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「マリア!」
クリンの声よりも早く、マリアは大きな結界を解いて、小さな結界を生み出し身を守っていた。それからキッと拳銃を睨んで、神経を集中させた。
南シグルスで拳銃を向けられた時には無意識だったが、今なら自身の意識下でできるはず。そう確信し、術を放つ。
兵の持つ拳銃は光り輝き、形をとどめておくことができずに部品をパラパラと地面に落としていった。
「くっ……このバケモノめ!」
二台目、三台目の車からも続々と兵が降りてきて、マリアへ拳銃を向けた。だが、結果はどれも同じこと。マリアは結界で自身を守りながらすべての拳銃を破壊したのだった。
「やめてください! なぜこんなことをするんですか!?」
「おい、結界が解かれたぞ」
「あの車が邪魔したんだ」
クリンの訴えに続いて、遠巻きの見物人たちからも不満がもれ始めていた。
そこへ二台目の車のドアが開いて、一人の人物がおり立った。
上品そうなスーツを身に纏ったその男は、この場にそぐわないさわやかそうな笑顔を民衆へ向けている。そして「落ち着いてください」と明朗な声で話しかけてきた。
男は端正な顔立ちをしており、こげ茶色の髪はワックスでしっかりと固められ、赤褐色の切れ長の目は大人な雰囲気を纏っているが、ジャックよりはやや若そうに見える。
その男性を見て、ミサキはクリンの横で小さく息をのんだ。
「みなさん、ご迷惑をおかして申し訳ない。僕はソルダート・ロコ・ニーヴ。どうかご安心ください」
男はソルダートと名乗った。
さきほど聞いたばかりのその名前に、クリンの心臓はいったん跳ね上がり、ぴしりと凍りつく。
この人が、ミサキの……。
ちらりとミサキを見下ろせば、彼女はクリンのうしろに隠れるようにしてうつむき、まるで空気のように存在感を打ち消している。その顔は真っ青だった。
「いったい、どうなってるんだ!?」
「早く聖女に結界を作らせろ!」
「あの生き物はおまえの差し金だろ、なんとかしろ!」
見物人から非難の声が上がったので、ソルダートと名乗った男はうんうんとうなずき、その次にマリアへと視線を投げた。
「そうです、聖女です。それが問題なのです」
もったいぶった男の声は、さすが政治家の卵というだけあって、よく通る声をしていた。
「あの兵器は本来、リヴァーレ族のみに反応するよう作られていました。だが、聖女の不思議な力がどうもそれを邪魔しているようなのです。あれが人々を襲ったのはすべて聖女のせいなのです!」
「なんだって!?」……と、周囲からどよめきがわき起こって、一斉に聖女へと視線が注がれる。マリアはきゅっと唇を結び、クリンはとんでもない言いがかりに耳を疑った。
「我らはシグルス大国の正義の名のもとに、その聖女の身柄を拘束します。罪状は国家反逆罪。ならびに、ジパール帝国第一皇女誘拐罪です!」
「──!」
男の目線が動いて、それはまっすぐに息をのんだクリンの後ろ、ミサキへと注がれた。
「お久しぶりですね、ミランシャ皇女。もう安心ですよ」
いつの間に皇女の存在に気付いていたのか、彼はさわやかな笑みで一歩、こちらへ踏み出す。
「こちらにいらっしゃると聞きつけて、慌てて駆けつけました。まさか偶然同じ場所に居合わせるとは。これはもう運命としか言いようがありません。そうは思いませんか?」
「……」
「おや? 5年ぶりだというのに、まただんまりですか」
石のように固まってしまったミサキを見て男はくすりと笑い、さらに一歩、前へと踏み出してくる。
クリンは判断に迷った。多くの民衆が見物している中、ミサキとマリア、双方を守る手段が見つからなかった。
ミサキの表情から、彼女が何を思っているのかは計り知れない。このまま男のもとへ帰りたいのかもしれない……いや、でも。
近くでチャキ、と静かな金属音が響いて、クリンはハッとした。背後でジャックが剣の柄に触れたのだとわかった。
もしもこのままミランシャ皇女があの男のところへ行くわかったら、ジャックはどうするだろうか。手の届かないところへ逃げられてしまう前に、彼は決行してしまうかもしれない。
「マリア。ミサキを連れてどこか遠くへ飛んでくれ」
「……えっ」
「早く、すぐに!」
「でもっ……」
とマリアが戸惑いを見せた、その瞬間。
遠くで激しい轟音が鳴り響いた。
街道近くからもくもくと黒い煙が立ち上がり、巨大な生物兵器がリヴァーレ族に向かって拳を振りかぶっている姿を確認する。
人鳥は素早い動きでなんなくかわすと、羽をあおいで風刃を起こした。それが巨人の右肩に命中して、真っ赤な血飛沫が空へと舞う。
クリンたち全員の頭の中に浮かんだのは、一人の少年のこと。こんな遠くからでは彼の姿を確認することはできない。
「マリア。あなたはセナさんのもとへ行って」
ここで、ようやくミサキが沈黙を破った。彼女の表情に迷いはなく、その目に強い意思を忍ばせていた。
「どのみち、あなたはここにいたら殺されてしまうわ。行って。私は大丈夫」
「……でもっ」
戸惑うマリアを無視して、ミサキはクリンの背後から姿を表すと、かぶっていたフードを脱いだ。彼女の表情は堅くも柔らかくもなく、まるで無機質な人形のように変わっていた。
「お久しぶりでございます、ソルダート様。ごきげんうるわしゅう」
凛とした佇まいで、小さく膝を折るとソルダートという男に声をかける。
そんな彼女の様子に、クリンとマリアは顔を見合わせる。
それはたしかにミサキであるはずなのに、彼女特有の柔らかな雰囲気はどこへやら、相手に隙を与えないような無味乾燥の仕草や雰囲気は、まるで別人のようであった。
男はミサキの行動が予想外だったのか、一瞬片眉をぴくりと上げはしたが、それでも優しそうに微笑み返してきた。
「ああ、五年ぶりだね、会いたかったよ。すっかり綺麗になった」
「ありがとうございます。五年ぶりですのに、ソルダート様はちっともお変わりありませんわね。まるであなただけ時が流れていないみたいですわ」
皮肉か嫌味か、はたまた褒め言葉か。どちらにでもとれる物言いで、ミサキは笑顔のひとつも浮かべず男と会話を続ける。
その姿を見て、クリンは確信した。
彼女の記憶が完全に戻ってしまったのだと。
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