第十六話 セナのいない旅

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 翌日。  御者席でジャックの隣に座っていたのはクリンではなく、マリアだった。  ミサキの熱は昨晩よりも下がったとはいえ、まだ平熱よりは高く、クリンが付き添うことになった。  ……というより、マリアが客車を拒否したから自動的にクリンが中に入ったと言ったほうが正しい。  御者席では、マリアはずっとフグのように頬を膨らませており、それをジャックがなんともいえない表情でやり過ごす、という気まずい空気が出来上がっていた。  が、マリアは気にせず膨れっ面を作り通した。 「ずーっとそうしていると、顔が疲れないか」 「お気遣いなく」  態度もそっけないものだ。  完全な八つ当たりでは……と思いつつ、ジャックは苦笑して受け流すだけ。  何があったのかはっきりとわからないが、昨晩客車からおりてきたマリアを見る限り、誰かと喧嘩をしたのだろうと言うことはジャックも理解していた。朝の様子から、おそらくクリンではなくミサキと喧嘩したのだろうということも。  だが、ジャックは何も言わなかった。  火に油を注ぐことはしたくなかったし、自分はただの同行者であって仲間でもなければ馴れ合うつもりもない。  ましてやこの聖女がミランシャ皇女と仲(たが)いをしてくれれば、自分の復讐はやりやすくなって願ったり叶ったりだ。  よって、ジャックはただ黙って馬を走らせるだけ。  馬車はひらけた街道を走っていた。  首都から離れだいぶ北上してきたため、すれ違う馬車も少なく、追っ手もなさそうだ。  先進国と言ってもここは田舎のほうに位置しているからか、ガス灯や遠くに見える山々が他の大陸で見てきた景色と似ていて、マリアはなつかしさを感じていた。  クリンたち兄弟にとってはまだ三ヶ月程度の旅だが、彼女たちの旅はもう、一年以上にもなる。  長く険しい旅だった。  プレミネンス教会からずっと西へ西へと北半球を旅して、砂漠地帯や豪雪地帯も歩いた。巡礼先が標高の高い山にあったりと、肉体的にも精神的にも休む暇がなかった。  だけど、隣にはいつもミサキがいてくれたからがんばれた。  それだけじゃない。プレミネンスで出会ってから、彼女のおかげで自分はずっと一人ぼっちではなかった。  彼女は記憶はなくても自分よりもずっとしっかりしていて頼りになったし、優しくて、やわらかい笑顔に癒されることが多かった。  大の親友で、お姉さんで、時々お母さんだ。  ……大好きなのだ。 「ジャックさん」 「なんだ」  マリアはようやくその仏頂面を崩して、ジャックと対話を始めた。 「前に、ジャックさんが同行を決めた時に、あたしに質問したことがありましたよね」 「質問……?」 「はい。ミランシャ皇女はおそろしい女だ、あなたはそれでも親友と呼べるのか?って」 「ああ……」  言ったな、とジャックは頷く。  あの時マリアは「わかりません」と答えた。ミサキが記憶を取り戻した時に話を聞くことで感じることも違ってくるだろうと。 「あの時の答えが少し変わりました」 「ほう?」 「もしあなたの言うように、ミサキが本当にミランシャ皇女で、その皇女が聖女の首を狩ることを望んで多くの命を奪ったのなら……あたしは同じ聖女として、彼女を許すことはできません」 「……それは結構なことだ」 「でも、彼女には生きて償ってもらいたいです。一生を終えるその時まで、亡くなった者を弔い、残された遺族に償い続けてもらいたい。あたしは親友として、そばで支え、見守り続けます」 「……」 「だから、あなたに奪われては困るんです」  ジャックは静かにその言葉を受け止めて、「なるほど」とだけ返した。  おそらくそんな綺麗事では、ジャックの心にはなんにも響かないだろう。そんなことはマリアにだってわかっていた。  これは自分の決意表明だ。    ミサキがたとえその命を諦めることを選んでも、ジャックがずっとミサキの命を狙い続けたとしても、自分だけはミサキのそばにいて、彼女を支えてみせる。 「ミサキが拒絶したってかまわない。あたしだけは、なりふりかまわずあの子の命にしがみついてやる」  一緒に生きるのだ。たとえその道が険しくて苦しいものでも。 「昨日のことは腹が立ったけど、たまには妹が許してやろうかなー」  マリアはちょっと大人になった気分で、腕組みをしながら背もたれに背を預けた。そのふてぶてしい態度がだいぶ子どもっぽかったのだが、それをツッコむ者はいない。 「だって、ミサキ。……よかったね」  一方、客車の中では、ぽろぽろと涙を流すミサキのことをクリンがなだめているところだった。  マリアはまったくの無自覚だったが、客車と御者席をつなぐ小窓は取手一つで簡単に開くタイプのため、静かな客車内に御者の会話はかなりよく聞こえてくる。  つまりマリアの言葉は、意図せずしてミサキ本人に伝わったのである。  それはこの状況に疲れ果てた彼女を救うのにじゅうぶんな言葉だった。 「私……誓いを忘れるところでした」 「ん?」 「私は、ミサキ・ホワイシアです。マリアにもらった名前があります。……この名前で生きていく道を……私自身が諦めてはいけませんね」  ぽろぽろと溢れる涙を拭いながら、ミサキはそれでも笑顔を浮かべた。  それは昨晩見せた力のない笑顔とは違って、いつも通りの優しくて穏やかな……みんなが大好きな笑顔だった。  その後、ミサキとマリアが仲直りをするのに時間はかからなかった。
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