第十七話 六つ目の巡礼

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 身構えたクリンの視界に映ったのは、今一番心待ちにしていた人物だった。 「セ……っ」 「し」  人差し指を立てているのは、見慣れた顔の弟だった。青い髪は、少し切ったのか一週間前よりも短く整えられていた。  その顔を見た瞬間、ナイフを持つ手から力が抜けていく。  久しぶりの弟。うるさいし世話が焼けるし辟易(へきえき)してばかりだったが、こうして会うと胸が安堵するのだから不思議である。一週間も会わなかったのは生まれて初めてで、弟のいない時間はとてつもなく長く、心がからっぽに感じられた。  やっと、やっと帰ってきた。  言葉なく噛み締めているクリンの背中を見て、一方のセナはその目に静かな怒りを宿した。 「あの男か」  だいたいの話はマリアたちから聞いたのだろう、セナは質問というよりも確認という声色で目の前の男を睨み、クリンの手からナイフを取り上げた。 「すぐ済むから待ってろ」 「騒ぎは起こすなよ……」 「へいへい」  わかってるよと言いたげに、セナは立ち上がる。  男は相変わらずジャックと剣を交えていた。セナが現れたことには気づいていないのか、隙だらけである。  セナは相手の視界に入らないよう、音を立てずに木々を飛び移り、茂みに隠れて男の背後を取った。  獲物を狙う動物のように息を殺して、二人の交戦を観察する。なかなか攻撃は途切れない。どちらも相当腕が立つのだろう。  そこから時間にして数分。  ──いまだ。  男とジャックが剣を弾いて一歩離れたその瞬間、セナはすさまじい速さでそのナイフを投げた。 「!?」  ナイフは男のつま先スレスレで地面へと突き刺さった。突然現れたナイフに視線を奪われた男とジャックは、一瞬だけ動きを硬直させた。  そこへ、セナは音もなく飛び出る。  身構える隙すら与えず狙ったのは男の首。流れるような速さで手刀を打ち放てば、そのたった一撃で男はふらりと体を崩した。そしてそのまま地面にひれ伏し、完全に意識を失ってしまったようだった。  そのあまりの素早さに、クリンもジャックも呆気に取られたまま、瞬きすらできずにいた。  ジャックは剣を構えたまま、呆然とセナを見る。  いったいいつ現れたのか、音も気配もまったく感じることができなかった。その立ち姿ですら一分(いちぶ)の隙もなく、一週間前に対峙した時と何かが違うような気がして、距離をはかりかねる。  しかしそんなジャックにはいっさい興味がないと言いたげに、セナはすぐさまクリンのところへ駆けつけた。 「生きてるか?」 「当たり前だろ……」  と強がりを吐きながらも、クリンはもう動くこともできずにその場に横たわるだけ。  遅れて駆けつけたジャックはその傷を見て顔をしかめた。 「バカだな。なぜあの時、足を止めたんだ」 「すみません……ジャックさんが心配で……」  クリンは力なく、へへ、と笑う。  まっすぐに向けられた笑顔にジャックは一瞬だけ虚をつかれ、呆れ返ってため息をひとつ。それからクリンを運ぼうと手を伸ばした。  が、それを止めたのはセナだ。肩に触れる直前でジャックの手を払いのけ、ギロリと一瞥を送ったあとでクリンを担ぎ上げた。兄を運ぶのは自分だと言わんばかりに。 「アレお前の知り合いなんだろ。縛って中に入れておけよ。武器は全部回収しろ」  それだけ言い捨てて、セナはクリンとともにドアの奥へ入っていく。  触れ損ねた手をそのままの位置で、ジャックはふっと苦笑するのだった。 「ほんとに……不思議な兄弟だ」  案内された個室のベッドに横になるなり、マリアに治癒術をかけてもらう。しかし背中の傷は治ったが、風邪を引いてしまったために高熱が出ている。  一週間、夜はろくに眠ることができず、日中はずっとジャックとの神経戦で、気づかぬうちに疲弊してしまっていたようだ。 「ゲホッ、ゲホ……ごめん、みんな。心配かけて……」 「ほーんとだよ。おまえ風邪ひくと、やたら世話が焼けて面倒くせーんだよなー」 「……」  悪態をつくセナの腕をペシッと叩く。が、力が出ないのかヘロヘロ水平チョップで終わってしまった。  そこで、ふとあることを思い出す。 「セナ、ちょっと」 「あ?」  来い来い、とクリンに誘われて素直に身をかがめたセナの頭に、今度はこれでもかと力をこめてゲンコツをお見舞いする。 「痛ってー!」 「あとで説教だからな……覚えてろよ……」  一週間前にセナが勝手に離脱したと知った時、絶対にゲンコツしてやろうと思っていたのだ。  正真正銘それが最後の力だったようで、クリンはそのままベッドに沈むのだった。  力つきて眠ってしまったクリンを見下ろしたあとは、セナ、ミサキ、マリアが顔を見合わせて笑った。 「改めて、おかえりなさい、セナさん」 「おかえりー!」 「おう」  戻ってきてすぐに再会の挨拶は果たしたが、ちゃんと会話をするのはようやくのことだった。  余談だが、白い肉饅頭は食べる暇がなかったためマリアの口の中に突っ込んでおいた。 「ミサキも首がつながってるみたいだな」 「おかげさまで」  広めの個室。一同はセナの一言のあとで一斉にジャックを見る。  ジャックは入り口側の壁に立ち、ベッドの周辺にいる四人を見ていた。ちなみにセナが倒した組織の男は両手両足を縛って反省室に閉じ込めてある。  ジャックは彼らの話を聞いても何も言及するつもりはないのか、静観するのみだ。その表情からは何を考えているのかは読めない。 「せっかくの再会ですしゆっくり近況報告をしたいところですが、マリアとセナさんは一刻も早く儀式を行ってください。クリンさんの看病は私が引き受けますので」    教会の人々は地域住民からのデモンストレーションに困惑しながらも、なんとか試練と儀式の準備を終えてくれたようだ。こちらとしても、さっさと儀式を終わらせてしまいたいところである。 「でも……」  そうはわかっていても、マリアはなかなか動けずにいた。クリンがこうなってしまった以上、ジャックからミサキを守れる者がいなくなってしまうのだ。 「マリア。あなたの使命は何?」 「……」 「行って。私は大丈夫」  しぶるマリアにミサキは笑顔で頷くと、今度はその目をジャックへ向けた。 「そうですよね、ジャックさん。あなたは私と違って()じゃないのでしょ? まだ記憶を取り戻していない私を殺してしまうような、卑怯で残忍なお方ではありませんよね」 「……」  ジャックの顔色は相変わらず読めない。マリアはヒヤヒヤしながら見守っていたが、間に割って入れるような雰囲気でもなく。  やがて短い沈黙を破ったのはジャックだった。 「いいだろう、挑発に乗ってやる」  ジャックは剣を鞘ごと外すと、つかつか歩み寄り、ミサキのほうへ差し出した。 「いつかお前の首を切り落とす剣だ。今は預けておく」 「簡単にこの首を差し上げるつもりはありませんが、お預かりします」  ミサキはその剣を両手で受け取り、静かに微笑んだ。
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