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リビングに案内されたあとはダイニングテーブルへと促され、兄弟並んで席についた。リビングの内装は思ったよりも簡素なものだったが、ところどころにオモチャが転がっていたり絵が貼ってあったりと、温かい雰囲気に包まれていた。
クリンの脇、お誕生席を陣取ったナターシャと呼ばれた幼女は来客二人に興味津々のようだ。こちらをチラッと盗み見ては、キッチンに消えた父と母に視線をさまよわせたりと、様子見をしているようだった。
「待たせたな」
「育ち盛りの男の子たちに、足りるかわからないけど」
しばらくして男とシーラがキッチンから戻り、テーブルに料理を運んでいく。大皿に盛られた食欲をそそる肉野菜炒めや素朴なスープが、かえって温かくて郷愁を誘う。
「すみません、突然お邪魔しちゃって……」
「いいのよ」
そうして男女はクリンたちと向かいの席へ腰掛けた。
「自己紹介がまだだったな。ギン・ストレイヤだ。ここで自給自足の生活をしながら、たまに王都で用事を済ませたりなんかしてる」
「ギンさん。今日はありがとうございました。クリン・ランジェストン、十六歳です」
クリンは深々と頭を下げた。
あのあと警備隊がかけつけて捕縛されそうになったところを、このギンという男が場をおさめてくれたのだ。それから騒ぎを知った宿屋の主が宿のキャンセルを言い放ち、呆然と立ち尽くすしかなかった自分たちに、ギンはついてくるよう促した。そうして言われるがままたどり着いた先がここだったというわけだ。
クリンの挨拶に相槌で返し、ギンはセナを見る。が、セナはあの騒ぎ以降、目を伏せて塞ぎ込んでいる状態だった。
「で?」
「すみません。こっちは弟の……」
セナの代わりに紹介しようとするクリンを手で制し、ギンはセナに向かって語気を強めた。
「おい、腑抜け。お前は名を名乗ることもできねえくらいお子ちゃまなのか」
しん、とその場の空気に緊張が走る。
しかしそれは一瞬で、幼い少女の声がその空気を打ち砕いた。
「あたしできるよ! ナターシャ・ストレイヤです! 四歳です!」
語尾に小さい「つ」が入りそうなほど元気な声に、その場は和らぐ。
その声が届いたのか。セナは伏せていた目をわずかに揺らすと、一度きゅっと唇を結び直したあとでギンに向き直った。
「セナ」
「歳は?」
「十五」
「十五歳です、だろ。敬語も使えねえのか」
ふん、と。あきれた顔を浮かべながらも、ギンは改めて、隣のシーラが妻でナターシャが娘であることを告げた。
そこで娘から「まだ? 早く食べたい」と催促されたので、五人はようやく食事にありつくことになったのだった。シーラの作ってくれた料理はどれも美味しくて、あっという間に平らげてしまった。
食事のあとは風呂を借り、客室に簡易ベッドを二つ用意してもらうことになった。至れり尽くせりな待遇に恐縮である。
就寝前の静かな時間を、クリンはナターシャとカードゲームで遊んでいた。
ちらりと時計を盗み見る。セナはギンに呼ばれて外へ行ったきり、まだ帰ってこない。
クリンはカードを並べながら、昼間の出来事を思い出していた。
あの状態になったセナを見たのは、実は初めてではない。
セナは幼い頃から身体能力が高かった。かけっこ、木登り、持久走。幼少時代の運動における一等賞はいつも弟が総なめであった。
加えてあの裏表のない明るい性格のおかげで、村でもかなりの人気者だったと思う。そんな弟を「恵まれている」と妬んだことがないわけでもない。
異変に気づいたのはいつだっただろう。
セナの身体能力が、歳をとるにつれてしだいに高まってきていた。それは尋常でないレベルで。
たった一度の跳躍で木の頂上まで上り切ってしまうことも、大人の体重ほどもある大きな岩を軽々と持ち上げられることも、二階から転落して怪我ひとつないことも。「普通じゃない」と気づくにはじゅうぶんだった。
セナは、いつからか一等賞をとることをやめてしまった。彼自身もその力が異質であると気づいていたのだろう、周囲に異変を気取られないように足並みをそろえるようになった。
もちろん、家族はみな気づいていた。けれど暗黙の了解でそれを隠していたように思うし、家族間でもその話題はなんとなくタブーのような雰囲気ができあがっていた。
それだけならまだよかったのだ。
彼の中に、凶暴な何かが芽生えるまでは。
数年前だったか。セナが同級生相手に、口論の末に暴行を加えてしまったことは記憶に新しい。最初は互いにやり合っていた掴み合いもすぐにセナの一方的な攻撃に変わり、すでに戦意を喪失している相手を執拗なまでに殴り続けた。
その時の興奮したセナの金色の瞳が、躍り狂う炎のように赤く色めいていたことを、仲裁に入った自分以外は誰も知らない。
結果としては喧嘩両成敗ということで大した事件にもならなかったが、セナは二週間の自宅謹慎を強いられた。そしてその日から、セナの様子はどんどん変わっていった。
「あの日から、何度も何度も、何かをめちゃくちゃにしてやりたい。殴って、壊して、暴れたいって思う時があった。そのたびに目の色が赤く変化して、いつもクリンが気づいて止めてくれてた。何か病気なんじゃないかって、クリンもいろいろ調べてくれたり親にも尋ねてくれたりしたけど『そんな病気は見たことない』って……。あの村にいたんじゃ何もわからない。それに、いつか取り返しのつかないことをして村にいられなくなるかもしれない。だから旅に出て原因を探そうって、クリンが……」
そこまで言い終えて、セナは深く息を吐いた。
澄み渡った夜空の下、ギンの家の庭を、ランタンの灯りがぼんやりと照らしている。転がっていた丸太に腰掛けたまま、セナは深くうなだれていた。
旅のきっかけになった事情を語り始めてから、どれほど時間が経ったのだろう。頭上には満天の星が瞬いているというのに、それを眺める心の余裕も、今の自分にはないみたいだ。
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