第十七話 六つ目の巡礼

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 マリアはすぐにアルバ王都へ飛んだ。それなのに、約束した港の入り口にセナの姿はなかった。 「あいつ!」  と、いきり立って乗船場付近にある大きな時計を見れば、驚愕の事実に気がつく。  時計の針は、十四時を過ぎていた。  ──時差である。 「……っ!」  サーッと血の気が引いていくのがわかった。  この世界には飛行機などの高速な移動手段もなく電話などの通信装置も存在しないため、時差という概念は学者が唱えた理論上の知識であり、マリアたちが身近に感じられるようなものではなかったのだ。  正午というのが「どちらの」とは打ち合わせていなかった。もしかしたらセナは二時間前にここへ訪れ、いつまで経っても自分が来ないので諦めて帰ってしまったのではないだろうか。 「う、うそ……どうしよう。どうしよう、どうしよう」  このままではクリンが死んでしまう! 「そうだ、いったん戻って治癒を……」  いや、無理だ。クリンは絶対にあのドアを開けないだろう。 「探さなきゃ!」  マリアははやる気持ちをおさえて、港を駆け出した。  もしかしたら、近くにセナがいるかもしれない。もしかしたら、時差に気づいてここへやってきてくれるかもしれない。  じんわりと目に涙がにじんでいく。いろいろな術を覚えてきたからって調子に乗ってるとコレだ。  自分を叱責しながら市街地のほうへ向かって走る。その足を、一人の男性が止めた。 「おい、じょうちゃん」 「っ!?」  肩をつかまれて振り返れば、四十代くらいの精悍な顔つきの男性。だが残念ながら緑色の髪をした知り合いなんていない。 「なんですか!? 急いでるんですけど」 「や、おまえさん聖女だろ? いましがた術を使っていたよな」 「知りません。ほうっておいてください!」  セナもいなければ変なのに絡まれるしで、マリアの不安は涙という形になって最高潮に達した。ぽろっと大きな滴が頬を通過した、その時。 「やーっと来やがった! おせーよこのポンコツ聖女!」 「……っ!」 「おかげでハラ減っちまったじゃねーか」  背後から待ちわびた懐かしい声がして、マリアは振り返る。  青色の短髪、金色の瞳。そしてあいかわらず身軽そうな格好に愛用のリュック。その両手には肉を包んだ白い生地の蒸し饅頭。 「あれ、お前まーた泣いて……」 「セナ!」  男の手を振り払い、思わずセナに抱きつく。 「おわっ」  両手をふさがれているせいで受け身を取れず、セナは大きくバランスを崩しながらもなんとか踏みとどまった。うしろで「おお」と男の声がする。 「セナ、セナ、セナ!」 「わかったわかった、落ち着け! 鼻水をつけるなコラ」 「わーん、セナのバカーっ」 「あぁ?」  セナの服にぐりぐりおでこを押し当てながら、マリアは安堵で胸が震えるのがわかった。  ポロポロぽろぽろと溢れる涙はもう、止めようがない。たった一週間だと言うのに、それはとてつもなく物足りなくて、長い時間だったように思う。  だがしかし、こんなことをしている場合ではない。 「セナ、大変なの! クリンが死んじゃう!」 「……っ」  セナはパッと表情を変えた。すぐに視線を別の場所へ移したので、しがみつきながらマリアもそちらへ目を向ける。  それは先ほど自分を捕まえた見知らぬおじさんだった。 「おっさん、悪いな」 「おう、行ってこい」  短い挨拶だけ済ませ、セナは片方の肉饅頭を男へ放り投げると、「行くぞ」とマリアを急かした。  男二人を交互に見比べながらも、悠長におしゃべりをしていられる状況ではないため、マリアは術を発動させた。白い光が二人の全身を包みこみ、やがて光とともに原型をなくしていく。  二人が完全に消えたのを見送って、ギンは肉饅頭を頬張りながら、ほくそ笑んだ。 「弟子よ……青春しとるな」  キン、ガキン! 剣と剣が激しくぶつかり合う音が周囲に響いている。  ──まずい、このままだと教会に人が集まってきてしまう。  マリアがアルバ諸島へ行ったのだろう、雨はすでに上がっていた。剣の甲高い金属音は、いくら町外れだとしても気がつかれてしまうだろう。騒ぎになられると困るのだが。  クリンは朦朧(もうろう)とする頭をぶんぶん振って、なんとか意識を保っていた。  ぶるっと体が震える。そのたびにズキズキと背中が痛んだ。  先ほどから見えているのはジャックの背中だけ。彼はこれ以上ナイフがこちらへ飛んでこないよう、視界をふさいでくれているのだ。 「ほら……やっぱりジャックさん、いい人だ」  ぽつりと呟いて、こんな時だというのに微かに口元が笑う。  自分が死ねば、彼の復讐はより簡単になるのに……バカだなぁ。  ジャックと男はほぼ互角だった。だが自由に動けないぶん、ジャックのほうがやや不利だと言える。  さらに言うならジャックは相変わらず戦闘不能を狙った攻撃ばかりするのに対して、相手はおかまいなしに急所を狙ってくる。  それを、ただ見ているだけなんて嫌だった。 「うっ……」  クリンは余る力で、なんとか背中に手をのばした。  ナイフは背中に刺さったままだ。これを外して相手に投げれば、多少の隙をつけるだろうか。ただ、抜いたら多量失血はまぬがれない。 「くっ……うぅ」  そんなこと言ってられるか!  心の中で(かつ)を入れて、ナイフを持つ手に力を入れる。  痛い、痛い、痛い……  ゲミアの里で矢を射られた時より数十倍にもなる痛みに耐えながら、一気にナイフを引き抜く。  背中がどくどくとうごめく奇妙な感覚を知りながら、クリンはナイフを握り直した。  相手が戦えなくなればいい。足だ。足さえ狙えれば……。  ギリッと歯を食いしばって、ナイフを構え、タイミングを待つ。 「!」  と、その時、横から伸びてきた手にぐっと手首をつかまれてしまった。
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