第十六話 セナのいない旅

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 幼い自分は、いったいどうすればよかったのだろう。  違うの、言いたいことはそうじゃないの。  何度心の中で叫んでも、声を奪われた自分の言葉は誰にも届かなかった。  真っ赤に染まったその景色に、心がバラバラになってしまいそうだった。  それなのに、泣くことさえ許されなかった。  止めなきゃ、止めなきゃ。  お願いだからもうやめて。  奪いたいんじゃないの、守りたいの。  そう祈っても、事態はどんどん悲惨な方向へ転がり落ちていく。  誰か助けて。誰かわかって。  誰か、誰か、誰か────。 「いやあぁぁあ──!」 「ミサキ!?」 「ミサキ、どうしたの!?」  暗闇に染まった夜の小屋、突然静寂を破ったのはミサキの叫び声だった。  女子二人で共有していたベッドの奥側で、悪夢を見たのかミサキは飛び起きて頭を抱えた。  目を覚ましたマリアと見張りをしていたクリンが同時に駆け寄って声をかける。だがミサキは正気を失っているのか頭を振ってただ泣き叫ぶだけ。 「いや! いや! もうやめて!」 「ミサキ!」 「どうして誰もわかってくれないの!? お願い、わかって、もうやめて!」 「しっかりしろ、ミサキ!」  ミサキの肩を支えてクリンとマリアはなんとか冷静になってもらおうと、名前を呼び続ける。けれど何度呼びかけても、彼女の耳には届かない。 「違うもん、違うもん、違うもん! そんなこと言ってないもん!」 「ミサキ!」 「守りたかっただけだもん! わたくしはそんなこと望んでない! 声を返して! わたくしにもしゃべらせて! やめてって言ってるのに!」  マリアがぎゅうっとミサキを抱きしめた。ミサキはその体温を拒むように、いやだいやだと首を振っている。  彼女は記憶を思い出しかけて、五年前に逆行しているのではないだろうか。 「お願い、争わないで! 殺さないで!」 「ミランシャ皇女! 大丈夫です、気をたしかに持ってください」  クリンは彼女よりも大きな声で、その名前を呼んだ。  マリアが一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、見守ることに徹したらしい。 「誰か助けて! わたくしの声を聞いて!」 「ミランシャ皇女! 僕が助けます、あなたの願いを必ず聞き届けます!」 「誰かっ……」 「ここにいます。僕がいます」  マリアの反対側からミサキを抱きしめ、この声がしっかり届くように、彼女の耳元へ唇を寄せた。 「僕がいます。必ず助けますから、なんにも心配はいりません」 「誰か。お願い、止めて……止めてちょうだい。わたくしは、わたくしは」 「はい」 「彼女たちを……救いたかっただけなの」 「……」 「止めて。父を止めて……。多くの命を奪わないで……」 「止めてみせます。だから安心して、目を閉じて」  静寂に、ミサキのふぞろいな呼吸が響く。  うなされ続けるミサキの肩は、震えていた。  ずっと彼女の温もりを閉じ込めながら、クリンは自分の呼吸もひどく乱れていることに気がついて、意識的に深呼吸をした。  再び見せた断片的な記憶。点と点をつないでも答えには辿り着けそうもないくらいの、少ない情報の数々。  だがそれらの言葉すべてから彼女の苦しみが痛いほど伝わってきて、胸をぎゅうぎゅうに締め付ける。  彼女の記憶は苦しみの中にある。  もしも記憶が目覚めたら、彼女の心は壊れてしまうのではないだろうか。  ……そんなのは嫌だ。いっそ思い出さないでいてくれたら、彼女はどんなに幸せだろう。  押し殺したはずの身勝手な感情が再び顔を出さないように、固く目を閉じて腹の奥に押しやる。  相変わらず、胸の痛みはやみそうもない。  しばらくそのまま三人で身を寄せ合っていた。  やがてミサキは深い眠りの中に落ちていき、彼女の頭がふらりと傾くのを肩で受け止める。より近づいた彼女の呼吸に別の感情を伴いながらも、クリンは安堵する。  マリアと二人で彼女をベッドに横たわらせれば、背後から、チャキッと金属の音が。  ぞくりと背筋を震わせて振り向けば、入口側の壁に寄りかかってすべてを静観していたジャックが、腰に帯びたままの剣に触れたところだった。  彼も眠っていたはずだったが、ミサキの叫び声で目が覚めたようだ。しかし抜刀するわけでもなく、その鞘を握りしめ、ミサキのほうをただ見つめるだけ。  暗がりのなかで彼の表情は見えにくかったが、闇に光った眼光に、静かな怒りの感情が宿っているのがわかる。   「誰を……救いたかったって? 多くの命を奪った分際で」 「やめてください」 「叩き起こせば記憶が戻ってるんじゃないか?」 「やめてください……!」  キッと睨み返しても、ジャックの視線は目の前の獲物をとらえたまま外れることはない。  ミサキは日夜、その視線をずっと受け続けているのだ。そのストレスが彼女をここまで追い詰めてしまったのだろう。  失敗した。やはりひとつ屋根の下で眠るべきじゃなかった。  クリンは自身の不甲斐なさを実感しながら、一歩も近づかせないようジャックと対峙していた。  が、ジャックは思いのほか簡単に引き下がってくれた。 「明日の出発も早い。もう寝ろ」 「……」 「まあ、起きていたいなら勝手にすればいい」  そう言って、ジャックが鞘から手を離したのがわかった。どうやら本当に寝直すつもりらしい。  それでもクリンとマリアは警戒をとくことができず、交代で見張りをしながら夜を明かしたのだった。  
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