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第十九話 ミランシャ皇女の真実は
セナとマリアが三つ巴の戦いを繰り広げていた頃。クリンはミサキと同じ自動車の後部座席に揺られていた。
馬車とは違った疾走感を出して、景色はどんどん流れていく。南シグルスに到着した時はあれほど乗りたいとはしゃいでいた自動車なのに、実際に乗ってみた今の気分は最悪そのもの。
うしろから、運転席で車を操縦する男を眺める。
こんな高級そうな車を慣れたハンドルさばきで扱う余裕そうな男。自分よりも大人で、目を惹く容姿を持ち、頭の良さそうな男。
その男の隣には、かつての面影をなくしてしまった氷のような美少女。真後ろからはどんな表情かはわからないけれど、男から振られた会話をのらりくらりとあしらうその声は、なんの感情もない無機質なものだった。
帝国のお姫様と、完璧な婚約者。
お似合いだ、と思う。
「大丈夫か? 体調が悪そうだな」
「……。いえ、大丈夫です」
瞼を閉じれば、隣からジャックの小声が聞こえてきた。一度だけその瞼を開けかけはしたが、クリンは再び視界をシャットアウトした。
車は高級そうな家が建ち並ぶ住宅地を通って、広い敷地を囲っている門を通過し、大きな豪邸の前に停まった。
白い壁に青い屋根、三階建ての大きな洋館。その周辺を見渡せば、ていねいに整えられた植木と趣向を凝らした美しい噴水が庭園を彩っていた。
「ここは?」
「うちの別邸だよ。首都から仕事で来た時に使ってるんだ。ちょっと狭いけどね」
ミサキの質問に、嫌味のない口調で答え、ソルダートは中へと促す。
クリンは案内されながらふと、遠くの景色を眺めた。街道のほうでは激しい戦いが繰り広げられているのか、ここからでも振動は伝わってきた。セナは、マリアは……大丈夫だろうか。
「心配なら、戻ってもいいんですよ」
ミサキの冷たい声に、クリンはふるふると首を振った。
中に入れば執事やら侍女やら大勢が、主人を待ち構えていた。
ソルダートはミサキを部屋まで案内するよう執事に命じ、「またあとで」と、自室へ消えていった。
手抜きなんかひとつも見当たらない豪華絢爛なエントランスや廊下を案内されて、たどりついた部屋は二階の客室だった。二部屋が続き部屋になっていて、要人と警護人が別れて使用するための部屋だ。
てっきりミサキは隣の部屋を一人で使うのかと思ったのに、クリンたちの部屋に入ってきたから驚いた。
「少し疲れてしまいました。休みたいので、しばらくわたくしたちだけにしてください」
部屋に入るなり彼女は執事へそう告げて、返事を待たずしてドアを閉めた。
しんと静まり返っただだっ広い部屋には、クリン、ジャック、ミサキの三人だけ。
クリンは入り口に立ったまま部屋を眺めた。
白いレースの豪華なソファとガラス細工のテーブル。その応接セットの向こうには仕切りに隠された上質そうなベッドが二つ。その横にある個室はユニットバスだろうか。
ここにセナがいれば大興奮でお部屋探検をしそうなものだが、あいにくここにそんなノンキな者はいない。
最初に動いたのはミサキだった。
続き部屋のほうを覗いて人がいないことを確認し、そのドアを閉めたあとは窓へと歩み寄る。薄いレースカーテンの向こうからは温かい日差しが入り込んでいた。窓は換気のためか小さく開かれていたが、ミサキはそれすらも閉めて鍵をかけ、ここを完全な密室状態にした。
「お二人に警告があります」
その窓の枠に手をかけて、ミサキはこちらを振り返るなりこう告げた。
「ここにいる間は絶対に、与えられた食事は何も口にしないでください。食べるものはもちろん、水の一滴ですら口にしてはいけません」
「なぜだ?」
問いかけたのはジャックだ。しかしミサキは答えなかった。
窓から差し込む光を背に受けて、逆光となったミサキの表情は読めない。
ジャックは一歩前へ出た。
「聞くが、記憶が戻ったんだろう?」
「……ええ」
「では名を名乗ってもらおうか」
「わたくしはジパール帝国第一皇女ミランシャ・アルマ・ヴァイナーです」
「……認めたな」
チャキ、と。剣が動く音がして、クリンの心臓はひやりと凍りついた。
「これでやっと本題に入れる」
「ジャックさん」
「止めるなクリン。ここまでなんのために我慢してきたと思っているんだ」
「……」
ジャックはするりと剣を抜いた。
「答えろ、ミランシャ皇女。俺の妹を殺したか」
「……」
切っ先はまっすぐにミサキへと向けられていて、一言でも彼女がイエスと言えば、おそらくその剣は瞬時に彼女を斬り捨ててしまうだろう。
「動くなよ、クリン。お前を斬りたくはない」
「……ジャックさん」
緊迫した空気が訪れ、鼓動が激しく暴れ出すのを感じる。
どうか、どうか否定してくれと、ミサキを見やれば。
「いいえ、と。答えることはできません」
彼女はその問いに肯定というニュアンスで返した。
「……っ!」
「やめろ!」
ジャックが一歩、踏み出したと同時にクリンも動いた。
武道で敵う相手ではない。自分ができることなんて一つしかなかった。
二人の間合いに入り込んで、手を大きく広げて斬られることを覚悟する。
「う……っ!」
ザシュッと肉の切れる音が聞こえて、左肩に激痛が走った。そこから真っ赤な鮮血が飛び散る。
細めた視界に、ジャックの怒りに満ちた顔が映っていた。その目には、ずっとおさえてきたのであろう憎悪の炎が揺らめている。まっすぐにミサキを見据えていて、クリンのことなど視界に映ってはいないようだった。
「……くっ」
クリンは右手でジャックの剣をつかんだ。皮膚に切れ目ができて血が滴り落ちる。痛くて痛くて、じんわりと目に涙が浮かんだ。
「止めるな、クリン!」
「いやだ! いやだ、いやだ、いやだ!」
「死にたいのか!?」
「いやだ! 死にたくない、死んで欲しくなんかない! 僕はミサキもジャックさんも大好きだ!」
「……っ」
ジャックがギリッと奥歯を噛んだのがわかる。
それでも剣を握る力は弱まることなく、一瞬でも気を抜けば再びこの剣は彼女に向かって振り下ろされるだろう。だからクリンはそこにとどまり続けた。
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