第十六話 セナのいない旅

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 しばらく駆け抜けると街道が二つに別れたため、ジャックはメインの街道とは別の細い街道を選んだ。それは林の中へとつながっており、左右に広がる大小それぞれの沼が目に止まった。  一行はそこで休憩をとることにした。追手はなさそうだし、ここなら人目もごまかせるだろう。  馬の手綱を樹にくくりつけるジャックのもとへ、クリンがマリアを連れてくる。馬車をおりたミサキも、近づきこそしなかったが遠くから見守っているようだ。 「ジャックさん、怪我をしましたよね」 「ああ、たいしたことはない」 「ダメです。マリア、頼む」 「うん」  ジャックの左腕に怪我を見つけ、マリアはすぐに治癒術をかけた。それを素直に受け入れるジャックを、クリンは黙って見ていた。 「何か言いたそうだな」 「……」 『ジャックさんが無事で良かった』  そう思いながらも、クリンは言葉を飲み込んだ。『守ってくれてありがとう』も、違うと思う。たしかにあの時は、彼の強さが心強いと思ったし、一瞬だけ味方になってもらえたような錯覚を覚えたのも本当だ。  だが彼は言うだろう、ミランシャ皇女を奪われたくなかっただけだと。だから、そんな仲間みたいな言葉は言ってはいけない。 「僕は、剣が嫌いなんです」 「……」  ジャックは怪訝そうに眉をひそめた。 「僕は、人の命を奪う武器が嫌いです。命を軽んじる人間も大嫌いです」 「……」 「だから僕は、命をかけずに解決する方法を、いつも探しています」 「俺が戦ったのが気に入らないのか? だがそれは詭弁(きべん)だな。相手が剣を振るってくるなら、生きるためにこちらも振るうしかないだろう。弟くんだっていつもそうしているじゃないか」 「違いますよ。そんなことが言いたいんじゃない。あれはしかたのない戦いでした。それにジャックさんの戦い方は正しかった」 「……」  ますます意味がわからない、という顔をするジャックに、クリンは尋ねる。 「ジャックさんは、人を殺したことがありますか?」 「……」 「ない、でしょ?」  ジャックからの返答はなかったが、それがじゅうぶん肯定の意味を表していた。  セナと戦った時も、先ほどの戦闘でも、ジャックは相手の武器を奪ったり手を攻撃したりして、相手が戦闘不能になるような戦い方をしていた。決して命を奪おうとはしなかったのだ。   「ジャックさんの剣は、殺すためのものじゃない。人の命を守るための剣でした」 「何が言いたい」 「嬉しいって思ったんですよ」 「……」 「同時に悲しいって思いました」  彼はやはり、自分が思ったとおりの人だった。妹想いで、優しくて、強い人だ。命の重みを分かり合える人だ。  そんな人が、復讐の鬼になって人の命を奪おうとしていることが、ひどく悲しかった。  目を伏せれば、ジャックの腰の剣が視界に入った。鞘に施された金色の紋章は、彼がミサキを睨むたび悲しく光っているような気がした。 「……なるほど。だから、ミランシャ皇女を殺すなと言いたいのか。なめられたものだ」  ジャックの顔がますます険しくなっていく。  治癒を終えたマリアは、二人のやりとりをハラハラしながら見守っているようだった。 「ジャックさん。復讐をやめることはできませんか」 「ふざけるな。七年前に妹が殺されてから、ずっと心に決めていたことだ」 「殺されて、殺し返すんですか? それで本当にジャックさんは救われますか?」 「それは綺麗ごとだ。お前にだって弟がいるだろう。無惨に殺されてみるがいい」 「……」  セナの顔が思い浮かんで、クリンは返す言葉が見つからなかった。  それは想像も絶するほどの苦痛であるに違いない。考えるだけで胸が痛く、腹の奥が沈んでいくような感覚に襲われる。  七年、ジャックはそれ以上の苦しみに耐え続けているのだ。 「たしかに俺は人を殺したことはない。殺すのはたった一人でじゅうぶんだからだ」  ジャックの視線はまっすぐにミサキへと注がれていた。 「俺はこの七年間、一日たりとも妹の死に顔を忘れた日はなかった。皇女を殺す。その想いだけが俺の生きる支えだった。あの馬車でやっと願いが叶うと思ったのにそれすら奪われて、五年だ。どれだけ探したと思う。どれだけ腕を磨いたと思う。やっとこいつを見つけて、成就する時がきたんだ。俺が命を奪うのは、こいつだけだ。……それですべてが終わって、やっと解放される」 「……」  ミサキは唇をきゅっと結んだ。ジャックを見つめ返すその瞳はただただ、悲しそうに揺れているだけ。  ジャックの青い瞳に宿る、重たい影。その影に彼自身が飲み込まれてしまいそうで、クリンは不安を覚える。彼の復讐をなしえた時のことを想像すれば、嫌な予感が頭をもたげる。  だからその視線をふさぐように、前へ立ちはだかった。 「させません」 「いいや、必ず成し遂げるさ」 「いやです。僕はミサキの命もジャックさんの命も失いたくありません」 「……」  気がついてしまった。  彼はミサキを粛清したあと、きっと自身の命も断つつもりなのだ。それが人を(あや)めることへの彼なりの贖罪(しょくざい)なのだとしても、到底、認めるわけにはいかない。  ミサキのためじゃない。自分自身の心がそう願うのだから、もう迷いはない。 「言ったでしょう。命を軽んじる人間は大嫌いだと。僕の前で簡単に命を落とせると思わないでくださいね」 「……お前になんのメリットがある」 「そんなもの。僕は自分の矜持(きょうじ)に従うだけだ」 「矜持?」 「はい。『命は尊いものだ。その重みに優劣をつけるな、真摯に向き合え』と、故郷の父はいつも僕に教えてくれました」  その教えが人生の支えだった。その教えを守り貫くことが自身のプライドである。目の前にどんな困難がぶらさがっていたって、どんなに悲しい出来事があったって、自分の選択はいつもこれだけだ。 「僕はクリン・ランジェストン。医者の家系です。僕はたったひとつとして、目の前の命を諦めたりなんかしません」 「…………」 「僕は剣が嫌いだ。命を奪うものは嫌いだ。だから、命をかけずにジャックさんと解決できる方法を必ず探します」  ジャックの瞳には、ひとつも動揺が見られなかった。彼の決意も簡単に揺らぐことはないのだろう。  だが、必ず打ち勝ってみせる。彼の復讐を止める。クリンはそう胸に誓った。
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