたからもちろん協力はしたし、子供が出来たらカウンセリングに行って過去を打ち明けて、ちゃんとした父親になれるようにする覚悟はあった。  でも、40になるまで子供に恵まれなかった時点で嫁さんと話し合って、子供を持つことを諦めたんだ。  嫁さんには言ってないけど、俺はあのとき、涙ぐみそうな嫁さんを見ながら悪いとは思いつつ少しだけ安心しちまったんだ。  いや、別に同情してほしいとか嫁さんがどうとかじゃないんだ。  ただ俺は、嫌われたとしても、いい奴でいたいんだよな。  偽善だってなんだっていいのさ。  俺は、親父の遺伝子を残さない代わりに、親父が俺に教えてくれた誰かを思いやることのできる優しさを後世に残したい。  それが俺ができる最大限の、親父に対する愛情であり、譲歩なんだよ。  分かってくれなくったっていいよ、これはあくまで俺の中の問題であって、俺のエゴなんだから。  俺が誰かを思いやって、行動して、それを見た誰かがいいなと思ってくれて、そしたらなんとなく真似してくれればいいんだ。  そうすれば、親父が貧乏の中で苦しみながら築き上げた思いやりが後世に伝わることになる。  俺はその橋渡しでいい、そんなことをふと思ったんだ。  まあ、その偽善も貫きゃっていう性格のせいで学生時代も、大人になってからもいろいろと苦労することになるんだけどな、ははっ。    お、どうしたママ、暖簾なんか下げてきて。  まだ閉店時間はだいぶん先だろ?  え、もっと俺の話を聞きたいってか? はは、奇特な人もいたもんだ。  それじゃあ、せっかくだからお言葉に甘えてもう少し続けっかな。  歪みながら真っすぐ育った、道化はみてえな俺の話で良ければ、な。 続く
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