第十九話 ミランシャ皇女の真実は

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 しばらく感情にまかせて泣き続けた。  まともな会話になんかならなかったのに、ジャックはそれでもその場にとどまり続けてくれた。  やがて涙がひっこんで、ゴシゴシと乱暴に顔を拭っていると、ジャックからあきれたような声がおりてきた。 「気は済んだか」 「……すみません」  ジャックがクリンの荷物から水を取り出してくれた。それを受け取って飲み干せば、先ほどまで泣きじゃくっていた自分自身を省みてとたんに羞恥が襲う。  ばつが悪くなってうつむいていると、ジャックが近くにあった椅子に腰掛けて、ぽつりと言った。 「おまえの気持ちは、痛いほど伝わった」 「……」 「だが、妹を殺した罪があるなら、許してはおけない」  ジャックの答えは変わらなかった。  彼の表情にひそんでいる怒りは剣を握っていた時の激情とは違うものにも見えた。だけど、きっと彼の苦しみが終わることはないのだろう。  自分に奪われたくないものがあるように、ジャックにだって奪われたくないものがあった。その苦しみから目を背けてはいけない。 「ジャックさんの……妹さんの話が聞きたいです」 「……」  数日前にも同じ質問をした。あの時は彼の心を開きたい一心で、無遠慮に聞いてしまったけれど、今の気持ちは少しだけ違う。  ジャックの苦しみも、ミサキの罪も、一緒に背負い続けたいと思う。 「……妹は」  やがて、ジャックは話し始めた。     「四つ違いだった。生きていれば二十一だな。だが……十四の時に死んだよ」 「……」 「妾腹の子だった」  意味はわかるな?と問われたので、クリンは黙ってうなずいた。  ジャックの父は当時ネオジロンド教国の侯爵で、サジラータ領の領主だったそうだ。  サジラータは帝国との国境沿いにあり、長年、砦を守って帝国の侵攻を防いできた。 「妹が三歳の時だ。妾腹が死んだのをきっかけに引き取られてきて、そのとき母は初めて妾腹と妹の存在を知って、狂った。当然、家に妹の居場所はなくて……母や召使いが妹を虐げるのを、父も見て見ぬふりだった。だが……それでもあの子は健気で良い子だったよ。周囲に受け入れてもらおうと必死に笑顔をふりまいたり勉強したり、一生懸命だった」  その家で、幼いジャックだけは彼女を甘やかしたそうだ。父と母にたしなめられ、かえって自分が反省室に入れられることになっても、それでも彼女に優しく接するのをやめなかった。  妹は、自分といる時だけは年相応の表情で笑ってくれた。ジャックはその笑顔が大好きだった。 「滅多に泣かない妹が陰で涙を流していたのを見た時、胸が痛んだよ。守りたいと思った」  妹が聖女だと発覚したのは、それから五年後だ、とジャックは続けた。 「妹が八歳の時だな。力はそこまで強くなかったからプレミネンス教会に呼ばれることはなかったが、遠くの教会に身を預けることになって、やっと母親の魔の手から逃げ出すことができた」  だが当時サジラータ領は帝国軍との小競り合いが続いていたため、回復役として聖女が戦場に駆り出されることもあったそうだ。妹が領に呼び戻される可能性は高い。ジャックは妹を守るために騎士学校へ入った。 「けっきょく妹と俺が不在の間にサジラータは帝国の侵攻を許し、植民地になった。両親はその時に処刑され、俺と妹は名前を変えて逃げ切ることになった」  以前、ジャックが「ラストネームは捨てた身だ」と言っていたことをクリンは思い出した。  シャングス・ルグ・サジラータ。これが彼の本当の名前である。 「妹が十四になった年だ。国境沿いの他の領地に駆り出されていた妹は、そこで帝国軍に捕らえられてしまった」 「……」 「捕らえられたと聞いて、急いで帝国へ潜入したよ。多少危険は踏んだが、それでも妹さえ逃がしてやれれば死んでもいいとすら思った。……だが俺が見たのは、帝都の広場で処刑台にさらされた妹の首だった」  その時の彼の絶望は、はかりしれない。クリンは言葉なく彼を見つめた。 「十四年間。あの子の人生は苦しみしかなかった」 「……」 「絶望のまま、広場に出て帝国のやつらを八つ裂きにしてやろうと思った。だが、それを止めてくれたのがギンさんだった」 「ギンさんが……」 「そのまま拾われて、彼のレジスタンスに入った」  そしてジャックは、聖女撲滅運動のことを知った。ミランシャ皇女がプレミネンス教会を批判したことでその運動は始まり、聖女狩りが行われるようになったそうだ。 「広場にいたミランシャ皇女は椅子に腰かけたままそれを淡々と眺めていた。その顔にはなんの感情もなく、むしろつまらなそうに妹たちの死に顔を眺めていたよ」 「…………」 「信じられるか? 皇女とはいえ、まだ十歳だぞ」  まるで、そんな女のどこがいいのかと言われているようでクリンの胸は痛んだ。  それは自分の知る彼女ではない、と言ってしまいたい。だが今必要なのはそんな非建設的な会話ではないのだ。 「話は以上だ。皇女が罪を認めたんだ。もう、いいだろう。……楽にさせてくれ」  うつむいたジャックの顔は、言葉通り苦しそうだった。  だが、当然その言葉を受け入れるわけにはいかなかった。 「その時の話を……彼女の口から聞いてみませんか」 「……ほう。なんて聞くんだ? 聖女の首を見るのは眺めが良かったかとでも?」 「彼女がその時何を思っていたのか、これから何をするつもりなのか、です。だって彼女は言ってたじゃないですか、自分をここで殺しても復讐は終わらないって。まだ語られていない事実があるんですよ」 「……」 「お願いします。まずは、彼女の話を聞いてもらえませんか。どうか……もう少しだけ時間をください」  こんなの、彼にとってはただの命乞いにしか聞こえないだろう。  だが、クリンには確信があった。 「あの子には……きっと何か事情があるはずなんです。僕はあの子を信じます」
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